第十九夜 おっちゃんと履歴書
旧市街に入る前に『飛行』の魔法が掛かった状態で『透明』の魔法を唱えた。
南門を越える。旧市街は新市街よりモンスターが多かった。
旧市街では新市街に多かった昆虫型モンスターが姿を消す。代わりに大型の獣型モンスターが通りを闊歩していた。
多種多様な動物型のモンスターがいたが、亜人型モンスターの姿は見られなかった。
(妙やな。亜人型や巨人型がいない。お城でも、攻めとるんかな。視界に知能が高いモンスターがいない状況はラッキーやけど、なんか気になる)
おっちゃんはモンスターの目に付かない場所に降り立った。裸になると、装備品を隠して、トロルの姿になった。トロルの姿になったおっちゃんは、腰巻きを装備する。あとは、履歴書が入った鞄を小脇に抱えて街を歩いた。
動物型モンスターは、おっちゃんに気付くと視線を向ける。だが、堂々と歩くおっちゃんには敵意を向けなかった。
(ちゃんと人間だけを襲うように訓練されている。訓練は亜人型モンスターの仕事のはずや。訓練を施しているはずの亜人型モンスターがいない状況は妙やな。人食い鬼のオーガくらいは、いてもよさそうなもんやけど)
ダンジョンの入口に到達した。ダンジョンの入口には多数の熊型モンスターがいた。
やはり、おっちゃんを襲わなかった。ダンジョンの入口を潜った。
(ここからが本番や、気を引き締めて行くで)
おっちゃんは気負ってダンジョンに脚を踏み入れた。すぐに、地下十階まで到達した。
途中にモンスターの姿は、ほとんど見なかった。ダンジョン・ウィスプも見なかった。
(なんや、これ、どういうことや。既に魔力の枯渇が始まったんか。でも、暴走から一日や二日で、魔力の枯渇はない。不思議や、このダンジョンで、いったい何が起きているんや)
アリサが見せてくれた地図は地下九階までは完成していた。地下十階はまだ半分しか完成していなかった。
地図の南側の中央にある大きな部屋に『ボス部屋注意』の印があった。
(ボス部屋に行ってみようか。上手く行けば、話が通じる奴がおるかもしれん)
地下十階の通路は広く大きかった。天井までが二十mあり、幅も二十mあった。トロルの巨体でも問題なく進めた。問題の部屋に到達した。部屋の扉を開けて中に入った。中は四百m四方の強大な空間だった。
部屋の中を進む。背後でドアに鍵が掛かる音がした。次いで、突風が起こった。
風は部屋の中央に集まった。風は身長十二mの半透明な巨人になった。巨人の頭は禿げており、長い顎髭があった。上半身は筋骨逞しい裸の男性だったが、下半身は逆巻く風だった。
(エア・ジャイアントか。かなり強い個体やけど、ダンジョン・マスターではない)
エア・ジャイアントは、おっちゃんを見ると、首を傾げた。
「ウチの従業員ではないようだな。何しに、ここにきた」
気おつけの姿勢で頭を下げる。
「うちは、おっちゃん言いまして、流しでモンスターしている者です。今日は、就職活動で来ました。ダンジョン・マスターさんは、おられますか」
ダンジョン側の情報を一番よく知っている存在は、ダンジョン・マスターだ。上手く会えれば、状況が掴める。
エア・ジャイアントの身長が縮んで、トロルのおっちゃんと、同じ身長になった。エア・ジャイアントがおっちゃんをじろじろと見ながら、砕けた口調で訊いて来た。
「私の名は、ザサン。このサバルカンド迷宮でダンジョン・マスター代行をやっている。就職活動に来たのなら、履歴書を持っているはず。ちょっと見せて」
「履歴書です」おっちゃんは鞄から昨日さらっと書いた履歴書を取り出して、両手で差し出した。
ザサンは履歴書をチェックする。さりげなく、おっちゃんはザサンに質問する。
「ダンジョン・マスター代行って言われましたけど、ダンジョン・マスターさんは不在なんですか」
ザサンは履歴書を読みながら、気軽な口調で「今いないね」と答える。
(まじか。自分とこのダンジョンが暴走しているのに、ダンジョン・マスター不在って無茶苦茶に危険やん。なんで、戻って来いへんの)
