第百八十九夜 おっちゃんとハインリッヒ王
おっちゃんは冒険者の宿を引き払い、白熊亭に戻った。
ヘルブラントに挨拶に行く。ヘルブラントとエリアンは外出していた。マリエッテが残っていたので挨拶する。
「ただいま、戻りました。ヨアキムはんから事情を聞きました。なんや大変な事態になりましたな」
マリエッテが引き締まった顔で応じる。
「おかえりなさい、おっちゃん。ハイネルンの王位継承問題がここに来て顔を出すとは思いませんでしたが、私はむしろこれはレガリアにとっては好機だと思います」
(相手の窮地が好機って、なんや危険な考え方やな。ハイネルンの内情がどう転ぶかによっては簡単には終わらん戦争が始まる気がするんやけど)
「そうでっか。おっちゃんにはあまり良い方向に進んでいるとは思えませんな」
マリエッテがムッとした顔で意見する。
「見解の相違ですね。交渉はここからスムーズに進むでしょう。ハインリッヒが頭を下げて、レガリアと和解。引き続き国王をすれば済む話です」
「ヘルブラント卿も同じ考えでっか」
マリエッテは冴えない表情をした。
「ヘルブラント卿は問題を難しく考え過ぎているんですよ。いくら、先王が出てきたといっても、国内を二分するだけの戦力は集められないでしょう。先王がいるグラスホルドの街は攻めるに易く、守るに難しい街です。先王派の勝利は難しいです」
(ちと、マリエッテの考えは短絡で危ういな。先王はポッと戻ってきたわけやない。誰かが時節を見て戻してきた。先王を利用している人間にはまだ策があるはずや)
「そうでっか。マリエッテはんの言う通りなら、ええんですが」
宿屋の小間使いがやって来た。
「アレックス宰相の使いのグロリア様がお見えになっておりますが、お会いになりますか」
マリエッテが機嫌よく応じる。
「ヘルブラント卿は不在ですが、私でよければご用件を伺うとお伝えください」
グロリアが部屋にやって来て微笑む。
「マリエッテ様、お会いできて幸いです。今日は宰相アレックスの意見を知って欲しく思い来ました」
「どうぞ」とマリエッテが席を勧め、おっちゃんは護衛としてマリエッテの背後に立った。
グロリアが表情を和らげて伝える。
「宰相アレックスはハインリッヒ王にレガリアとの確執を解消すべく動いています。賠償についても前向きに検討をする意を表しました」
(態度が変わったな。ハイネルン内部で何かが起きたな)
「賠償に前向きになられたのですか? それなら、滞っていた交渉も進展するでしょう。なによりです。それと、一つお聞きしたいのですが、アレックス様は先王についてはどうお考えなのでしょうか」
グロリアが表情を強張らせて答えた。
「先王には穏便に隠居していただき、ハインリッヒ王の王位を認めて欲しいと願っております」
(現れた先王は、本物やったんやな。本物いう情報がハイネルンの宮廷で共通認識になっている。しかも、先王は簡単には排除できんようやな)
グロリアが窺うような顔で言葉を続ける。
「レガリアのヒエロニムス国王陛下にはハイネルンの王位継承問題には口を出さないで欲しい、と宰相アレックスは申しておりました」
「レガリアの王位継承の問題について、ヘルブラント卿はハイネルン国内の問題と仰っていたので、問題ないと思います」
グロリアの顔が和らぐ。
「それを聞けただけでも、ここに来た甲斐があったというものです」
グロリアとマリエッテはそれから少しの間、戦争回避交渉について話し合っていた。だが、目新しい情報はなかった。
グロリアが席を立って別れの挨拶をした。おっちゃんはドアを開けるために移動した。
ドアを開け、帰り際のグロリアにおっちゃんは聞いた。
「すんまへん。一つ、ええですか。軍師のユダが処刑されたって噂があるんですか、本当ですか」
グロリアが自然な態度で教えてくれた。
「軍師ユダは内乱を画策した罪で、軍部により粛清されました」
(軍閥派と対立していた宰相派の人間のいう話やから、ユダは組織的には殺されたのやろう。けど、本当に死んだかについては、怪しいな)
その日の夜遅くに、エリアンとヘルブラントは帰って来た。
ヨアキムから話を聞いていたのか、おっちゃんが戻っていた状況についてヘルブラントは気にしなかった。
ヘルブラントはマリエッテからグロリアがやってきてした話を黙って聞いた。
「グロリアの話はわかった。明日、ハインリッヒ王に謁見する。おそらく、ハイネルン側の考えは纏まったと見ていい」
翌朝、ヘルブラントは白熊亭を出て行き、二時間ほどで戻ってきた。
ヘルブラントはエリアンとマリエッテを呼んで話をする。
「ハインリッヒ王より直々の言葉を賜った。ハイネルンは国境侵犯に対して正式に謝罪して、和解金として金貨三万枚を払うと申し出た」
マリエッテが安堵の表情を浮かべる。
「よかった。これで大手を振ってリッツカンドに帰れますね」
ヘルブラントの顔に陰が差す。
「ただし、条件が付いた。先王クリフト側について味方しないなら、とな」
マリエッテがきょとんとした顔で尋ねる。
「何か問題でしょうか」
ヘルブラントは浮かない顔で慎重に意見を述べる。
「クリフト側の勢力の大きさと動きがわからないのが気になる。ここで、ハインリッヒの味方に付いたはいいが、クリフト王が返り咲いたとなれば交渉の意味がなくなる」
マリエッテが浮かない顔で意見する。
「そんなにクリフト王は脅威でしょうか」
ヘルブラントは慎重な態度を崩さない。
「わからない。だからこそ、決断をしたくない。そこでだ、おっちゃん。密使としてグラスホルドに行って、状況を確認してもらえないだろうか」
「おっちゃんが、ですか」
ヘルブラントが深刻な顔で依頼してきた。
「そうだ、交渉が纏まりかけている中、特使の誰かがグラスホルドに行けば問題になる。その点、おっちゃんは表向きはタダの冒険者だ。出かけていっても角が立ちにくい」
「わかりました。では、ちと、グラスホルドの様子を見てきますわ」




