第二百五十五夜 おっちゃんと『願いの木』
アーヤの街に着いて二日後、おっちゃんの家を訪ねてくる人間があった。グリエルモだった。
グリエルモが穏やかな笑みを浮かべ報告する
「マレントルク領の測量がもう少しで終わる。俺だけ一足に先に準備をすべく、やって来た。ここまでは順調だ」
「苦労を掛けるな」
グリエルモが、にこやかな顔で話す。
「苦労なんてことはないさ。測量もやってみると面白いものだよ。それに、測量がスムーズに行くのも、おっちゃんが許可を取ってくれるからさ」
「ほな、アーヤ領の測量もお願いするわ。あと、グリエルモはんやから問題ないと思うけど、アーヤ領の『幻影の森』に住む魔人はんは魔法勝負に勝たないと測量させてくれんから、気をつけてな」
グリエルモが自信に満ちた顔で請け負う。
「魔法勝負なら心配は要らない。きちんと勝って測量する権利を勝ち取るよ」
(グリエルモはんなら、心配無用やろう)
グリエルモに簡単にアーヤ国で知った情報を教えて別れた。
翌日、食事を持ってきたマナンの表情は暗かった。
「どないしたんや? 暗い顔して、何か心配事か?」
「街にある『始祖の木』の様子がおかしいのよ。うちは樹医をしているから、頻繁に診察の依頼が来るんだけど『始祖の木』が沈黙して、何も言わないのよ」
「アーヤ人の樹医は木の声が聞けるんか?」
マナンが浮かない顔で答える。
「全ての樹医じゃないけど、木の声を聞ける樹医は多いわよ。木の声を聞き、樹木の助けを得る。『植生術』の基本よ」
「そうか。アーヤ人の樹医は優れているんやな。そんな、樹医でも手に負えんとなると、お手上げやな。なにか『始祖の木』を救う方法はないの?」
マナンが弱った顔で伝える。
「あるわ。王宮の庭に生えている『願いの木』よ。人の願いを叶えてくれる『願いの木』なら『始祖の木』を蘇らせられるかもしれない」
「そんな、願いを叶えてくれる便利な木が、あるんか。なら、なんで早よ使わんの?」
マナンは困った表情をして伝える。
「『願いの木』といっても、万能ではないの。使うために大変な準備がいるのと、回数制限があるからおいそれと使えないのよ。『願いの木』を使う時は、国に危機が訪れた時だけよ」
「『願いの木』を使うとこって見学できるん?」
マナンが苦い顔をして教える。
「見学できる人間は、王家の人間と兵士、それに樹医よ。あとは、試練を潜り抜けた選ばれし者よ。おっちゃんには、無理よ」
「嘘やと思うかもしれんけど、おっちゃんは『石の試練』『風の試練』『闇の試練』と三つをクリアーしてるんやで。三つや、駄目かな?」
マナンの顔には疑いの色がありありと出ていた。
「試練は一つでもクリアーできれば選ばれたものだけど、国王のチョルモン王でも、クリアーできた試練は一つなのよ。本当に三つもクリアーしたの?」
「そうや。だから『願いの木』を使う場面を見学したいな」
マナンが渋々の顔で応じた。
「いいわ。なら、食事が終わったら用意して、おっちゃんもお城に連れて行くわ。でも、試練をクリアーした話が嘘で、牢に入れられても知らないわよ」
食事を終えて準備をすると、おっちゃんはダイル、マナンと一緒に登城した。
入口で、おっちゃんは止められた。
「すんまへん。こう見えても、おっちゃんは試練をクリアーした選ばれし者です。一緒に入れてください」
おっちゃんの言葉を聞いた兵士は露骨に疑う顔をした。別の兵士が確認に走る。
五分ほど待たされたが、確認に走った兵士が戻ってきて、敬礼する。
「失礼しました。おっちゃん様も、召集された人間のリストに入っておりました」
マナンが不思議そうな顔をする。
「おっちゃんにも、召集状が来ていたの?」
「そんな紙は、見てないよ。遣いの人とも、会ってないよ」
ダイルが表情を曇らせて意見する。
「なんかの手違いで召集状がどこかで止まっているんだろう。お城も凶鳥騒ぎと『始祖の木』の問題で、揺れておる。お城の人間を責めてはいかんよ」
「そうですな。手続き上のミスって、気を付けても起きるもんやからな。ほな、一緒に行かせてもらいますわ」
おっちゃんたち一行は城の中庭に通された。
中庭は直径が十五mほどの円形の空間で、厚いガラス製の天井があった。中庭の中央には高さが三m、幹の太さ五十㎝ほどの小さな木が一本あるだけだった。
(あれ? この光景は、見た覚えがあるで。そうや、『風の試練』の夢の後に出てきた)
中庭には、二十人を超える樹医とチョルモン王がいた。
チョルモン王の横には立派な服装をした、くりっとした大きい目の十歳くらいの子供がいた。
(子供やのに、この場にいるんやから、王子様か。まだ、小さいのに偉いな)
アーヤの王子様と視線が合った。おっちゃんは笑顔を作って頭を下げる。
アーヤの王子様は、おっちゃんを睨みつけると、不愉快だとばかりに視線を逸らした。
(嫌われてとるね。やっぱり、サレンキスト人やと思われているんやろうか?)
