第二百十二夜 おっちゃんと老いた石工
モレーヌが来た一週間後に、村長の家にお客が訪れた。お客は体のがっしりした老人の石工だった。
老人の石工は気難しい顔をして頼んで来た。
「儂の名は、ハリルだ。バサラカンドで石工をやっている。ちょっと、ここの仕事を見せてもらいたい」
アイヌルは村の状況報告のためにバサラカンドに出かけていたので、おっちゃんが対応する。
「わいはおっちゃんいう村の相談役です。大した職人はいませんが、ええですよ。案内しますわ」
おっちゃんはハリルを伴って石切り場に向かい、途中に拡張中の野外劇場の前を通った。
ハリルが足を止めたので、おっちゃんから声を掛ける。
「ここは野外劇場です。木乃伊のみんなが協力して作りました。もっとも、素人の手作りみたいな物ですから、専門の石工さんにお見せできるほどの物ではないですわ」
ハリルが目を細めて石を確認する。
「仕事が粗い場所と丁寧な場所があるな。建築に関わった大勢は素人だが、プロの石工が混じってやっている仕事だ」
「わかりますか。野外劇場を建築した際には木乃伊の中には三人ほど石工の技術に優れた者がおりました。三人が中心になって建ててくれたんですわ」
ハリルがジロリとおっちゃんを見る。
「そうかい。そうだろうね。ちなみに、その三人に名前はあるのかい」
「イスマイル、ユスフ、ヤシャルといいますねん」
木乃伊の名前を告げると、ハリルの眼が一瞬ぎらっと険しくなった。
「どうか、されましたか」と訊くと、ハリルは「別に」と目を背けた。
石切り場に到着する。木乃伊が石を切り出し、加工をしている現場に来た。
「切り出しは大勢でやっていますが、仕上げや加工は石工希望者がやっています。最初は三人だけでしたが、今は十二人を訓練しています。十二人は見習いですが、行く行くは村の産業を背負ってくれる立派な石工にしたいと思うてますねん」
ハリルが幾分か表情を険しくして、お願いしてきた。
「石工を訓練しているところを、見せてもらえるかい」
「ここが作業場です」と、おっちゃんは案内する。
九人の木乃伊が、イスマイルとユスフに指導を受けて石材を加工していた。
ハリルが木乃伊の手ほどきを見ていると、おっちゃんに頼んだ。
「指導者の腕が知りたい。指導しているイスマイルさんとユスフさんの作品を見せてもらえないかね」
「二人が彫った墓石の見本が葬儀屋にありますから。お見せしますわ」
おっちゃんは霊園にある見本の墓石を見せる。
ユスフが彫った花を浮き彫りした墓の前でハリルが足を止め、表情が変わった。ハリルが恐る恐る墓石に手を触れて確認する。
ハリルは墓石を確認すると墓の前で膝を突く。目をぎゅっと閉じて拳を握る。
(なんや、どうしたんや? ハリルはんの様子は、普通やないで)
「これは、ユスフの作品か」とハリルが搾り出すような声を出す。
「そうですけど」と答えると、ハリルがガバッと立ち上がる。
「ユスフ」と叫んで石切り場に向ってハリルが走り出した。
おっちゃんも慌ててハリルの後を追った。ハリルは訓練場に行き、見習い木乃伊に指導するユスフに大声で声を掛ける。
「ユスフ、俺だ。お前の父親のハリルだ」
声を掛けられたユスフは、ハリルをちらりと見るがすぐに指導に戻る。
「俺だ、お前の親父のハリルだ。わからないのか」ハリルは悲痛な顔で叫ぶ。
(完全に取り乱しとる。木乃伊と人間とでは意思疎通ができん状況をわかっておらん。気持ちはわかる。けど、これではユスフはんかて困るで)
おっちゃんは追いついたので、教える。
「ハリルはん。木乃伊に普通の人間の声は音として聞こえますが、何を話しているかは、わかりまへん。また、木乃伊は人間の言葉を話せませんねん」
ハリルが驚いた顔で、おっちゃんに掴み懸からんばかりに訊く。
「なんだって? おい、どうにか、言葉を伝える方法はないのか?」
