第二百三十一夜 おっちゃんとマレントルクの『幻影の森』(前編)
朝起きると朝食がすぐには出てこなかった。催促に行く態度も居候としてどうかと思うので、待った。
昨日より一時間ほど遅れてイサムがやってて詫びる。
「お待たせしました。今朝、ちょっとごたごたがあったものですから、食事を作るのが遅くなりました」
「ごたごたって、なに? また、モンスターでも出たんか?」
イサムが心配した顔で告げる。
「石巫女のサリーマ様には妹がおります。妹さんも石巫女で名をヤスミナといいます。そのヤスミナ様が姿を消しまして、騒ぎになっていたのです」
「そうか、昨日、なんぞ嫌な出来事でもあったのかの」
イサムが弱った顔で告げる。
「それがですね。全く心当たりがないのです。動機も理由も心当たりも、さっぱりです」
「そうか。それは気になるの」
おっちゃんも一緒に探してやりたかった。だが、ヤスミナの顔もわからなければ、行きそうな場所もわからないので諦めた。おっちゃんは朝食の後に図書館に向った。
図書館といっても小さなもので、蔵書は四千冊程度しかなかった。蔵書は子供向けのお話や実用書がほとんどだった。
おっちゃんはカウンターにいた司書の女性に尋ねる。
「外国について書かれた本って、ありますか?」
司書の女性が困った顔で告げる。
「司書のソフィアよ。御伽噺ならあるけど他はないよ。島の外には海しかないと、ついこの間まで思っていたからね。おっちゃんが来て外に大地があるってわかったくらいさ」
「御伽噺ってどんなん?」
「どうやってこの島ができたかとか、島の四つの領内がどうやってできたとかだよ」
(単純な昔話の類やね)
「なら、『幻影の森』について書かれた書物は、ありますか?」
ソフィアは残念ながらと言いたげな顔で教えてくれた。
「それもないね。お城の書庫にならあるかもしれない。だけど、お城の書庫は特別な人間にしか開放されてないからわからないわ」
(これは、直接に『幻影の森』に乗り込んでみないと、情報が得られんな)
おっちゃんはバック・パックに保存が利きそうな食料を入れ、探索に必要な物を市場で揃えた。
「探検は明日にしようか」
おっちゃんが宿坊に戻ると、庭の手入れをしているイサムと会った。
「どうや、ヤスミナはんは見つかった?」
イサムが浮かない顔で答える。
「それがですね、どうやらヤスミナ様は『幻影の森』に入っていったようなんですよ」
「そうか、危険やな。捜索隊はもう出ているんか?」
イサムが悲しそうな顔をする。
「残念ですが、マレントルク人は巫女長の許しなしに『幻影の森』に入ってはいけない掟があるんです。なので、『幻影の森』にヤスミナ様が入られたのなら探しようがないんです」
「よっしゃ、なら、おっちゃんが探しに行ったるわ。おっちゃんはマレントルク人やない」
イサムが浮かない顔で注意する。
「そうしていただけると助かります。ですが、『幻影の森』は恐ろしいところ。入ったらタダではすみませんよ」
「危険は承知の上や。サリーマにはなにかと世話になっとる。困っているのなら助けてやりたい」
「なら、サリーマ様を呼んできます。少々お待ちください」
おっちゃんは冒険者の格好になった。装備を確認しているとサリーマがやってきた。
サリーマの顔には不安がありありと出ていた。
「おっちゃん、妹のヤスミナを探しに『幻影の森』に行っていただけるとは本当でしょうか?」
「本当や。できれば、地図とかあると嬉しいんやけど。『幻影の森』については情報はなにもないんやろう?」
サリーマが表情を曇らせて教えてくれた。
「ここから一時間ほど歩いて行った場所にある森で、魔物が生まれる場所としかわかりません。また、森は神の山を囲むようにしてあるので、かなり広いとしかいいようがありません」
「なら、時間が惜しい。すぐにでも出るわ」
サリーマが弱った顔で告げる。
「すぐにでも行って欲しいのですが、出発は少し待ってください。今、巫女長がおっちゃんが『幻影の森』に入ってよいか、神の岩にお伺いを立てています。結果が出るまでお待ちください」
(岩にお伺いを立てる手続きは煩わしい。せやけど、サリーマはんの文化を尊重せんと後がやりにくうなる。従うしかないな)
「よし、おっちゃんは捜索に時間が掛かってもええように、もう少し保存が効く食料を購てくるわ」
おっちゃんは食料品市場に行って、食料を買って寺院に戻る。入口でサリーマが待っていた。
サリーマが落ち着かない様子で声を掛けてきた。
「巫女長より回答がありました。マレントルク人ではないおっちゃんは『幻影の森』に入っても問題ないとの神託を得た、とのお言葉がありました。危険かもしれませんがヤスミナの探索をよろしくお願いします」
「勝手のわからない場所でどこまでやれるかわからないが、できるだけの努力はするつもりや」
「では、森の入口まではお送りしますね」
おっちゃんはサリーマと兵士に付き添われて、『幻影の森』の近くまで移動した。
森の入口で足跡を調べると、森に入っていく人間の足跡が残っていた。
(マレントルクの人間が入ってはいかん決まりがある森や。そんな場所に残っている足跡なら、ヤスミナのもので間違いないやろう)
「足跡が見つかった幸運に感謝やな、これならヤスミナの後を追うのも難しくないかもしれん」
「よろしく、お願いします」とサリーマが真剣な顔で頭を下げた。
おっちゃんは鬱蒼と茂る森に足を踏み入れた。森の中を進むと、開けた場所に出た。
森の中にできた空間は直径十五mほどの円形の空間だった。円形の空間に入ると、ヤスミナの足跡は急に途絶えた。
(なんや? 急に足跡が消えたで。どないなっとるんや?)
