第二百二十二夜 おっちゃんと『愚神オスペル』からの褒美
おっちゃんは宮殿の廊下を歩いていた。蠍人の秘書に通されてユーミットに謁見した。
「こんにちは、ユーミットはん。今日は、お願いがあって来たんよ」
ユーミットが柔らかい顔で訊く。
「おっちゃんからの頼みとは珍しいですね。いいですよ、なんですか」
「あんな、『アイゼン』陛下に話しをして、ニコルテ村の地下を流れる水の量を増やしてくれるように嘆願してもらえんやろうか」
『黄金の宮殿』の主である、『無能王アイゼン』は火と水を扱うダンジョン・マスターである。
ダンジョン・コアの力を使えば、地下水の量を増やす作業はお手の物。ただ、ダンジョン・コアの力で水を増やす行いを良しとするかは不明だった。
「わかりました。ニコルテ村でおっちゃんは目覚しい業績を上げてくれました。嘆願してみましょう」
「ありがとう。どうしても、人間が増えると、水が必要になる。水を輸入するにも限界がある。地下水の量を増やしてくれると、助かるわ」
ユーミットに嘆願をお願いして、一週間が経った。
朝起きて井戸を見に行く。井戸の水位が目に見えて上がっていた。
おっちゃんは飛び上がらんばかりに喜んだ。
「やったで。水が来たで。これで、村の水不足を解消できる」
新しい井戸を一箇所、セバルの家の近くに掘る。並々と水を湛えた井戸ができた。
新たにできた井戸を見て、呪われた民は涙ぐむ。
「セバルはん、みて、水や。これだけあれば、モレーヌはんから教えてもらった方法なら、ラヴェンダーを栽培できるかもしれんで」
セバルは感謝の篭った顔を浮かべた。
「ありがとう、おっちゃん」
ニコルテ村は順調だった。村には新たにやってくる木乃伊も増えた。呪われた民もやってくるので、村人は五百人にまで増えた。
石材、霊園、講演会、線香と、村に金は落ちる。これでラヴェンダー栽培も成功すれば、村の繁栄は簡単には揺るがないように思えた。
「おっちゃんも、そろそろ家を建てようか」と考えていると、おっちゃんを訪ねてくる人物があった。
フィルズだった。フィルズが改まって頭を下げる。
「おっちゃん、久しぶりだな。その節は『オスペル』様が大変お世話になった。礼を言いに来るのが遅くなってすまない」
「ええよ。フィルズはんかて、忙しかったんやろう」
フィルズが明るい顔で尋ねる。
「サミットのあと、色々あってな。今日は『オスペル』様の命を受けやってきた。『オスペル』様は、おっちゃんの接待を大変に気に入り褒美を下さる。なにがいい?」
「接待と言うても、大した仕事はしとらんからな」
フィルズはどんと構えた態度で、力強く発言した。
「遠慮なく申し出てくれ。『オスペル』様におおよそ不可能な業はない。ここぞとばかりに言ってみろ」
「そうか。なら、国家が欲しい――って、さすがに、これは無理やろう」
フィルズが複雑な顔をする。
「国家か。行けるかもしれんな」
「え、ほんま、国やで、国。いくら『オスペル』はんかて、不可能やろう」
フィルズが真剣な顔をする。
「実はな。『オスペル』様が珍しく、自分から事業を始める気なのだ。その事業の中身だが、『オルトカンド廃墟』の再建だ」
「街一つが廃墟になっている場所を復興させる気なんか?」
フィルズが神妙な面持ちで発言する。
「そうなのだ。街を復興させるには基礎となる人が必要だ。それも、膨大な数だ。もし、我々との節度ある共存ができるなら、『迷宮図書館』は街を人間に渡してもいい」
「『オルトカンド廃墟』を貰って独立すれば確かに国家やね」
フィルズが難しい顔で意見を述べる。
「そうだ。もっとも『迷宮図書館』は独立宣言を出しても構わん。だが、『オルトカンド廃墟』を領内に持つ人間の国家がどう反応するかは知らん」
