第百九十八夜 おっちゃんと懐かしの街
暗い洞窟の先に大きな湖があった。湖の湖面が静かに揺れる。
湖面から人間大の魚が顔を出した。魚は地底湖の淵に辿り着く。魚には人間のような手があり、足もあった。魚人だった。魚人が陸に上がると、姿が歪んで変わった。
現れた人物は裸の中年男性。男性の身長は百七十㎝。歳は四十二と、行っている。丸顔で無精髭を生やしている。おっちゃんと名乗る冒険者だった。おっちゃんは人間ではない。
おっちゃんは『シェイプ・シフター』と呼ばれる、姿形を変化させられる能力を持ったモンスターだった。
魚人から人間の姿に戻ったおっちゃんは手の中を確認する。手の中には魚を入れる魚籠があった。
おっちゃんは魚籠に手を入れて一枚の大きなコインを取り出す。
「暗くて、よく見えんな」
おっちゃんは『暗視』の魔法を唱える。おっちゃんは魔法が使えた。どれほどの腕前かというと、小さな魔術師ギルドのギルド・マスターが勤まるくらいの腕前だった。
手の中を確認すると、依頼人から提示されたのと同じ図案が描かれていた。おっちゃんが裸のまま装備を隠した岩陰に戻る。背後で水柱が上がる大きな音がした。
水面から高さ五mにも及ぶ巨大な魚の半身が姿を現していた。
(ふう、地底湖の主のおでましや。おっちゃんの後を追尾してきたようやけど、陸上に逃げられるとは思わなかったんやろう)
岩陰から出ないでじっと身を隠す。
地底湖の主はしばらくぐるぐると湖面を回遊したり、潜ったりを繰り返して、おっちゃんを探していた。
(相手は魚や。でも、油断は禁物。地底湖の主には噂では足があるらしいからの。迂闊に姿を見られたら陸の上まで追ってくるかもしれん)
岩陰に隠れて息を殺す。覗いたりはしない。ただ、地底湖の主が立てる音だけに注意を向ける。
無心に隠れていると、地底湖の主が大きく潜水する音がした。地底湖の主が諦めて去ったと思うが、すぐには出て行かない。
充分に時間を置いた後に音を立てないよう、ゆっくりと着替えを始める。下着を着用して、通気性の良い長袖の服と革鎧を着る。手袋をして革靴を履き、腰には細身の剣を佩く。
バック・パックを背負い、頭にターバンを巻き、ドラフ色のマントを羽織る。装備を着ると、おっちゃんは静かに地底湖から地上に戻る道を急いだ。
秋が終わり『シュナ砂漠』に冬が訪れていた。冬の『シュナ砂漠』は日中の気温が二十まで上がるので、日が出ている間は暖かい。
地底湖の出口はバサラカンドの王宮にある祠へと繋がっている。おっちゃんが祠から出ると見張りの兵士が礼節を持って話し掛けてくる。
「どうですか? お目当ての物は、見つかりましたか」
「それらしい品はあった。ほな、あと施錠のほうを、よろしく頼みますわ」
「畏まりました」と兵士が敬礼をする。
兵士の態度は一冒険者に対するものではなかった。おっちゃんは以前、バサラカンドの危機を救った過去がある。バサラカンドの領主であるユーミットから北方賢者の称号を贈られていた。敬われているがゆえ、王宮や神聖な地底湖へも出入りできた。
おっちゃんは王宮を出てバサラカンドの街を歩く。
バサラカンドは商業の街でもあり、ガレリア国で最も異種族との交流が盛んな街である。街では下半身がサソリで上半身が人間の蠍人や、全身が赤く牙と尻尾が生えた鬼のような外見である赤牙人が普通に街を歩いている。数は少ないが木乃伊も普通に街を歩いている。
アンデッド・モンスターとして怖れられる木乃伊だが、バサラカンドの街中にいる木乃伊は生者を襲わない。衛兵も排除しない。他の街から来た冒険者の眼には異様に映るが、これが現在のバサラカンドである。