おっちゃんが空間でうろうろしていると、入ってきた方向の反対側から体長が四mもある大きな虎が出てきた。虎の接近には気付かなかった。
(おかしいで。まるで、気配がなかった。それに、あの虎から威圧感がまるでない。こっちが風下なのに匂いもない。本物の虎か?)
おっちゃんは虎に怪しい物を感じた。虎から視線を外さないようにしつつも辺りの音に警戒する。
集中したおっちゃんの耳が微かに動く足音を拾った。
足音はおっちゃんの背後に回り込むように移動していた。おっちゃんは剣を抜く。
(なるほど、目の前の虎に注意が行っていると背後から襲われるわけやな)
おっちゃんは相手が仕掛けてくるタイミングを計った。
虎が跳び懸かって来た。おっちゃんは虎に背を向けると、斜め後方に跳んで虎とすれ違う。背後から近づいてきていた存在が目に入った。
相手は半袖の緑のシャツに緑の半ズボンを穿いていた。防具は鉄兜と胸当てをして手には短めの金棒を握っていた。相手の身長は百五十㎝。肌の色は青色で、頭からは小さい角が二本にょっきり出ている。
相手はおっちゃんに気付かれた事態を知ると攻撃を中止して後ろに跳躍する。跳躍力は大きく、おっちゃんとの間に五mの距離が開いた。相手は金棒を正眼に構える。
(並の跳躍力やない。金棒を構える姿も堂に入っている。噂の魔人か)
魔人は金棒を構えたまま、距離をじりじりと詰めてくる。
おっちゃんは剣を下段に構え、半身の姿勢をとる。
距離が三mを切ったところで、魔人が金棒を下ろした。魔人の背後にいた虎も消えた。
魔人が気の抜けた顔で発言する。
「やめた。あんた、強そうだ」
言い終わった瞬間に魔人は高速で動いた。踏む込みは一歩だった。だが、急激におっちゃんとの距離が縮む。一瞬で、おっちゃんを金棒の間合いに入れて、金棒を振り下ろした。
おっちゃんは横に移動して攻撃を避ける。おっちゃんは剣の側面で魔人の手を打とうとした。
地面が不自然に滑った。おっちゃんは思わず地面に手を突く。
魔人が会心の笑みを浮べて金棒を振り上げる。
おっちゃんは、突いた手を軸に、体を廻すようにして蹴りを魔人の足に見舞う。
魔人は一歩さっと後ろに引いて、おっちゃんの蹴りを躱す。
おっちゃんは蹴りの勢いを利用して、体を捻って距離を空けて立ち上がった。
魔人が感心した声を出す。
「足を滑らせた体勢から持ち直すとは、バランスがずば抜けていいね」
「あんさんの距離を縮める踏み込みも、なかなかやで」
魔人が笑顔を浮かべ、武器を下ろして腰に佩いた。
「今度は本当に止めるよ」
おっちゃんも武器を下ろして、仕舞った。
「そうか、助かるわ。無用な争いは避けたいと思ったとこや」
「俺はポッペ」と魔人は笑顔で寄ってきて握手をするように手を出す。
「わいは、おっちゃん」と、おっちゃんがポッペと握手しようとすると、ポッペが動いた。
ポッペの手がおっちゃんの襟を掴み、背負い投げの体勢を採る。
おっちゃんはすかさず足を絡めて抵抗する。おっちゃんはポッペの首に腕を回して絞め技を試みる。
ポッペの体が不自然に滑って、絞め技から脱出する。そのまま、ポッペは転がって間合いを空ける。
ポッペが金棒を構える。金棒が、おっちゃんの武器と同じ、エストックに変化した。
おっちゃんは、黙って剣を抜いた。
ポッペがおっちゃんと同じ構えを採る。数秒、ポッペと見詰め合う。
ポッペが不満げな顔で発言する
「まずいね。これは殺し合いになるね」
「そうやろうね。ポッペはんは中々の腕やから、どちらかが死ぬね」
ポッペは武器を金棒に戻して腰に佩いた。ポッペが頭を下げた。
「いきなり襲って悪かった。謝る。許してくれ」
おっちゃんはポッペから闘志が薄れるのを感じたので剣を仕舞う。
「謝る必要はないよ。魔人さんの住処に勝手に入ってきた人間は、おっちゃんやからね。戦いにならないなら嬉しい展開やわ」
 




