第二百三十二夜 おっちゃんとマレントルクの『幻影の森』(後編)
ポッペが元気良く尋ねる。
「おっちゃんは、なんで幻影の森に来たんだ。武者修行か?」
「ちゃいますよ。森にヤスミナいう巫女さんが入っていったんで、連れ戻しにきたんよ。足跡がここで終わっているし、もしかして、ポッペさん、なにか知らん?」
ポッペが威勢よく発言する。
「人間は捕まえたら、森の外に捨てるんだ。だから、他の魔人が見つけていたら、もう森の外だと思う。ただ、もし魔人の誰かが見つけてないと、面倒な事態になっているかもしれないな」
「魔物に襲われた、とか?」
ポッペが大きく頷いて明るい声で指示する。
「よし、考えるより、行動したほうがいい、従いてきなよ。近くの『巨人の石』まで、案内してやるよ」
ポッペが元気よく歩き出したので、聞く。
「『巨人の石』って、どんなところなん?」
ポッペが機嫌よく教えてくれる。
「幻影の森にところどころある大きな石だよ。ときおり、幻影の魔物を生み出す厄介な石さ。壊しても、またすぐに出てくる面倒な物でもある」
「幻影の魔物っていうくらいやから、幻なん?」
「幻影の魔物は幻だけど、実体を持っているんだ。だから、触れもすれば、攻撃もしてくる。だけど、幻だからあまり頭はよくないし、作り物だから、倒してしばらくすると、消えるんだ」
(なるほど、マレントルクを襲ったファイヤー・ドラゴンも幻影の魔物やったんか。それなら納得がいくの。それにしても、ほんまに変わった島やで)
「ポッペさんの他にも、魔人さんて幻影の森に住んでいますの?」
ポッペが得意げに内情を語る。
「大勢いるよ。でも、人間には詳しくは教えちゃいけないんだ。人間は色々と知りすぎると、愚かな考えを起こすから」
(魔人にも色々あるんやな。人間とあまり深く関わっていかんのなら、色々と訊くと、ポッペはんを後々苦しめるかもしれん、あまり訊かんとこう)
おっちゃんは適当に相槌を打った。
「そういうものかもしれませんね」
おっちゃんが黙ると、ポッペは語らない。ポッペは、おっちゃんが黙っても機嫌よく森を進んでいく。
三十分ほど進むと、地面がお椀状に三mほど窪んでいる場所があった。窪みの中心には高さが五m、直径三mの人の顔をした石があった。石の前には誰かが倒れていた。
「ほら、あれが『巨人の石』だよ」とポッペが気軽に発言した。おっちゃんが地面を下りていって倒れている人間の傍に寄る。
相手は女性だった。女性はサリーマに似ていた。ただ、サリーマより少し背が低く、肩まで伸ばしたオレンジ色の髪を後ろで縛っていた。眉は細く、二重瞼で端正な顔立ちをしていた。
格好はサリーマと同じような石巫女の服を着ていたが、靴は履いていなかった。
心音や呼吸音を確認する。女性は眠っているようだった。
「ヤスミナはんのようやな。無事やったんか」
おっちゃんがヤスミナを背負おうとすると、ポッペが気前よく申し出た。
「人間は重いだろう。貸して。俺が運んでやるよ。どうせ、森に来た人間は見つけて外に運ぶのが決まりだし」
おっちゃんは悪いと思った。でも、ポッペがどうやってヤスミナを運ぶのか、興味があった。
「そうでっか、ほな、頼めますか?」
「よっ」と掛け声を掛けると、ポッペはヤスミナを両手で頭の上に担ぎ上げた。そのまま、鼻歌交じりに小走りに移動を開始した。
「ポッペさん、待って」
おっちゃんも走ってポッペを追った。
ポッペは森の中をすいすいと走っていく。おっちゃんは後方から従いていくだけで精一杯だった。
二十分足らずで森の外に出た。
「到着」とポッペが元気よく声を出すと、ヤスミナを下ろした。
「悪いけど、森の外にはいけないから、ここから先はおっちゃんが運んで」
「助かりましたわ。ありがとうです。何かお礼がしたいんですけど、何がええですか?」
ポッペが笑顔で要望を出す。
「なら、食い物を持っていたらちょうだい」
