第百九十三夜 おっちゃんとクリフト王の決断(後編)
おっちゃんは待合室でただひたすら待たされた。途中に簡単だが昼食と夕食が出た。料理の味はよかった。
夜が更けて部屋に魔法の灯りが灯される。おっちゃんは暇なので目を閉じて黙っていると、軽く眠ってしまった。
誰かが呼ぶ声がする。目を覚ますとバストリアンがいた。
「もうすぐ、おっちゃんを呼びにグロリアが来るぜ」
「なんや、バストリアンはんはお城にいたんか」
バストリアンがニコニコ顔で語った。
「なんか面白そうだったから会議を覗いていた。会議は宰相アレックスとファルコ元帥が真っ向から対立していた」
「時間が掛かっているからな、揉めとるとは思っていた」
「ファルコ元帥は謝罪も賠償も拒否して先王を討てと発言。宰相のアレックスは謝罪と賠償をして、先王を人質に出せと進言していた」
「そんで会議はどうなったん?」
バストリアンは楽しそうに語る。
「最初はお互いの案の利点を言い合っていた。でも、最後は相手の落ち度の罵り合いになっていた。やれ、軍部の失策のせいだの、文官の場当たり主義のせいだと、互いに非難合戦になった」
「出たくない会議やね」
「それで、泥沼になりそうなったところで、ハインリッヒが決断した。今回は宰相派の意見を取り入れるそうだ。ハインリッヒとしても、どう転ぶかわからない戦争はしたくなかったんだろう」
バストリアンが入口に視線を向けると、グロリアが入ってきた。
おっちゃんは視線をバストリアンに戻した。すると、バストリアンは既に消えていた。
グロリアが柔らかな表情で告げる。
「結論が出ました。先王が王位を主張しないのであれば、先王とサンドラ様、それに従う家臣の出国を認めます。謝罪。賠償、人質の名目については今回はレガリア側の主張を全面的に受け入れます」
(とりあえず、戦争と内戦は回避できそうやね)
おっちゃんが夜遅くに白熊亭に戻ると、白熊亭の二階にまだ灯りがあった。
ヘルブラントが真摯な顔で待っていた。
「おっちゃん、遅かったが何か進展があったのか」
「はい、先王の件も戦争回避の件も決着が付きそうですわ」
おっちゃんはグロリアとのやり取りを教えた。
ヘルブラントは真剣な顔で口にする。
「わかった。ハインリッヒ王の気が変わらないうちに交渉は詰める」
ヘルブラントはエリアンを呼ぶ。
「エリアン、すまないが急いでタイトカンドに向ってくれ。タイトカンドに集結中の軍に軽弾みな行動を採らないように釘を刺すんだ。交渉が妥結寸前なのに、レガリア軍に国境を越えられでもしたら、話がおかしくなる」
「わかりました」とエリアンが険しい顔で応じ、護衛を伴って出て行く。
「ほな、おっちゃんは、クリフト王に交渉が上手くいった話を伝えると共に、最終的な意思確認をしてまいります」
おっちゃんが宿の一階に下りると、バストリアンが待っていた。
バストリアンが開いてくれたマジック・ポータルを使って、グラスホルドに戻った。
グラスホルドで休息して、昼過ぎにバストリアンを連れて、クリフト王に会いに城に行く。
お城に行くとすぐにはクリフト王に会えなかった。しばらく待たされる。
(なんや、クリフト王の身になにか起きたのか。ここに来てのトラブルは、洒落にならんで)
バストリアンは他人事なのか、ニヤニヤしながら待っていた。
兵士にクリフト王の寝室に通された。寝室は昼なのにカーテンが下ろされ薄暗かった。部屋には使用人はおらず、護衛もいない。
クリフトはベッドにおらず部屋にあった大きな椅子に腰掛けていた。格好も病衣ではなく普通の高貴な人の格好をしていた。
部屋に入ると寒さに似た感覚を覚えた。おっちゃんはクリフト王から高位アンデッドの気配を感じていた。
「こんにちはクリフト王はん。なんや、もう、高位アンデッドになってしまったんですか」
クリフト王が病的に蒼白い顔で、浮かない顔で告げる。
「昨晩に急に容態が悪化してな。選択を迫られた。結果、儂は生への執着を捨てられず、アンデッドになった」
「それで、どうしますか。アンデッドのまま王位の奪還を目指しますか?」
クリフト王は憑き物が落ちたような穏やかな顔で語る。
「王位の奪還はよそう。アンデッドになった途端にアンデット化に賛成していた家臣たちも皆、よそよそしくなった。どうやら、必要とされていた存在は王の権威であって、儂ではないと理解した」