「余計な言葉を漏らしたの。これ、おっちゃん、自分で自分の首を絞めたで。国家の建設が可能なのか。ああー、どないしよう」
フィルズが帰った後、おっちゃんは悩んだがセバルを訪ねた。
セバルが愛想よく、おっちゃんを迎えてくれた。
「こんにちは、セバルはん。実は重大な話があるんよ。人払いしてもらっても、ええか」
セバルが神妙な顔で他の者に指示する。
「珍しいな。おい、ちょっと、他の者は席を外してくれ」
おっちゃんとセバルだけになった。
「あんな、セバルはん。まだ、国家を樹立したい気ってある?」
「ある」とセバルは真剣な顔になって、力強く発言した。
「実はな、おっちゃんの伝を辿ったら、街が一つ手に入りそうなんや」
セバルは驚きを隠さずに訊いてきた。
「街が一つ手に入るって、おっちゃんは、いったい何者なんだ」
「それは、しがない、しょぼくれ中年冒険者やけど。いや、その話はいいねん」
セバルが平静を取り戻して話を続ける。
「わかった。いつの日かおっちゃんが何者か聞かせてくれ。それで、手に入る街ってどんな街だ?」
「『オルトカンド』いう街やねん。今は人が住んでない、廃墟や。ただ、街の中央には『迷宮図書館』いう大きなダンジョンがある」
セバルが腕組みして難しい顔をする。
「冒険者をやって、わかった。ダンジョンは金になる。ダンジョン持ちの都市なら、手に入れば都市の維持は可能かもしれない」
「そうやねん。周りの土地は豊かではない。けど、それはここも同じや。せやから、この土地で培った線香事業のノウハウとダンジョンの上がりがあれば、貧しくともやっていける街になるかもしれん」
セバルが真剣な顔をして身を乗り出す。
「手に入った都市で独立宣言を成立させられれば、確かに小さくとも国家だ。だが、大勢で廃墟に勝手に住み着いて独立宣言を出せば、都市を領内に持つ国王は捨ててはおけないだろう」
「そうや。きっと、潰しに来る」
セバルが怖い顔で天を仰ぐ。
「それに、せっかく線香事業を我が民のための独占事業にしてくれたのに、『オルトカンド』で線香製造業をやれば、ユーミット閣下の恩を仇で返す展開になるな」
「そやねん。だから、おっちゃんもこの話をセバルはんにするか迷った」
セバルが苦痛に満ちた表情で呻く。
「小さくとも国家を目指す苦難の道のりを行くか。それとも、バサラカンドに定住してこの街と共に生きるか」
セバルが複雑な表情をする。
「実はな、おっちゃん、俺は個人的にはバサラカンドに定住したいと思っている。バサラカンドはいい街だ。木乃伊も普通に働けるくらい懐が深い。それに、生活は安定してきた。冒険者をやっているが、冒険者生活も俺の性に合っている」
「そうか。それは村の人間としては嬉しいわ」
セバルは寂しげな顔をする。
「だがな、おっちゃん。我が民の全てがこの幸せを享受できているわけではない。おそらく、不満を持つ人間のほうが多いだろう。そこに国家の話を持っていけば間違いなく飛びつく」
「自分をありのまま受け入れてくれる街を欲しい気持ちはわかる」
セバルが初めて弱気な顔を見せた。
「でもな、おっちゃん。俺は怖いんだ。不満を持った人間を救うために、今を喜び生きる人間を犠牲にするかもしれない未来を俺は怖れている。国家の話に乗れば、平穏に生きている民が安定した生活を捨てざるを得なくなる」
セバルは一度、言葉を切ってから、苦しげな顔で告げる。
「それに、国家の話は成功するとは限らない。樹立に失敗すれば我が民は居場所を失う」
「そうやろうねえ。戦争になれば必ず負けるやろうし、国中の人から敵視される」
セバルは真剣な顔で伝える。
「そこまで、わかっている。だが、俺は我が民に国家の話をしたい」
「わかった。話してみて」
セバルは深々と頭を下げた。
「ありがとう、おっちゃん」