第二百十三夜 おっちゃんとアンデッド化希望者
二ヵ月後、二回目の講演会の日がやってきた。
二回目の講演会は前回の教訓があったので、取り立てて混乱もなかった。アフメト老師は予定通りに講演に訪れてくれた。講演会は盛況の内に終わった。
売り上げの金を数えるアイヌルは機嫌がよかった。
「講演会って、意外と儲かるんですね。収支は上々ですね」
「ハリルはんのおかげで小さいながらも教会も建った。木乃伊たち用の墓の整備も進んどる。村造りは順調やな」
ハリルの協力を得て村に小さな教会を建てて、モレーヌに安く貸していた。
人間の入居が始まれば教会は必要になる。また、葬儀に使うにも使える施設なのでクリフトが資金を援助してくれたのも、建設の決め手になった。
誰かが家のドアをノックする。扉を開けると木乃伊のユスフが立っていた。ユスフは困った顔をしていた。
ユスフの隣には十五歳くらいの黒髪の女の子がいた。女の子が真剣な顔で発言する。
「私はエリフ。私を木乃伊にして仲間に加えてください」
「急にそんな言葉を言われてもね。なんで木乃伊になりたいと思ったん?」
エリフは思いつめた顔で発言する。
「私は人間として生きることが嫌になったんです」
エリフの背後を見る。だが、付き添いの大人の姿は見えんかった。
(乗合馬車も帰ってしまった。ここからサドン村まで歩かせても一時間は掛かる。日はまだ高いが一人でサドン村まで歩かせる行為は危険やな)
「そうか。なんか嫌なことがあったんやな。悪いが簡単には木乃伊にできん。それに、おっちゃんたちはまだ講演会の後始末が残っているねん。今日のところは教会に泊まっていってくれるか?」
「わかりました」とエリフが真剣な顔で頷く。
おっちゃんはエリフを連れて教会に行く。教会のドアを叩くと、困った顔をしたモレーヌが出てきた。
「おっちゃん、いいところに来てくれました。実は困ったことがありまして、相談に乗ってもらってもいいでしょうか」
「どうした、何か問題か。あるなら教えて」
「実は、その、木乃伊になりたいと仰る、アダムさんと名乗る老人が見えられたんです」
「そっちも、別の人間が来たんか。実はおっちゃんところにも、エリフいう木乃伊志願者の女の子が来とってな。教会でひとまず預かってもらおうと思ったんよ」
モレーヌが困惑した顔で述べる。
「教会にお泊めするのはいいんですが、なんで木乃伊になりたいだなんて」
「生きているのが嫌になったらしいんよ。そっちのアダムさんは?」
モレーヌが浮かない顔で話す。
「アダムさんは死ぬのが怖いから木乃伊になりたい、と仰っていました」
(理由は真逆なのに、結論は同じとは皮肉やな)
「そうか、なら、明日、二人から詳しく話を聞くから、今日のところは泊めてやってもらえんか」
「わかりました」
モレーヌにエリフを預けて家に戻る。
「どうでした?」とアイヌルが曇った顔で訊いて来る。
「モレーヌのところにも、アンデッド化の希望者が来ていた。世の中、どないなっとるんやろうな?」
アイヌルが浮かない顔で訊いてきた。
「おっちゃんはなんで、すぐに追い返そうとしないんですか?」
「木乃伊になりたい衝動は一種の逃げや。なにから逃げて来たのか知らんが。逃げて来た者を追い返しても、碌な結末にならん。村にはまだ余裕があるから、逃げ場所を貸してやるくらいええやろう」
アイヌルが神妙な顔で告げる。
「おっちゃんの考えはわかりました。私もどうにかしたいと思います。きっと、ニコルテ村を存続していけば必ずぶつかる問題だと思います」
「アイヌルはん。新しくやってくる五十人の木乃伊の受け入れとか、石材業の管理とか、別の仕事があるやろう。ここは、おっちゃんに一旦、任せてや」
翌日、アダムとエリフに会いにモレーヌの教会に行く。
教会の礼拝堂の背凭れがないベンチに二人を座らせ、おっちゃんはアダムとエリフと向かい合って座る。
「まず、木乃伊になりたいからといって、簡単になれるものではないよ。単純に死体に魔法を掛けても、意志のない動く死体になるだけやからね。単なる動く死体にはなりたくないやろう」
エリフが浮かない顔で答える。
「動く死体になりたいわけではありません。私はニコルテ村の木乃伊さんのようになりたい」
アダムも表情を歪めて同意する。
「動く死体なら、死んでいるのと変わらん。それは願い下げだ」
「ほな、まず、アダムはんから事情を聞くわ。死にたくない気持ちはわかる。せやけど、死は必ず訪れるもんや。怖いからといって避けられるものやない」
アダムが皺のある顔で寂しげに語る。
「昨日、アフメト老師の言葉を聞きました。死後の世界はあると、アフメト老師はいいました。ですが、私は死後の世界に行きたくない。この世界にいたいんです」
「アンデッド化してまで、こっちの世界にいたい理由ってあるの?」
アダムが言い辛そうに語った。
「私には物心が着いた時には、両親がおりませんでした。結婚して妻がいましたが、離婚しました。息子は二人います。二人とも今はマサルカンドで暮らしています」
