第二百六十夜 おっちゃんと『悪意の霧』(前編)
朝になる。暴徒による襲撃はなかった。魔物の襲撃もなかった。
朝食を終えると、グリエルモが戻ってきた。グリエルモが落ち着いた顔で告げる。
「国王一家はマレントルクで保護してくれるそうだ。それで、これからどうする?」
「おっちゃんは街に戻って様子を見てこようと思う」
グリエルモの表情がわずかに曇る。
「危険だな。偵察が必要なら俺が行く」
「グリエルモはんは測量班の指揮を引き続き頼むわ。測量班かて、今まで長い時間を一緒に過ごしたグリエルモはんとのほうがやりやすいやろう。それに、おっちゃんは冒険者や。これくらいなんて仕事やない」
「わかった」とグリエルモが渋々の顔で頷いた。
おっちゃんは馬に乗ってアーヤの街に戻った。時刻は昼前だったが街は静かだった。街の入口が見える場所まで行く。高さ三mの茨の生垣と木でできた門が見えたが、入口に兵士の姿がなかった。
門は開いたままになっているが人の出入りはなかった。
「おかしいで。街から人の気配がまるでせえへん」
馬に乗ったまま近づく。誰も人と遭わなかった。ただ、山羊の鳴き声だけがどこからか聞こえてくる。街へと続く木の門を潜ると人が倒れていた。馬を下りて街の人の状態を確認する。街の人は深く眠っているようだった。マナンの家に向った。
通りでは人が倒れており、無事な人間は誰もいなかった。襲撃を受けたにしては妙だった。建物は壊れていなかった。木製の家もアオハブの家も無傷だった。窓は開いたままになっている家が多かった。
窓から家の中を覗く。やはり、家の中で人が倒れていた。外傷は見当たらなかった。
「なんや、これは、街でなにがあったんや」
『アオハブの木』でできたマナンの家が見えてきた。マナンの家のドアは開いていた。中に入ると、マナンとダイルが倒れており深く眠っていた。寝顔は安らかだった。
家に荒らされた形跡はなかった。竈の火は消えていたが、後始末はされていない。
「まるで、急に眠くなって、そのまま眠ってしまったようやな」
呼びかけても揺すっても二人とも目を覚まさなかった。
「これは、街の人間が全て眠らされているな」
おっちゃんはマナンの家に残っている『願いの雫』が入った実を捜す。二個だけ残っていたので、ポケットに入れた。
お城に行った。お城の入口で動く人影があった。武器に手を掛ける。
「誰だ」と人影が叫ぶ。相手はバータルだった。互いに姿を確認できると、武器から手を離す。
「おっちゃん、無事でしたか」
「バータルはんも無事やったか? いったい街で何が起きたんや?」
「まず、あちらへ」とバータルが険しい顔をして案内する。
バータルが案内した先は『願いの木』のあった中庭だった。
中庭にある『願いの木』は伐られていて、バータルが沈んだ顔で説明する。
「私はおっちゃんと別れた後に街に戻りました。街の人間は王宮に入ってくると王を探しました。王がいない状況を知ると民衆は中庭に侵入しました」
「そんで、『願いの木』を伐ったんか。だとすると大変やな」
バータルは身震いして、辛そうに発言する。
「アーヤ国のシンボルである『願いの木』を、民衆は自ら伐ったのです。恐ろしい出来事です」
「伐られた木はどうなったん?」
バータルが苦渋に満ちた顔で語る。
「王宮の外で燃やされました。木を伐るだけでも罪深いのに、燃やすなど正気とは思えません」
「そんで、なんで、民衆が倒れているんや?」
バータルが困った顔をして、首を横に振った。
「わかりません。木が燃やされた後に御者の男が戻ってきた姿が見えました。私は座敷牢の中に隠れました。座敷牢の中で一晩過ごして、外に様子を見に行くと街の人間が全て眠っていました」
「そうか。でも、困ったで。『目覚めの石』はあるが一個しかない。それに、起きた民衆が『悪意の霧』に憑依されていた場合は全員を元に戻す手立てがない」
バータルが弱りきった顔をする。
「全く、どうしてよいのかわかりません」
「よし、おっちゃんが、どうにか手がないか探ってみる。バータルはんは、まだ街に残っている『願いの雫』を集めてくれ」
おっちゃんは馬に乗って『幻影の森』に移動した。馬を近くの木に繋ぐ。
『物品感知』でエルチャが持っている鞄を指定する。ところが、魔法で隠されているのか反応はなかった。
他に手段がないので、エルチャの名前を呼びながら森を歩く。エルチャは、なかなか現れなかった。
「これ、おかしいで。『幻影の森』でも何か起きとるんか?」
おっちゃんは『物品感知』の魔法を掛けて、測量機器を指定する。
離れた場所にある測量機器の場所がわかったので、急いで移動する。森の中を駆けること二十分、グリエルモたち測量班が見えてきた。
「よかった。まだ近くにおった」
グリエルモがおっちゃんの姿を見ると、測量を中断させる。
「街の様子はどうだった」
「街の人間は皆、眠らされておった。そんで、対策を聴きに魔人のエルチャはんを訪ねて行ったら、エルチャはんの姿が見えない。『物品感知』の魔法に引っかからんようになっているから、場所もわからん」
グリエルモが表情を曇らせて発言する。
「それはちょっと心配だな。俺が『物品感知』の上位魔法で、探してやろう」
グリエルモが魔法を唱える。
「よし。場所はわかった。測量は一時中断だ。測量の道具を置いて皆で移動する」
測量班の人間が道具を置くと、グリエルモに従いて移動する。
二十分ほど歩いて、グリエルモが茂みの前で立ち止まり茂みに声を掛ける。
「エルチャか? 助けに来たぞ」
グリエルモが声を出すと、茂みが色を失い消えた。エルチャは弱っており怪我をしていた。
「怪我の手当てを」と、イエルにグリエルモが指示を出す。
イエルが魔法でエルチャを治療し、エルチャが治療を受けながら、悔しそうな顔で話す。
「巨人の石から出る魔物が急に強くなったんです。私の力では倒せませんでした」
「急に強くなった魔物か。関係あるんかな?」
近くで爆発音がする。
「なんや? 近いで。誰かが戦っておるんか?」
「『巨人の石』のある場所だわ」
エルチャが無理に立とうとしたので、おっちゃんは止める。
「魔物はおっちゃんたちで倒す。エルチャさんは休んでいて」
エルチャは無理に従いてこようとした。だが、グリエルモが厳しい顔で告げる。
「無理はしなくていい。足手まといだ。おっちゃんと俺たちに任せておけ」
「はい」と、エルチャが素直に頷いた。
(なんや? おっちゃんに対する態度が違うな)