おっちゃんは持っていた食料を全てポッペに渡した。ポッペは食料の贈り物を喜んだ。
「けっこう持っているね。あ、魚があるね。おれ、海の魚は大好き」
「喜んでくれると嬉しいですわ。ほな、ヤスミナはんは連れていきますわ」
ポッペが手を振って、おっちゃんを送り出した。
「おう、元気でな、おっちゃん」
おっちゃんは、ぐったりしたヤスミナを背負って、街に向って歩き出した。
ぐったりしたヤスミナは重かったので休み休み歩く。
夕方には街の門が見えた。街に着いたので兵士の手を借りて、ヤスミナを寺院に運ぶ。
寺院の入口でイサムと会ったので声を掛ける。
「ヤスミナはんを見つけてきたで。確認してや」
イサムが急いでやってきて、ヤスミナの顔を確認する。
「間違いなくヤスミナ様のようですが」
イサムの口調は歯切れが悪く、嬉しそうでもなかった。
「なんや? なにか問題でもあったか?」
「ちょっとお待ちを」とイサムが困惑顔で発言し、急ぎ寺院へ戻って行った。
寺院から浮かない顔をしたサリーマとイサムが戻ってくる。
サリーマがヤスミナの顔を確認して、狼狽顔でイサムと顔を見合わせる。
「どないしたんや? サリーマはん、まさか、ヤスミナはんやないの?」
サリーマが困惑した顔で伝える。
「ヤスミナなんですが、ついさっき、自分の足で戻ってきたところでして」
「なに、どういうこと?」と、おっちゃんは首を傾げる。
寺院の入口から、おっちゃんが運んできたヤスミナとそっくりの人物が顔を出した。
「ヤスミナはんって、双子やった?」
サリーマが浮かない顔で答える。
「ヤスミナは、一人です」
「なら、おっちゃんが運んできた人間は誰?」
おっちゃんの問いには、誰も答えられなかった。ただ、寺院の入口では、ヤスミナが怪訝そうな顔をしていた。
眠ったまま目を覚まさないヤスミナを寺院の人間が運んで行った。
おっちゃんは寺院に入れてもらえなかったので、宿坊に戻る。
「お食事はどうしますか?」とイサムが訊いてきたので、「お願いします」と頼んだ。
少しすると、鳥肉と牛蒡の炊き込みご飯とトマトのスープが出てきた。美味しくいただく。
イサムが食器を下げに来た時に尋ねる。
「二人のヤスミナはんは結局、どうなったん? おっちゃん、気になるわ」
イサムが浮かない顔で教えてくれた。
「寺院ではどちらかが魔物が化けているのだろう、との話になりました。なので、どちらが魔物とわかるまでは、危険なので監禁する方向になりました」
「以前にも、魔物が人に化けて街に入ろうとした事件があるんか?」
イサムが暗い顔で答える。
「私が寺院に来てからは初めてですよ。サリーマ様でも区別がつかないんです。弱ったものです」
おっちゃんが夜に寝ていると、人の気配で目を覚ました。
窓から外を見ると、寺院に兵士が入ったり出たりしていた。
(寺院に兵士やと、ヤスミナはんの件で何かおきたんやろうか)
やがて、巫女長と思わしき老婆が兵士に連れられて外に出て行く。
「何か事件の香やな」
おっちゃんは、出て行くかどうか、迷った。おっちゃんは完全な部外者で、信用を得ているわけではない。下手に動けば誤解される恐れがあった。
おっちゃんは迷ったがベッドに戻った。
玄関が静かに開く音がする。おっちゃんは黙って寝た振りを決め込む。
足音がそーっとおっちゃんのいる部屋に入ってきた。
音から推察するに相手は二人。一人はイサムのものだった。もう一人は衣擦れの音から兵士だと悟った。
おっちゃんは起きるかどうか迷った。でも、寝たふりを続行する。
イサムのひそひそ声が聞こえる。
「どうやら、お休みのようですが。起しますか?」
「起さなくていい」とナディアの小さな声を、おっちゃんの耳が拾った。
二人はおっちゃんが寝ている状況に満足したのか、そーっと部屋から出て行った。
(これは何か起きたで。隊長のナディアはんが動いとるから、そこそこ大きな事件やな)
今晩は動かないほうがよいと思ったので、朝まで眠りに就いた。




