第二百六十六夜 おっちゃんと樹木の巨人
三日後の夜、灯りを消して一度ベッドに入る。眠くなってきたと思うと、誰かが枕元に立つ気配がした。
静かに語る女性の声がする。
「アーヤ国の悲劇はまだ終わっていない。夢と現の狭間である『幻影の森』で、次なる災厄が目を覚ます。災厄を止めて私の夢を救って欲しい」
おっちゃんは飛び起きると、人の気配が既になかった。
「なんや、今の声? 聞いた覚えのない声やで」
おっちゃんは冒険者の格好に着替えると、街の外から『飛行』の魔法で空を飛んで『幻影の森』を目指した。
『幻影の森』に入るとすぐにエルチャが姿を現した。
エルチャが緊迫した顔で声を掛ける。
「おっちゃん、ちょうど良いところに来たわね。森にある大巨人の木で、何かが起きようとしているわ。何が起きるかわからないけど、手を貸して」
「もしかして、エルチャも女性の声を聞いたんか」
エルチャが表情を曇らせる。
「わたしの聞いた声はユーリア様の声だと思う。ユーリア様の声、悲しそうだった」
(死にゆくユーリアの声か。ユーリアは何を思い、何を望むんやろう)
エルチャに先導され、森にある大巨人の木へと急ぐ。
大巨人の木は森の開けた場所にあった。大巨人の木がある場所は窪地になっており、広さは直径で百m、深さは深い場所で十五mほどあった。
一番深い場所には高さ十五mの、人の顔を模した樹木があった。
窪地の縁まで行くと、頭の中に女性の声が響く。
「凶鳥を倒し、始祖の木を救い、悪意の霧を退けし者よ。貴方を救世主と頼み、お願いがあります。私の長きに亘る時間に終止符を打ってほしい」
「なんや? どうすればいいんや?」
「私の時間を守護する者が現れます。時間を守護する者を眠らせて止めてください。そうすれば、私の時間は動き出し、私は眠れる。悪夢から生まれる魔物がヤングルマ島を醜く荒らす前に、どうか私に安らぎを」
声が止むと人の顔を模した樹木の下から手が現れた。手が地面を押すと、地中に埋まっていた体が現れる。
全長八十mの巨大な樹木の巨人が現れた。樹木の巨人は現れると大きな欠伸をする。
「こんな大きなものを、どうやって止めればええんや?」
おっちゃんの声に反応したのか、どこからともなく『王石』が飛んできた。
『王石』は淡く光ると、おっちゃんの眼の前で、紫色のオカリナに姿を変えた。
「なんや? これで眠らせるんか? でも、オカリナなんて吹けんで」
エルチャが緊迫した顔で告げる。
「やれなくても、やるしかないわよ。あんな大きな樹木の巨人を剣や槍で倒すほうが無理よ」
おっちゃんは試しに、軽くオカリナに息を吹き込む。オカリナから無機質な声がする。
「対象を選択してください」
「樹木の巨人や」
オカリナは勝手に音が鳴った。曲は『風の試練』で聞いた物悲しい曲だった。三十秒ほどの短い曲の自動演奏が終わる。
樹木の巨人はなにごともなかったかのように、寝ぼけたようなふらふらとした足取りで、木々を踏みつけて歩き出した。
「なんや? 樹木の巨人は止まらんぞ」
エルチャが怒って発言する。
「そんな文句を私に言われてもわからないわよ。でも、オカリナで止められないならどうするのよ」
樹木の巨人はおっちゃんとエルチャに目もくれずに、ゆっくりと歩き出した。
エルチャが強張った顔で告げる。
「まずいわ。樹木の巨人の進む先には街があるわ」
「なんやと? 街を潰す気か。どうにかせんと大惨事になる」
おっちゃんは再びオカリナに息を吹き込むと、無機質な声が返ってくる。
「対象を選択してください」
おっちゃんはそこで思いついた。
(待てよ? 『幻影の森』が夢と現世が交わる世界なら、ここから夢の世界に行けるんとちゃうか?)
「対象は、わいや。おっちゃん、ちょっと夢の世界に行ってくる」
曲の演奏が流れると、おっちゃんは強い眠気に襲われ、気を失った。
気が付けば、気を失う前の場所にいた。森の木々は白黒でエルチャも白黒に見えた。
おっちゃんと樹木の巨人にだけ色が付いていた。樹木の巨人は夢の世界では、大きなヘッドホンをしていた。
「どういう理屈かわからんが、ここは樹木の巨人が見る夢の中や。あの、オカリナには対象を眠らせて他者の夢に入り込む力があったんやな」
おっちゃんは『飛行』の魔法を唱えた。すると空を飛べた。おっちゃんは空を飛び、樹木の巨人に迫る。
樹木の巨人がめんどくさそうに、おっちゃんを払いのけようとする。おっちゃんは『火球』の魔法を唱えて、ヘッドホンのある頭頂部を狙う。ヘッドホンは大きいが丈夫ではなかった。
おっちゃんが放つ『火球』の魔法を浴びるたびに巨大なヘッドホンから破片が零れ落ちる。樹木の巨人がおっちゃんを振り払おうとする。
おっちゃんは巧みに攻撃を躱して、ヘッドホンの破壊に注力する。七度目の火球が命中すると、ヘッドホンが割れて地面に落ちた。
おっちゃんは、すぐに森の中に避難して身を隠す。
オカリナが傍にやってきたので、息を軽く吹き込む。
「対象を選択してください」と無機質な声が聞いてきたので、おっちゃんは命令する。
「対象はわいや」
オカリナのメロディが流れると、おっちゃんは眠けを感じたので感覚に身を任せた。
樹木の巨人の夢の中で眠ると、現実世界でおっちゃんは目を覚ました。
エルチャが心配そうな顔で、おっちゃんの顔を覗き込んでいた。
おっちゃんは体を起こしてオカリナを吹く。
「対象を選択してください」無機質な男の声が尋ねるので答える。
「対象は樹木の巨人や」
物悲しいメロディが流れると、樹木の巨人は動きを止めた。そのまま、樹木の巨人は後方に倒れるように転倒した。
おっちゃんは樹木の巨人に近づいた。
樹木の巨人の体は裂けて、そのまま、ただの木の集合体になっていく。
風に乗って女性の声が聞こえた。
「これで、時が進む。これで、眠れる。ありがとう」
エルチャが悲しそうな顔をして呟く。
「ユーリア様は行ってしまうのね」
おっちゃんも漠然と、ユーリアの死を感じた。
帰って眠りに就くと、どこからか子供の声が聞こえてきた。
「再び巨人が目覚めたら、世界は変わる、どこまでも。けれども、誰かが巨人の夢で願うなら、世界はなにも変わらない。夢の世界は続いている。他人の夢は、私の現実、私の夢は他人の現実。夢の世界の境界は、巨人の夢に続いている」




