第二百七十七夜 おっちゃんと泣き声
翌朝、目が覚める。ゲタの許には食事が届けられていた。ゲタの勧めに従い、おっちゃんは食事を分けてもらった。
ゲタは食事を終えるとすぐ釣りに戻る。ゲタがじっと水面を見つめる。
「今日はよく釣れそうだ。どうだ、おっちゃんもたまには釣ってみないか。今なら素人でも何か釣れるだろう」
「そうでっか。ほな、やってみようかな」
ゲタから竿を借りる。針に『骨虫』を付けて釣りをした。
五分ほどで、当りが来た。竿を引く。だが、針の先はなにも付いていなかった。
「なにかが掛かったかようやけど、逃げられてしもうた」
どこからか赤ん坊の泣声が聞こえてきた。
「子供がいないホイソベルクで赤子の泣き声とは珍しいな」
ゲタが目を閉じて語る。
「これは現在の赤子の声ではないな。赤ん坊の泣き声は過去のものだ。どうやら、おっちゃんは誰かの過去を釣ったらしい。これも縁だ。泣き声を辿れば何かわかるかもしれない」
「そうなんか。わいが釣った過去は誰のものやろう? 気になるから探してみるわ。ほな、釣り竿はここに置いておきます。貸してくれてありがとう」
釣竿を置くとおっちゃんは鳴き声のする方向に駆け出した。
「おかしいな? ここら辺で泣き声が聞こえたと思うとったんやけど」
おっちゃんが耳を澄ますと、どこか遠くから泣き声が聞こえてきた。
「なんや? 泣き声が移動しているで。どこに行く気や?」
おっちゃんは耳を澄ましながら、慎重に泣き声を追った。
声が聞こえる方向は特定できた。声のする方向に移動する。
半透明な何かが見えた。おっちゃんが近づくと、揺籃に入った半透明な赤子がいた。揺籃に入った赤子は歩くより少し速い速度で、街の中央に移動していた。
「泣き声の主を見つけたけど、これ、どないしたらええんやろう?」
揺籃に触っていいのか迷った。
とりあえずは見守ろうと思って、小走りに揺籃と併走する。揺籃は釣り道具屋の前で止まった。
赤子の泣き声を聞こえたのか、困惑した顔のハイレが出てきた。
ハイレが出てくると、半透明な揺籃の付近に半透明なホイソベルク人が現れる。
半透明なホイソベルク人は首から提げていた小瓶の中の液体を数滴、赤子に飲ませる。赤子は鼠になった。次に半透明なホイソベルク人が自分で薬を飲んで鳥になると、鼠になった赤子を咥えて飛び去った。
目の前で起こる光景を言葉なくハイレは見つめていた。ハイレの顔は青ざめていた。おっちゃんは朧気に理解した。
「おっちゃんが釣った過去は、ハイレはんのものやったんやな。ハイレはん、よかったら事情を聴かせてもらえるか?」
「中で話そう」と短く口にして、ハイレは店の中に移動した。ハイレに従いて店の中に入った。
ハイレは店主の椅子に、ぐったりした格好で座る。
おっちゃんもお客さん用の椅子に腰掛ける。ハイレが何も喋らないので、おっちゃんから尋ねる。
「赤子はマレントルク人やった。ハイレはんは何でマレントルク人の赤子に『変化の滴り』を飲ませて連れ去るような行為をしはったんや?」
ハイレが暗い顔をして下を向き、話し始めた。
「私はある日、『幻影の池』で釣りをしていて、未来を釣った。ユーリアが死ぬ未来だった。私は恐くなって、ホイソベルク人の友人に未来を話した。だが、多くのホイソベルク人は未来を受け入れようとする者はいても、島を救おうと考える者はいなかった」
「昔も今も、ホイソベルク人の考えは変わらんかったわけか」
ハイレは暗い顔のままで頷く。
「そんな時に、島を救おうと考える者が現れた。ただ、その人物は、サレンキスト人の王だった。サレンキスト王は力強く申し出てくれた。我がサレンキストと一緒に島を救おう、と」
「現れた理解者はサレンキストの王様か。サレンキストの王様がマレントルク人の赤子を攫えと命じたんやな?」
「そうだ。マレントルクに入国するには、サレンキスト人よりはホイソベルク人のほうが警戒はされない。それに、ホイソベルク人は『変化の滴り』を自由に手に入れられる」
「そんで、攫った赤子は誰の子や?」
ハイレは沈んだ顔で告白した。
「マレントルク王の第一子、スフィアン王子だ」
「なんと、スフィアンはサレンキストにおるんか」
ハイレは沈痛な面持ちで頷く。
(サレンキスト王はマレントルク王と石巫女の関係が入れ変わったのに気付いておらん。巨人の夢を引き継げる血統が石巫女の血統やなく、王の血統やと勘違いしたんやな。それで、巨人の夢の継承者候補やと思い、スフィアンを攫ったのか)
「そうか。すでに四十年以上も前から、サレンキストは巨人の夢を手に入れる計画を立てておったんやな。そんで、スフィアンはどうしているか、知っとるか?」
「わからない。ただ、私は目、髪、肌の色を変えられる『変化の結晶』を渡すように命じられて、渡した。スフィアンはサレンキスト人として育てられていると思う」
(待てよ。サレンキストの王子のシャイロックも、四十くらいや。シャイロックも『王石』を持っていたの。サレンキスト王は、いうことを聞くようにスフィアンを自分の息子として育てていた可能性があるな)
おっちゃんは考えを語らず、「そうかー」とだけ返事をしておく。
ハイレは顔を上げて、辛そうな表情で語る。
「マレントルク王には酷い仕打ちをしたと思う。だが、マレントルクではユーリアが死んで巨人の夢が終わる話をしても、誰も信じてくれなかった。ヤングルマ島を救うにはサレンキストを頼るしかなかったんだ」
「もしかして、ハイレはんは、まだサレンキストと繋がっているとちゃいますか? 若いホイソベルク人が、ホイソベルクを捨ててサレンキストに行ってますやろう」
ハイレが俯いて、弱々しく発言する。
「若者には未来が必要なんだ。たとえ、今より悪くても、ないよりは数段いい。おっちゃんは、私を国を売った裏切り者と呼ぶかい?」
「信念は人それぞれやから、悪いとは糾弾はせん。それに、おっちゃんは外国人やから大きなことはいわん。ハイレはんがしでかして件も、人に話すつもりはありません」
ハイレが安堵した顔をする。
「そうか。そう慰めてくれると、助かるよ」
おっちゃんは席を立つ。
「ほな、行きますわ」
ハイレが不安な顔で訊く。
「一つ、いいかい? ヤングルマ島は、どうなってしまうんだろう?」
「わいに訊かれたかて、答えようはあらへん。なるようになるしかないと違いますか?」
おっちゃんは釣り道具屋を出てゲタの許に戻った。釣りを続けるゲタに尋ねる。
「なあ、ゲタはん。サレンキストなら島を救えるんやろうか?」
ゲタがいたって普通に答える。
「サレンキストは、巨人の眠る場所までの道の造成はできる。だが、サレンキスト人にできる仕事は、そこまでだ。サレンキストには残念ながら、全てを解明するだけの知恵もなければ、時間もない」




