第二百五十九夜 おっちゃんと暴動
三日ほど、おっちゃんは街の様子を見て廻る。
街には不安の空気が流れていた。長閑だった街では人々が不安がり、日々の不満を口にするようになっていた。
(なんや、街の空気が数日で変わったの)
おっちゃんが昼前に戻ってくると、マナンがやって来て不機嫌に口にする。
「お城から使者が来ていたわよ。今日の夕刻にお城に来てほしいんだって」
「ありがとう」と礼を述べる。マナンは面白くなさそうな顔をして家を出て行った。
「なんや、マナンはん、今日は、えらく機嫌が悪いな。なんぞ、嫌な出来事でもあったんやろうか?」
夕刻まで適当に時間を潰す。少し早めにおっちゃんは城に向った。
お城の謁見の間には、チョルモン王、イネーフ、バトウがいた。
チョルモン王が席を立ち、申し訳なさそうな顔で頭を下げて詫びる。
「おっちゃんよ。この度、息子のバトウが、とんでもない過ちを犯した。一人の父親として侘びを入れさせてくれ。すまなかった」
イネーフとバトウも深々と頭を下げる。
「チョルモン王、頭を上げてください。全てはバトウ王子に憑依していた『悪意の霧』が悪いんです。バトウ王子に罪は一切ありません。それに、おっちゃんはぴんぴんしてます。気に病む必要はありません」
チョルモン王が顔を上げ、幾分か表情を和らげる。
「そういって、いただけると嬉しい」
おっちゃんはイネーフに向き直り、質問した。
「イネーフ王妃に尋ねたいんやけど、眠って目が覚めなくなる前に、何か異常はありませんでしたか?」
イネーフが表情を曇らせて答える。
「実は原因と思わしき物に、心当たりがあるのです。サレンキスト人の商人より献上された香水です。香水を一吹き吹き掛けると、急に眠くなりました」
「香水のビンはまだ残っていますか? あったら見せてもらえませんやろうか」
イネーフが申し訳なさそうな顔をする。
「それが、怪しいと思って、使用人に部屋中を探させました。ですが、どこにも香水のビンがないんです」
(これは、証拠を処分されたね)
「香水を献上した商人は、どんな男ですか」
「四角い顔の、壮年のサレンキスト人男性です」
(もしや、シャイロックか)
「すんまへん。誰か紙と木炭を貸してくれまへんか」
おっちゃんは紙に簡単に、シャイロックの特徴がある似顔絵を描く。
「もしかして、こんな男でした?」
イネーフは絵をまじまじと見て声を上げる。
「私に香水を献上したサレンキスト商人は似顔絵の男です」
チョルモン王が険しい顔で訊く。
「おっちゃんよ、似顔絵のサレンキスト人を知っているのか」
「以前に『幻影の森』で会いました。商人やと口にしていましたが、なにやら、怪しい男やと思いました。ですが、まさか、王妃の目を覚めなくした張本人やとは思いませんでした」
チョルモン王は険しい顔で発言した。
「おっちゃんよ。その似顔絵を貰っていいか。さっそく、国中に手配しよう」
おっちゃんはチョルモン王に似顔絵を渡して、イネーフに向き合う。
「もう、一つ、いいですか。イネーフ王妃は眠っているときに夢って見ましたか」
イネーフは顔に嫌悪の色を浮かべて告げる。
「夢の中では私はお城の外にいました。すると、サレンキスト人が現れて捕まりました。そのまま、馬車に乗せられ、サレンキストに連れていかれて、『願いの木』に似た木の世話を命じられました」
「随分と具体的に覚えていますね」
イネーフが強張った顔で答えた。
「実際に遭った出来事のように覚えています」
(ヤスミナはんが眠っていた時には、ヤスミナはんそっくりの人間が現れた。もしかすると、イネーフはんが眠っている時にも、イネーフはんそっくりの人間が現れたとちゃうやろうか)
もし、眠っている時に現れた人物と眠っている人物が同じ夢で繋がっていたら、と考える。
(眠っている時に現れたイネーフはんの実体を伴った意識はほんまにサレンキストに連れて行かれたのかもしれんな。王家の人間なら重要な機密である『願いの木』について熟知していても、おかしくはない。サレンキストの目的は『願いの木』か)
おっちゃんが思考していると、侍従が入って来てチョルモン王に告げる。
「夕食の準備が整いました」
チョルモン王が穏やかな顔で告げる。
「おっちゃんよ。今日はささやかではあるが料理を用意した、当家の夕食を食べていってくれんか」
「ありがとうございます。ご馳走になります」
チョルモン王が気を良くしたところで、バータルが慌てた顔をして駆け込んできた。
「大変です、チョルモン王。民衆が口々に不満を叫んで蜂起しました。怒れる民衆がお城に向っております」
チョルモン王は凄く驚いた。
「なぜ、急に民衆の蜂起なぞ起きた? 間違いではないのか? 儂は民衆を怒らせる触れは出しておらんぞ」
バータルが緊迫した顔で告げる。
「原因はわかりません。民衆は半ば正気を失っているようです。このままでは危険です。お逃げください」
