第二百十四夜 おっちゃんと急な来客
エリフとアダムは村に残って教会に住む方針になった。教会では春に向けての畑の開墾が行われていた。
モレーヌが鎚を鍬に換えて畑を耕し、アダムとエリフが水を入れる竹筒の準備に追われる。
乾燥地帯では水を大量に使う農業は向かない。だが、方法はある。畑の上に極小の穴が開いた長い竹の筒を通す。竹の筒に水を入れてやれば、小さな穴から雫が滴り落ちる。その下に作物を植える手法で、少ない水で植物を育てることができた。
おっちゃんはモレーヌたちの作業を見ながら感心する。
「ほー、考えるものやな。これで、乾燥に強い品種を少ない水で育てるわけか」
野良作業着に着替えたモレーヌが明るく答える。
「大地の神を奉る神殿に伝わる農業の形態です。米や麦は難しいのですが、乾燥にとても強いバサラ・ラヴェンダーなら育つと思います」
「なして、ラヴェンダーにしようと思ったん?」
モレーヌがニコニコ顔で答える。
「簡単に言えば、高く売れるからですよ。バサラカンドでは農作物を作るより、花を育成して売ったお金で麦や米を買い揃えたほうが安く上がります。それにラヴェンダーなら、葬儀の棺に入れられます」
「そうか。鮮度の良い花が安く仕入れられると、クリフトはんも喜ぶやろう」
モレーヌが笑顔で内情を明かした。
「実はラヴェンダー栽培の提案はクリフトさんからあったんです。クリフトさんはラヴェンダーを使った葬儀も、既に計画中です」
「なんや。花を植える前からもう売る計画を立てているのか。ほんま、精力的な爺さんやで」
皆で笑い合っていると、遠くからアイヌルが血相を変えて駆けてきた。
「アイヌルはん、そんなに急ぐと転ぶで」
アイヌルが慌てた顔をして告げる。
「大変です。おっちゃん。バサラカンドでサミットが開かれるんですよ」
「サミット? ああ、あれか、御偉いさんが集まって会議する奴か、そんで何が問題なん」
アイヌルが緊迫した顔で口早に告げる
「集まる大物が人間じゃないんです。ダンジョン・サミットが開催されるんですよ。ダンジョン・マスターが、バサラカンドにやって来るんです」
何年かに一度、ダンジョン・マスターが集まって議題を話し合うダンジョン・サミットは有名だった。だが、いずれも、ダンジョン内で行われており、人間の街が受ける影響はほとんどない。
(バサラカンドには『無能王アイゼン』が治める『黄金の宮殿』がある。今回のサミット開催地は『黄金の宮殿』か? 『黄金の宮殿』なら、何度も開催地になった過去がある。問題ないやろう)
おっちゃんも、この時点では、まったく問題がないと思っていた。
「そうか、ダンジョン・サミットか。それは、また大きなイベントやな」
アイヌルが強張った顔で、告げる。
「そうです。それで、今回はバサラカンドでは出席者のマキシマム教皇と『オスペル』陛下の接待役を、ユーミット閣下が仰せつかったんですよ」
(教皇は他のダンジョンに行ってはいかんの決まりがあったのに、ダンジョン・マスターの一員として呼ばれたんか。今回は何か大きな議題があるのかもしれんの。時代が動く時やからな)
「そうか。ユーミットはんも、大変やな」
アイヌルが困った顔で叫ぶ。
「他人事じゃないんですよ。『オスペル』陛下は、ニコルテ村での滞在を希望しているんですよ」
寝耳に水だった。おっちゃんは、事態がここに及んで、慌てた。
「なんやて? こんな何もない場所に来られたかて、持て成しようがないぞ。その話は断って」
アイヌルが泣きそうな顔で告げる。
「無理ですよ。『オスペル』陛下たっての希望だそうで、ユーミット閣下が『アイゼン』陛下から直々にニコルテ村で接待するように命じられたんです」
「『アイゼン』陛下直々の依頼やと? それは断れんな。どうする。相手は『迷宮図書館』のトップやぞ。失礼があってはいかん。それで、いつ来るん」
アイヌルが青い顔で告げる。
「来週です」
「そんな、無茶やん。来週って、四日後やん。どうして、もっと早く教えてくれへんの」
アイヌルがほとほと弱った顔で言い返す。
「私だってさっき聞いたんですよ」
「警備とかどうするんよ?」
アイヌルが緊張した顔で告げる。
「『黄金の宮殿』から一万の木乃伊兵が来て、明日からニコルテ村周辺の警備をするそうです。ニコルテ村は『オスペル』陛下が滞在する二泊三日のうち、一泊分の寝泊まりする場所と食事を用意してくれればいい、と言われました」
「そんな、一泊って簡単に言うてくれるけどね。おっちゃんは『オスペル』はんの情報を、ほとんど知らんよ。好きな物や嫌いな物って、わかる?」
アイヌルが、どうしようと言いたげな顔で告げる。
「それが、全部お任せだそうです」
「そういう、偉い人のお任せって、無茶苦茶に困るやん。『迷宮図書館』からの連絡事項はないの?」
アイヌルが沈んだ顔で告げる。
「一言だけ。当日を楽しみにする、と」
「ひどいで、この話。ありえへんやろう、こんな仕事。偉い人の接待って事前準備が大事なんよ」
アイヌルが怒った顔で命じる。
「でも、もう決まった内容なんですよ。もう、やるしかないんですよ」
「わかったよ。とりあえず、飲み物と食べ物の手配をおっちゃんがする。アイヌルはんは、家を片付けて、『オスペル』はんが泊まれるようにして」
アイヌルが大きく目を見開いて驚いた。
「家に泊めるんですか?」
おっちゃんは怒鳴るように発言する。
「葬儀屋や教会に泊めるわけには、いかんやろう。だったら、村長宅しかない」
アイヌルが不安で溢れそうな顔をする。
「そうですけど。本当にここで、よいんでしょうか」
「本当はバサラカンドの宮殿に泊まって欲しいけど、相手の要望がニコルテ村なら、村長宅しかないやろう。もう、本当に何を考えているんや、『オスペル』はんは」