おっちゃんたちが中庭に到着して二分もすると、士官と思しきアーヤ人がやって来た。士官は厳かな顔でチョルモン王に告げる。
「定刻になりました。チョルモン様、バトウ様、召集した人物は、全て揃いました」
(王子様はバトウいうんやな)
チョルモン王も厳かな顔をして発言する。
「これより、願いの木による『始祖の木』の救済を始める。ダイルや、前に」
「ははっ」とダイルが畏まった態度で前に出る。
チョルモン王が横にあった水瓶から柄杓で水を一杯汲んで渡す。
柄杓を受け取ったダイルは『願いの木』に水を掛ける。ダイルは一礼して跪き、祈りを捧げる。
残りの樹医たちとマナンが膝を突いた。おっちゃんも同じようにした。
ダイルが祈りを捧げながら、立ったり座ったりを五回、繰り返す。ダイルが最後は立って、じっと木を見つめる。
なにも木に変化は起こらなかった。
「チョルモン王、駄目です。木が黙したまま語りません」
チョルモン王が顔に落胆に色を浮かべる。
「『願いの木』が語らぬとは、これでは打つ手なしか」
大勢の人間が肩を落としたが、バトウだけが微笑を湛えていた。
(あれ、なんや? バトウはんは、笑っておるで。現状を理解していないのかな?)
ダイルが突然に『願いの木』に向って振り返る。
落胆していた樹医も『願いの木』を見る。次に、全樹医が、おっちゃんを見る。
おっちゃんはわけがわからなかった。マナンが小声で話し掛ける。
「『願いの木』が、おっちゃんを呼んでいるわ。おっちゃんに前に来いって命令している」
おっちゃんには何も聞こえなかった。
「ほんまに木が喋ったの?」
おっちゃんが確認すると、マナンが真剣な顔で頷く。
樹医たちが道を空ける。おっちゃんは、よくわからなかったけど、『願いの木』の前に進んだ。
「これ、どうしたらええの?」
ダイルが神妙な顔をして告げる。
「『願いの木』が、おっちゃんの願いを叶えると仰っている。願い事を頼むがいい」
「『始祖の木』を救ってくださいって、頼めばええの」
ダイルが頭を下げて頼んだ。
「『願いの木』に選ばれた人間は、おっちゃんだ。おっちゃんにのみ、権利がある。願いはなんでもいい。でも、『始祖の木』の救済を頼んでくれればありがたい」
おっちゃんは『願いの木』に向って頭を下げる。
「『願いの木』さん、お願いです。弱っている『始祖の木』を救ってください。アーヤ国を救ってください」
樹医の全てが『願いの木』に頭を垂れる。
おっちゃんがお願いをすると、木がうすぼんやりと輝き、急速にピンクの花を咲かせた。
チョルモン王が喜びの声を上げる。
「やったぞ、花がついた。これで、アーヤ国は救われる」
場にいた樹医も安堵した表情を浮かべる。
ダイルが感謝の表情を浮かべて頭を下げる。
「ありがとう。おっちゃん。花から薬が入った実がなるはずだ。薬を『始祖の木』に与えれば、必ずや『始祖の木』は蘇るだろう」
「おっちゃんは、大した仕事をしてへんのやけどな」
辺りを見回すと、『始祖の木』を救われた事態に、ただ一人を除いて喜んでいた。
バトウだけがおっちゃんを憎らしげに見ていた。おっちゃんと視線が合うと、バトウは悔しそうに下を向いた。
(なんや? バトウはんだけは、嬉しそうにないな。どちらかというと、余計な仕事をしてくれたと文句を付けたげな顔やで。なんでやろう?)