「このタイミングで暴動は異常や。街で何かが起きたんや。だとすると、ここは危険や。一度、逃げたほうがええ。もしかしたら、ここは戦場になるかもしれん」
おっちゃんはバータルに連れられて、城の裏門に向った。
城の裏門には二頭立て馬車と馬二頭が用意されていた。チョルモン親子が馬車に乗る。
バータルと兵士一人が馬に乗ろうとしたので、おっちゃんが申し出る。
「わいも一緒に行く。馬を貸してくれ」
バータルはいい顔をしなかったが、チョルモン王が命令する。
「頼む。おっちゃん、一緒に来てくれ。おい、おっちゃんに馬を貸してやれ」
馬に乗るはずだった兵士がバータルの顔を見る。
「王の命令だ」とバータルが渋い顔で命令し、兵士がおっちゃんに馬を譲った。
バータルが先導して、城の裏門から馬車が走り出す。
馬車はお城から十五分ほど行ったところで、急に止まった。御者が無言で馬車から離れる。
「なんや、どうしたんや」
バータルが馬から下りたので、おっちゃんも馬から下りる。危ないものを感じたので、馬車とバータルの間に立つ。
「バータルはん、こんな何もない場所でどうしたん?」
バータルが怖い顔して剣を抜いた。
「おっちゃんにはそこをどいてもらおうか。王家への数々の恨み、今こそ晴らさん」
おっちゃんはバータルも『悪意の霧』にやられたのだと察した。
「王家への恨みか。なら、しかたないな」
おっちゃんは道を空ける。
バータルの注意が逸れたときに、そっと『願いの雫』が入った木の実を手に握る。バータルがおっちゃんの横をすぎて、馬車のドアに手を掛けようとした時に声を掛ける。
「バータルはん」バータルが振り向いたタイミングで、バータルを殴りつける。バータルに拳が当たり、手の中で実が砕けて『願いの雫』が飛び散る。
バータルは数歩よろめき、膝を突く。バータルの体から黒い『悪意の霧』が噴き出し、おっちゃんは『悪意の霧』を即座に切り払う。
バータルが顔に恐怖を浮かべ、頭を抱える。
「私は、なんと恐ろしい所業を働こうとしたんだ」
御者を探すと、御者はすでに走り出していた。おっちゃんはすぐに馬車のドアを開ける。
「王様。ここは危険や。馬車から馬を切り離して、馬で移動したい。馬に乗れますか」
チョルモン王はうろたえた顔でバトウを見る。
「儂とイネーフは馬に乗れるが、バトウが」
バトウが決意のある顔で答える。
「僕だって、もう子供じゃない。馬ぐらい乗れるよ」
「ほな急ぎましょか」
イネーフとバトウがバータルとおっちゃんの乗ってきた馬に乗る。おっちゃんとチョルモン王は馬車から切り離した馬に乗った。
バータルが困惑した顔で、チョルモン王に詫びる。
「チョルモン王、私は決して王家に恨みがあったわけではないのです」
「よい、バータル。親子の間すら引き裂く恐ろしい霧だ。止むを得まい」
おっちゃんは馬に乗って声を出す。
「謝罪はあとでええ。バータルはん、民衆の蜂起の話はどうなったん? 本当なん?」
バータルが真剣な顔で伝える。
「民衆の蜂起は本当です。街に戻ってはいけません。おそらく、アーヤの大多数の民衆が『悪意の霧』にやられています」
「わかった。なら急いで移動するで」
「よろしくお願いします」と、バータルが頭を下げた。
おっちゃんは馬に乗ってある程度の距離を移動する。測量機器を対象にして『物品感知』の魔法を唱える。
十五㎞離れた場所にいる『幻影の森』との草原の境に測量班がいる情報がわかった。
「こっちや」と、おっちゃんはチョルモン一家を誘導する。
一時間ほど馬を走らせると、十人からなる集団が野営していた。念のために、チョルモン一家を少し離れた場所に留めて、近づいた。
測量班のリーダーであるグリエルモが出て来る。
「おっちゃん、どうした? 怖い面して。なにかトラブルか?」
「実は町で民衆が『悪意の霧』に操られて蜂起した。王様一家が危ない。グリエルモはんなら、三人を連れても、マレントルクまで『瞬間移動』で一瞬で飛べるやろう。王様一家を逃がしてくれ」
グリエルモが真剣な顔で測量班の人間に声を掛ける。
「イエル副班長。俺はこれからマレントルクに戻る。正気を失っている街の人間が襲ってくるかもしれないから、もっと目立たない場所に移動してくれ。測量機器が壊されたら大変だ」
(測量機器が大事とは測量班のリーダーらしいな)
「わかりました」と年配の魔術師が威勢よく声を上げる。
おっちゃんは念のためにと、グリエルモに『願いの雫』を掛ける。だが、グリエルモから黒い霧は出てこなかった。
おっちゃんはチョルモン一家を呼ぶと、グリエルモに任せる。グリエルモが『瞬間移動』を唱えて消えた。おっちゃんは残された測量班のキャンプ地の移設を手伝う。
街の人間の襲撃を警戒して、キャンプ地は『幻影の森』の中に作った。おっちゃんは、その日は、測量班と一緒に夜を明かした。