バサラカンドにある『シュナ砂漠』には、ダンジョン・マスターの『無能王アイゼン』が住む『黄金の宮殿』と呼ばれるダンジョンが存在した。
バサラカンドの領主であるユーミットは『無能王アイゼン』に忠誠を誓っている。だが、冒険者による『黄金の宮殿』への挑戦は禁止されていない。むしろ、推奨されていたりする。なにかと不思議な街である。
人間以外の種族と交易を持つバサラカンドには普通の街ではお目にかかれない品も多くあるので活気はある。
おっちゃんは街の中を歩く。城壁にある南門を入ってすぐの場所に、青いドーム状の石造りの屋根を持つ大きな建物があった。建物は地下一階地上二階建ての建造物で、敷地は一辺が百四十mほどと広い。バサラカンドの冒険者ギルドだった。
おっちゃんが冒険者ギルドに入って依頼受付カウンターに行く。カウンターには袖や裾口がゆったりした筒状の服である紫のガラベーヤを着た女性がいた。
女性はヴェールで顔の下半分を隠していた。ヴェールで顔はよくわからない。でも、見える目は切れ長の黒い目をしており、僅かに覗く髪は黒髪だった。
肌の感じや歩き方から若いとは思うが、年齢はわからなかった。女性はギルド受付嬢のエミネだった。
「エミネはん。地底湖から古代神のコインを拾ってきたで、依頼人のアフメトさんに渡したってや」
エミネの瞳が優しく微笑み掛ける
「おっちゃんの声を久々に聞くけど、何も変わらないわね。エルドラカンドに旅立った時から時間が止まっていたみたい」
「帰り道に寄り道をしたから戻ってくるのが遅うなった。それに、おっちゃんは冒険者やさかい、あっちに行ったり、こっちに行ったりや。また、どこか行くかも知れん」
エミネが小首を傾げて穏やかに発言する
「それでも、私はおっちゃんを忘れたりしないわ。いつ戻ってきても、お帰りなさいって、言うわ」
「そうか。ありがとうな」
エミネが酒場の一角を指差す。
「アフメトさんなら、今、食事に来ているから直接にコインを渡してあげたら」
エミネが指差した方角に一人の男がいた。真っ黒なローブを着た細身の男性だった。
男性の顔の上半分に三つの目がある、緑色の髑髏の仮面をしていた。『ガルダマル教団』最高指導者アフメトだった。
おっちゃんはアフメトの向かいに腰を下ろして、魚籠を差し出す。
「アフメトはん、こんにちは。依頼のあった古代神のコインを採ってきたで確認してや」
食事後のチャイを飲んでいたアフメトは、満足気に口元を緩める。
「早かったですね。場所が場所だけに、簡単には採ってこられないと思ったのですが、さすがは、おっちゃんですね」
アフメトがコインを確認しながら、会話を続ける。
「ユーミット閣下はよくやっておられる。まさか、『ガルダマル教団』の人間が冒険者ギルドで食事ができる日が来るとは、思いませんでしたよ」
ユーミットが政権に着く前の時代『ガルダマル教団』は『悪神ガルダマル』を信奉する邪教として禁教になっていた。ユーミット政権になってからは禁教を解かれ、街中での布教を許されていた。
「時代は変わる、いう奴やね。それと、バストリアンはんをストラスホルドへ派遣してくれてありがとうな。バストリアンはんにはだいぶ助けられた」
「使徒バストリアンは好奇心が旺盛な方なので、暇があったら声を掛けてあげてください。暇なら喜んでやって来るでしょう。使徒バストリアンはなにより退屈を嫌う方なので」
アフメトはコインの確認が終わると、おっちゃんに報酬の金貨を渡して帰って行った。
冒険者ギルド内を改めて見渡す。人間以外の種族も数は少ないものの、モンスター冒険者は確かに存在した。




