第二百五十四夜 おっちゃんとアーヤの『幻影の森』(後編)
エルチャの魔法の縄が効果時間を過ぎて効力を失うのを待つ。おっちゃんはバック・パックから菓子折を取り出し、頭を下げて両手で差し出した。
「ほな、これ、些細な物ですが贈り物です。お納めください」
エルチャは貢ぎ物を見て表情を一瞬、和らげた。だが、すぐに冷たい顔を繕う。
「こんなお菓子では誤魔化されないわよ」
「誤魔化そうだなんて滅相もない。これはほんの気持ちですわ」
エルチャが菓子折をチラチラと見る。
「そう、なら、貰ってあげてもいいわ」
エルチャがツンとした顔で手を伸ばした。おっちゃん畏まって菓子折を渡した。エルチャが菓子折を受け取ると、鞄に収納する。
菓子折のほうが大きかったがエルチャの鞄に普通に入った。なので、鞄には『保管箱』の魔法が入っていると思った。
エルチャが腕組みして、上から目線で話し掛ける。
「おっちゃんは戦う前にヤングルマ島の情報をもっと知りたいって、口にしていたわね。何が知りたいの」
「地形なんか知りたいんで、測量の許可を貰えないですやろうか」
エルチャが厳しい態度で告げる。
「おっちゃんが測量をするの? もし、違う人間がやるならそいつも私が試すわよ」
(エルチャはんの腕前はわかった。測量に来ている一般的な魔術師なら敵わなくても、グリエルモはんなら問題ないやろう)
「わかりました。試してください。それで、合格したら測量の件はよろしゅうお頼み申します」
エルチャが溜息を吐くと、憎らしげに言葉を発する。
「サレンキスト人といい、外国人といい、どうしてわけのわからない行動を採って、私たちの仕事を増やすのかしら」
「サレンキストが何かしとりますの?」
エルチャが面白くない顔で答える。
「おっちゃんは知らないのね。最近、サレンキスト領にある『幻影の森』が騒がしいのよ。サレンキスト人が森に頻繁に入ってきているわ。おかげで、他の仲間たちが応援に行って、他の地区は手薄なのよ」
(サレンキストが何か動いているやんな。島の出現とか関係しているのかもしれん。動きがちと気になるが、現時点では知りようがないな)
「そうでっか。それはご苦労様ですな。あと、つい最近、この森から烏の凶鳥が生まれましたやろう。凶鳥が生まれた場所を見たいんですが」
「おっちゃんは変わっているわね。いいわ案内してあげるわ」
エルチャが歩き出したので、おっちゃんは従いて行く。
十五分ほど歩くと森と草原の境界に大きなクレーターがあった。
エルチャが突如として木陰に身を隠した。
おっちゃんもエルチャに倣って身を隠した。そーっと木の陰からクレーターを覗く。
クレーターの中央には緑色のローブを着た人間がいた。相手は、おっちゃんと同じく黒い髪をした細身の人間だった。
エルチャがワンドを握り締め、囁く。
「サレンキスト人よ。何をしているのかしら? 森に入るのなら排除する必要があるんだけど、森に入ってくるのかしら?」
「おっちゃんが訊いてきましょうか?」
エルチャが数秒ほど逡巡してから命令する。
「いいわ、やってみなさい」
おっちゃんは木陰から出て、ゆっくりと歩いて行く。
相手は、おっちゃんを見ると、クレーターを調べるのを止めておっちゃんに注意を向ける。
おっちゃんと同じく黒い髪に黒い瞳を持ち、四角い顔をしていた。濃い肌の色をした四十歳くらいの壮年の男性だった。
おっちゃんは気楽に話し掛ける。
「こんなところで、どうしました?」
壮年の男性がいたって普通に尋ねる。
「貴方のほうこそ、こんな場所で、どうしました?」
「どうって、たまたま通りかかったら、同郷の人がいたと思ったから、声を掛けただけやで」
壮年の男性は穏やかな顔をして発言した。
「貴方はサレンキスト人ではないですね。魔人が化けているようでもない。何者ですか?」
(一発でばれたな。しゃあない)