「落ち着いて。おっちゃんが魔法を使って訊いてみますから」
ハリルを離すと、おっちゃんは『死者との会話』の魔法を唱えてユスフに話し掛ける。
「ユスフはん、聞いて。ユスフはんのお父さんや、と名乗る人が来ているんやけど、心当たりはある?」
ユスフは指導の手を止めてハリルを見る。ユスフは「わからない」と短く答える。
「あんな、ハリルはん。ユスフはんに訊いたんやけど、ユスフはんは、ハリルはんとの関係を覚えておらんようや。アンデッド化した時に生前の記憶がなくなる状況はよくあるんや」
ハリルが震える手でユスフを触る。
「おい、ユスフ。本当に俺を忘れちまったのか」
ユスフが迷惑な顔を向けて手を払いのける。ハリルが愕然とする。
「ちと、事情を聞かせてもらって、ええですか?」
ハリルを伴って少し離れた石の上に腰掛ける。ハリルが弱々しく語り出す。
「ユスフは腕の良い石工だった。だが、ある日、冒険者になると言い出した。俺は反対した。ユスフは俺の言葉を聞かず『黄金の宮殿』に挑み、帰らなくなった」
「なるほど、よくありそうな話やね。でも、村で働いているユスフはんとハリルはんの息子のユスフはんが同一人物やないかもしれんやろう」
ハリルが力なく首を振る。
「作品だよ。作品には作った職人の色が出る。ここのユスフが造った墓石は間違いなく俺の息子のユスフの作品だ。職人の目に懸けて間違いない」
「そうですか。ユスフはんが覚えていないとなると、思い出す行為は難しいと思いますよ」
ハリルが真摯な顔で頼む。
「金なら払う。作品が必要なら俺が作る。だから、ユスフを解放してくれ。死体に戻して火葬にしてくれ」
「なんか、勘違いされておるようですけど。ここの木乃伊で、死体に戻りたい思うとる子はおりませんよ。みんな、気儘に日々の生活を送っています」
ハリルが驚いた顔で、おっちゃんの言葉を疑った。
「嘘だ。木乃伊だぞ。無理に死体から呼び起こされて働かされているんだろう」
「生まれは正直、どういう経緯でなったか知りません。でも、今はそれなりに木乃伊ライフを楽しんでいるんで、こちらから無理に死体に戻す行いはしません。木乃伊には意志がありますさかい」
「そんな言葉は信じられない」とハリルが苦しそうな顔で発言する。
ハリルは帰ったが、翌日、魔術師を連れてやってきて、真剣な顔で頼む。
「すまない、おっちゃん。もう一回、俺が連れてきた魔術師を通訳にして、ユスフと話させてもらっていいか?」
「気が済むまで聞いたらよろしい」
おっちゃんは席を外す。一時間ほどしてハリルだけが戻ってきた。
ハリルが困った顔で告げる。
「おっちゃんの言葉は本当だった。ユスフはあの世に旅立つ未来はまだ先でいいと公言している」
「村としても、ユスフはんは大事な職人やから、村にいてくれるとありがたいわ」
ハリルががっくりと肩を落とす。
「俺はもう年だ。いつ死んでもおかしくない。唯一の心残りはユスフだった。ユスフは他の兄弟に比べて人一倍、手が懸かる奴だった。まさか、死んでからも手を煩わされるとは思えなかった」
ハリルが可哀想に思えたので、案を出した。
「ユスフはんのために何かしてやりたい親心はわかります。なら、一緒に村に住んで、石工をやりませんか。指導者が三人では少ないと思うておったところですわ」
ハリルが驚いた顔で訊いてくる。
「俺は人間だぞ。この村には住めないだろう」
「なんか勘違いされておりますけど、この村は人間も住めるんでっせ。この村は人間とアンデッドの共存を目指していますから」
ハリルが力なく申し出る。
「そうか。なら、人生の最後はユスフの傍にいてやるか。いっておくけど、俺は木乃伊にはならないぞ。それでもいいのか」
「こっちも、木乃伊にしてくれ言われたほうが困りますわ。おっちゃんかて、木乃伊の作り方なんて知らんし」