「そうですか。なら、バサラカンドに行くしかありませんな」
クリフト王は浮かない表情をする。
「そのようだな。だが、どうやってグラスホルドを脱出するかだ。この体はいたく光を嫌う。バサラカンドまでは道のりも長い」
「それなら問題ありません。こっちには、バサラカンドまで一気にマジック・ポータルを開ける人間がおりますさかいに、一瞬ですわ」
クリフト王が準備のよさに唸った。
「随分と準備がいいんだな。まるで、こうなる未来を予期していたようだな」
「サンドラさんとクリフト王はんだけ先に移動しましょう。その他の出奔したい家臣は自力でバサラカンドまで来てもらったらよろしい。考える時間もできて、好都合でっしゃろ」
クリフト王が部屋にあったベルを鳴らすと、身なりのよい若い女性が入って来た。
クリフト王が若い女性に声を掛ける。
「急だが、旅立つときが来たようだ、サンドラ。一緒に来るか」
サンドラが黙って頷き、バストリアンが意見する。
「クリフト王とサンドラがいなくなったら騒ぎになるはずだ。おっちゃんが無事にストラスホルドに帰れるように、ストラスホルド行きのマジック・ポータルも開いてやろう」
クリフト王が立ち上がると、机の抽斗から書類を取り出し穏やかな顔で告げる。
「万一の展開を考え、アルミンに命じて作らせておいた。ハインリッヒに王位を譲るための、正式な書類だ。書類はハインリッヒに渡してくれ」
「ほな、預かりますわ」
「では、まず。バサラカンド行きを」とバストリアンが軽い調子でマジック・ポータルを開いた。
クリフト王とサンドラがマジック・ポータルを潜る。
「次に、ストラスホルド行きを」と、バストリアンがもう一個のマジック・ポータルを開いた。
おっちゃんがマジック・ポータルを潜ると白熊亭の裏手に出た。ハインリッヒに書類を届けるために、城に向かった。城の入口で用件を伝える。
「ワイはオウルと言います。クリフト王の遣いで来ました。クリフト王からハインリッヒ王に正式に王位を譲る書類を預かってきました。お取次ぎをお願いします」
おっちゃんは、昨日と同じ来賓用の待合室で待たされる。
待合室で待っていると、処刑されたはずのユダが部屋に入って来た。ユダが機嫌よく話す。
「こんにちは、おっちゃん。よく、クリフト王を説得できましたね。では、署名がある書類を渡していただけますか」
ユダは一人であり、武器らしい武器を持っていなかったが、用心した。
「残念やけどユダはんには、この書類は渡せんわ。渡すなら宰相アレックスか、宰相の遣いであるグロリアに渡す」
ユダは興味を示して訊いて来た。
「おっちゃんは私の策をいくつも退けました。レガリアとハイネルンの戦争も回避させた。その上、内戦の芽を摘もうとしている。なんで、私の邪魔ばかりするのです」
「さあの。偶々(たまたま)やろ。おっちゃんの行き先にユダはんがいつもいるだけや」
ユダは気にした様子も、なくさらりと発言した。
「そうですか。これも、何かの縁なのでしょう。縁なれば、また会う機会も、あるでしょう。では、ごきげんよう。また、近い内に会いましょう」
(何を言っとるんや、こいつ?)
ユダは背を向けると、スタスタと部屋から出て行った。
五秒ほど間を置いて、護衛と男性秘書を連れた、身分の高そうな男が現れた。
男の年齢は六十台前半くらい、小太りで温和な顔をしている。格好は金糸で刺繍がしてある緑色の男性用ワンピースを着用して、室内用の羽帽子を被っていた。
「宰相のアレックスだ。クリフト王からハインリッヒ王に王位を譲る書類を持って来たとは、本当か?」
「これです」と、おっちゃんは男性秘書に手紙を渡す。
男性秘書から書類を受け取ったアレックスが中身を確認し、晴れやかな顔で発言する。
「これは間違いなく、クリフト王の署名だ。お勤めご苦労だったな」
「一つ、よろしいでっか。さっき、アレックスはんが入って来る少し前に軍師のユダはんがやって来たんですが、ユダはんって、まだ、宮廷にいますの?」
アレックスは困惑した顔で告げる。
「ユダは処刑された。それに、ここに来る途中ではユダには会わなかった。なにかの見間違いだろう」
「そうでっか」
(なんや、あまり良い予感がせんの)
おっちゃんは城を出ると、白熊亭に戻った。