ザサンが顎鬚を撫でながら、砕けた調子で訊いてきた。
「前職はタタラ洞窟でトロル・メイジね。結構よいところに勤めていたようだけど、離職した理由は何?」
嘘の離職理由を伝える。
「仕事の量がおかしかったんですわ。最初はよかったんですけど、どんどん仕事が増えましてね。業務量に従いていけなくなりまして、それで、辞めました」
ザサンが浮かない顔をして、独り言のように話す。
「ウチも暇なほうではないんだけどね。勤まるかな」
ザサンが難しい顔で黙ったので、おっちゃんから話題を振った。
「ここに来るまで亜人型のモンスターの姿を見なかったんですけど。亜人やトロルは採用していらっしゃらないんですか」
ザサンは、シレっとした態度で平然と口にした。
「種族による採用の差別はないよ。差別とハラスメントに対してウチのダンジョン・マスターが五月蝿い人だからね。だけど、今は問題を抱えていてね。ワシを残して、巨人型は死亡。精霊型と悪魔型も全滅。亜人型は九割死亡で、残りは逃亡したね」
(なに? この人、平気で、とんでもない内容を話すの。むっちゃブラックな職場やん。搾取工場も真っ青よ。情報を集めに来たから拒否せんけど、普通なら、こんな職場では働きたないよ)
ザサンがおっちゃんの履歴書の一箇所に目を留める。
「『瞬間移動』を使えるのか。良い特技を持っているね」
「以前に出張が多い職場にいた過去があるんですわ。そん時に、交通費と宿泊費を削減するために『瞬間移動』を教え込まれました」
ザサンはサバサバした態度で気軽に口にした。
「昨日、ワシを除く全ての管理職が殉職か逃亡してね。管理職が欲しかったところだ。今なら役付きで採用する。肩書きダンジョン・マスター補佐で、どう。実質ウチのナンバー三」
(今日、履歴書を持ってやって来た人物を即時採用でナンバー三って、とんでもない職場やね)
本来なら理屈を付けて帰りたいところだった。だが、お城や冒険者ギルドに、解決するだけの力はない。ダンジョン・マスター側に入らないとサバルカンドを救えない。
「偉くなれる状況は嬉しいですけど、実際の仕事は、どんなんです」
ザサンは平然とした顔で、気軽な調子で語った。
「目下のところ、暴走したダンジョンを元に戻す仕事だね。給与は年俸制で、百二十万ダンジョン・コインを保証。ダンジョンの暴走の問題を解決できたら、ボーナスは望みのまま。ただし、失敗したら、職場ごと心中になるから」
(ダンジョンの崩壊を止めると腹を括って来ているから就職する。けど、ほんまに飛び込みで来たんなら、逃げ出すところやね)
おっちゃんは笑顔を浮かべて、頭を下げる。
「わかりました。今日から、お願いします」
ザサンは指をパチンと鳴らし、空中から一枚の紙を出現させた。紙は地図だった。
「ダンジョン・マスターが行きそうな場所の地図。まず、ダンジョン・マスター探してきて」
ザサンの言葉に、驚きを隠せなかった。
「ダンジョンが暴走中なのに、ダンジョン・マスターがどこに行ったかわからないんですか」
ザサンは、あっけらかんとした口調で口にする。
「だから、困っているんだよ。捜索の期限は定めないけど、ダンジョンが崩落するまでに、連れて帰ってきて」
(まじかー、冒険者ギルドのギルド・マスターも不在なら、ダンジョン・マスターも不在って。危機管理はお偉いさんの仕事やろうー、仕事せいやー)
ザサンがもう一度、指を鳴らす。トロルのサイズに合った大きなベルト・ポーチを出現させた。ザサンがおっちゃんにベルト・ポーチを渡した。
ベルト・ポーチの中を確認すると、包装紙に包まれた青い飴玉のような物体が入っていた。
「それ、魔力回復用の飴。『瞬間移動』で魔力が少なくなったら、使って」
「ありがとうございます」と笑顔を浮かべて、ベルト・ポーチを受け取る。内心は違った。
(これ、めっちゃ、体に悪い薬や。一気に飲み過ぎると、トロルの体でも死ぬで。そんな、薬を渡すところをみると、ザサンも結構、追い込まれているね)