「なんや、あんたは、サレンキスト人か。わいは、おっちゃん。海の向こうの大陸から来た冒険者や」
壮年の男性は考え込む顔をして、おっちゃんの言葉を噛み締めるように口にする。
「海の向こう、冒険者」
「どうしたん、なにかあったん?」
壮年の男性は微笑んで答える。
「いえ、なんでもありません。私の名は、シャイロック。サレンキストの商人です」
(嘘やな。商人にしては、背筋がシャンとしている。それに、指に嵌めている指輪。あれは装飾品やなくて、魔術を強化するための魔道具や。シャイロックは、サレンキストの魔術師か)
「商人さんがこんな辺鄙な場所に、なんの用や。なんぞ、儲かる話でもあるんか? あるなら教えて欲しいわ。ヤングルマ島の情報はよくわからんから色々と知りたい」
「私は観光のついでにぶらぶらしていただけです。たまたま通りかかって、不思議な場所に出たので、寄っただけですよ。こういう場所は滅多にないですから」
(教える気は全然ないようやね)
おっちゃんはわざとらしく辺りを見回す。
「ほな、行こうな。ここら辺は魔人が出て危ないらしいで」
シャイロックは素っ気ない態度で同意した。
「そうですか。なら、立ち去るに限りますね」
街に向って歩きながら訊く。
「実はおっちゃん、サレンキスト人と会ったのは初めてなんや。サレンキストについて、教えてくれるか」
シャイロックは穏やかな顔で教えてくれた。
「サレンキスト人と呼ばれる我々はこの島に昔からいる人間ではありません。東大陸のアーべラ国にある、サレンキストの街に起源を持つ、入植者なんですよ。それで、サレンキスト人と呼ばれています」
(アーべラ国か。記憶にない国やな)
「おっちゃんは西大陸のガレリア国の人間や。東大陸の内情はようわからん。堪忍してや」
シャイロックが気楽な調子で答える。
「それを言ったら、私も西大陸には詳しくないので、ガレリアがどこにあるのか、わかりません」
「わいは、この島を発見した国王の命令で島を探検に来たんやで。そんで、マレントルク経由でアーヤに入国した。このあとは、サレンキストにも行く予定やけど、サレンキストはどういう国や?」
「いい国ですよ。ただ、今、とてもゴタゴタしています。おっちゃんは、その、この島の情報はどこまで御存知ですか」
「あまり知らんよ」
シャイロックが何気ない態度で訊いてくる。
「では、巨人の夢の話はどうですか?」
「噂には聞いたで、でも目の前の光景が巨人が見ている夢ですっていわれて、はいそうですか、とはいかんわ。どうせ作り話なんやろう?」
シャイロックの表情が幾分か曇った。
「外国から来た方には信じられないかもしれませんが、本当なんですよ。それで、島は現在、危機的な状況にあります。巨人が目覚めると、島の大半は消え島は壊滅的打撃を受けます」
「なんや、おっちゃんの聞いた話は、ほんまやったんか」
シャイロックは表情を険しくする。
「サレンキストだけが、島を救おうとしているんです。サレンキストだけにしか島は救えないと申し上げたほうがいいでしょう。他の三国は、当てにならない。こうしている間にも島は、どんどん蝕まれていく」
「サレンキスト人が『幻影の森』に頻繁に入っている理由も関係しているんか?」
シャイロックは表情を幾分か険しくして答える。
「サレンキストでは巨人の夢の終わりを避けるために全力を挙げています。そのためには、どうしても神の住む山への道が必要なので、全力で道を切り開いているんです」
(サレンキストはサレンキストで、島の危機を感じて島を救おうと動いとるんか。もし、シャイロックの言葉が本当なら、サレンキストへの見方が変わるで)
遠くに人間が見えた。
「どうやら、連れが来たようです。それでは失礼します」
シャイロックが、やってきた人間の許へ小走りで走っていく。シャイロックはやってきた人間となにかを話すと、アーヤの街とは別方向に向かって歩き出した。




