第二百三十五夜 おっちゃんと『夜の精霊』
翌日、おっちゃんは図書館に顔を出してソフィアに話し掛ける。
「『夜の精霊』について知りたいんやけど、なんか本があるかな?」
ソフィアは浮かない顔で答える。
「書物になった形では残っていないね。でも、街の人間ならたいてい知っている話さ。有名な昔話になっているからね」
「そうか。口伝の中でのみ存在するんか。どんな奴や?」
ソフィアが穏やかな顔で告げる。
「口伝とか、それほど仰々(ぎょうぎょう)しいものじゃないよ。『夜の精霊』は夜寝ている人間の前に現れて、不吉な予言をする存在なのさ」
「不吉な予言ね。たとえばどんな内容?」
ソフィアは表情を曇らせた。
「それが厄介でね。告げられた本人は予言が現実になるまで、何を教えられたか思い出せないんだよ。予言が現実になって、『ああ、あの時の』ってなるのさ」
「そうか。それまた、意地悪な精霊やな」
ソフィアは澄ました顔で告げる。
「でも、私は『夜の精霊』なんていないと思うけどね。寝ぼけた人がただ単に夢を思い出して精霊のせいにしているだけだと思うね」
(考え方は人それぞれやからね。ポッペはんにも聞いてみるかな)
おっちゃんはお菓子のお土産を買うと、『幻影の森』に出かけた。森でポッペの名前を呼びながら歩く。
近くの茂みからポッペが顔を出し歓迎の顔で告げる。
「おっちゃん、最近よく来るな。今度はなんの用だ?」
「ポッペはん、こんにちは。これ、お土産のお菓子です。今日は『夜の精霊』についてお聞きしたくやってきました。何か御存知でしょうか」
ポッペがおっちゃんの持ってきた菓子を興味を持って見つめる。
「お菓子か。たまには良いな。でも、俺は子供じゃないから、お菓子程度ではなびかんぞ」
ポッペは言葉と裏腹に、お菓子の包みをすぐに開ける。ポッペはお菓子を見て、嬉しそうに目を輝かせる。ポッペがお菓子を食べながら答える。
「街の人間が呼ぶ『夜の精霊』とは巨人の意志だ。巨人の意志に眠っている人が触れると、人は巨人の意志に動かされるんだ」
「それは、ヤングルマ島の人間なら、誰しも起こり得る現象でっか?」
ポッペがあまり興味のない顔で告げる。
「巨人の意志から生まれた人間なら、全てに起きるな。サレンキストの人間を別にすると、ほぼ九割の人間に起こりうるな」
(なんや? 今、重要な内容をさらりと口にした気がする)
「巨人の意志から生まれた人間って仰いましたけど、そこんとこ詳しく教えてもらえますか?」
ポッペが平然とした顔で告げる。
「ヤングルマ島に存在するものは、人間も含めて九割五分が巨人の見ている夢の産物なんだよ」
「なんやて? なら、眠っている巨人が目覚めたら、どうなるんでっか?」
ポッペは事も無げに話す。
「巨人が目覚めた過去がないからわからない。けど、夢の産物なら、巨人が目覚めたら消えると思うよ。簡単に言えば、人も物も消えて、島が本来の姿に戻るんだろうな」
「人も、でっか?」
ポッペが当然の顔で告げる。
「そうだよ。純粋な人間なんて島に五%もいればいいほうさ。サレンキストの連中は特別だから、もっと残るだろうけど」
(なんや。とんでもない事実を聞いたで。これは、マレントルクの人間は知らんやろう)
ポッペがお菓子を堪能しつつ告げる。
「巨人がいつ目覚めるかなんて、誰も知らない。いつ、全てが消えるかなんて、わからない。それに、巨人が目覚める時はどう対処しようもない。だから、諦めるしかないな」
「そうでっか。あと一つ、訊きたいんやけど、マレントルクを守っている守護石ってありますやろう。あれは本当に、魔物から街を守っているんですか?」
ポッペがあっけらかんとした顔で話す。
「俺は森から出ないから、守護石とやらを見た記憶がない。なんとも予想でしか言えないが。もし、守護石の正体が『深さの石』を指しているなら、違うよ。あれは、巨人の眠りの深さを表しているんだ」
「ほな、もし『深さの石』が全て割れたなら、巨人が目覚めるんですか?」
「正解。遅くて一年、早くて三日くらいで巨人が目覚めると、賢者が話していたね。『深さの石』を割ろうとする魔物は巨人の寝返りのようなものだからね」
「とんでもない話を聞いてしまったな。でも、起きている現象が全て巨人の見ている夢のせいだなんて、にわかに信じられませんな」
ポッペがいたって普通の顔で簡単に告げる。
「なら、最近になって死んだ人間の墓を暴いてみるといいよ。巨人の夢の産物なら死体は残らない。しばらくすると消えるから、ほとんどの人間の墓の下にはなにも残っていないはずさ」
ポッペの話が本当なら、本物の人間が五%しかいない。墓の四つも掘り返せば、真偽は判明する。
(せやけど、墓を掘り返す所業は抵抗あるで。それに、もし、ポッペはんが間違えていたら、おっちゃんは激しく非難されるやろう)
おっちゃんはポッペと別れると街に戻った。街には建造物が立ち並び、大通りには人が歩いている。
(この、光景のほとんどが夢の産物とは思えん。せやけど、巨人の見ている夢なら、地面から食料や日用品が湧く岩が出るのも理解できる。浮遊石なんて物があるのも納得がいく。せやけどなあ――)
おっちゃんは、何が真実で何が虚構なのか、大いに迷った。