(なんや、家族がおらんくて寂しいのかもしれんな。それで、木乃伊になって仲間に囲まれたいのだとしたら、少々悲しいの)
「そうか。でも、寂しいならマサルカンドの息子さんの元にいったらええんやないの?」
アダムが悲しげな顔で首を振る。
「私は立派な父親ではありませんでした。息子たちにこれ以上の迷惑は、掛けたくありません。さりとて、この世界が嫌いなわけでもありません。一人の生活も気ままで気に入っています。私はずっと、この生活を続けて暮らしていきたい」
(それほど生に強い未練があるわけやない。一人で生きてきて、漠然とした不安に襲われた。そんで不安な心境を相談できる人がおらず、ここに辿り着いた、っちゅうわけか。村で受け入れる分には、問題ないな)
「アダムはんの事情はわかりました。次にエリフはんの事情を話してくれるか」
エリフが緊張した顔で口を開く。
「私はサバルカンドに家がありましたが、モンスターの暴走に巻き込まれ両親が亡くなりました。親戚を頼って、バサラカンドに来ました。バサラカンドの親戚の家では、よくしてもらいました」
「そうか、なら、なんで、死にたい言うてニコルテ村に来たん?」
エリフがぎゅっと拳を握って下を向く。
「親戚から結婚の話が出たんです。相手は全く知らない人でした。その時、思ったんです。このまま、結婚して、子供を産んで年をとって死んでいくんだろうか、って」
「そうやろうね。でも、世の中の半分くらいの人はそういう生き方やろう。それに、そんな悪い人生やないと思うよ」
エリフが悲観的な顔で告げる。
「そこで思ったんです。これから、苦しいことも、辛いこともある」
「でも、楽しいことも、嬉しいこともあるで」
エリフが不安で満ちた顔で、言葉を続ける。
「辛いことや苦しいことのほうが多いでしょう。だったら、もう、終わりにしたい。でも、死後の世界なんてものがあるなら、行きたくはない。ここの木乃伊さんたちのように、その日、その日を気ままに暮らしたい」
(意にそぐわない結婚話が出て混乱したんやろうな。そこに来て漠然とした将来の不安が重なって逃げ出した、いうところか。それほど強く木乃伊になりたいわけでもないやろう)
「エリフの年は、いくつなん? 偽らんと教えてくれるか」
「十七です」とエリフは強張った顔で答えた。
(結婚できる年齢やし、成人したばかりか。エリフが心配なら親戚が迎えに来るやろう。来なかったら、逃げ出したエリフに行き場がない。エリフは、村で受け入れるしかないの)
「よっしゃ。二人の話は、わかった。村に受け入れてもらえるように、村長に話したる」
アダムとエリフは深々と頭を下げた。
「ほな、木乃伊の話も聞いてみるか。木乃伊になってからじゃないとわからない状況もあるやろう」
教会を出て石切り場に行くと、ハリルとユスフが木乃伊を指導していた。
本来ならハリルの言葉は木乃伊に伝わらない。だが、ハリルは死者と会話できる首輪を冒険者から購入していた。相当な値がしたらしいが、ハリルはおかげで木乃伊たちと話せる状態になっていた。
「こんにちは、ハリルはん。精が出るね」
ハリルが元気もよく答える。
「ああ、何せ、基礎がわかっていない連中に教えるからな。一からの手ほどきだ。ユスフはわかっているようだが、俺からいわせれば、まだまだ。鍛え直しだ」
『死者との会話』を唱えて、ユスフに話し掛ける。
「ユスフはん、ちょっと相談に乗ってもらって、ええか? 木乃伊になりたいっていう、アダムはんとエリフはんが来てるんよ。ユスフはんの意見を聞きたい」
ユスフが作業の手を止める。アダムとエリフの顔を見て、浮かない顔をする。
「木乃伊になるのは、やめたほうがいいですよ。木乃伊になれば、食べる楽しみもなくなれば、人と話すこともできなくなる。それに、木乃伊になれば生前の記憶もなくなる」
おっちゃんは通訳する。アダムとエリフは真剣な顔で黙って聞いていた。
エリフが強張った顔で質問する。
「ユスフさんは木乃伊になって後悔しているの?」
「後悔もなにも、気が付けば、なっていただけ。なら、現状を受け入れたほうがいい。幸いに俺には石工の技術があった。受け入れてくれる村もある。優しい相談役もいる。ここまで恵まれた環境はそうはない」
アダムが難しい顔で尋ねる。
「ならば、現状には満足しているのだろう」
ユスフが寂しい顔で答える。
「現状には満足していますね。でも、人には、アンデッド化を勧めません」
ユスフがエリフとアダムを交互に見る。
「人には人の幸せがあり、終わりがある。ただ、俺は終わったあとに、アンデッドとして始まっただけ。なら、エリフさんもアダムさんも、まだ、別の始まりがあるかもしれない。それをアンデッドになるだけの可能性に絞る態度はよくない」
ハリルがしんみりした態度で口を開く。
「ユスフ、お前、そんな風に思っていたのか」
「別の可能性か」とエリフが暗い顔で思案する。
「ワシは、そんなふうに考えたことがなかった」とアダムが難しい顔で考え込む。
おっちゃんはアダムとエリフに声を掛ける。
「すぐに、答えは出さなくても、よろしい。いたければ、村にいればええ。ただ、働いてはもらうけどな」




