第百八十三夜 おっちゃんとストラスホルドの事情
翌朝になると、ヘルブラントが朝食の時間になっても起きてこなかった。
ヨアキムとおっちゃんが起こしに行く。
ヘルブラントがベッドの中で、苦しそうな顔で告げる。
「どうやら、長旅で体調を崩したようだ。しばらく、横になっていれば良くなると思う」
ヨアキムとおっちゃんは顔を見合わせた。
「無理は禁物やね。休養するしかないの」
ヘルブラントの寝室から出る。心配した顔のマリエッテとエリアンが寄って来た。
エリアンはヘルブラントと同じく、五十代の男性だった。僧籍を持っており、頭は剃髪している。ヘルブラントの親友だが、寡黙な男性で多くを語らない。
マリエッテが心配した顔で尋ねる。
「ヘルブラント卿の様子はどうでしたか、ヨアキムさん」
ヨアキムが浮かない顔で教える。
「ヘルブラント卿は、体調を崩されました。大事にはいたらないと思いますが、しばし休養が必要です。もし、交渉を急ぐのでしたら、マリエッテ殿とエリアン殿でやるしかありません」
ヨアキムの言葉にマリエッテが不安を露にする。
エリアンが冷静な顔で静かに発言する。
「とりあえずは、到着の挨拶には私とマリエッテだけで行ってきましょう。交渉は事情を話して、ヘルブラント殿の回復を待ってから行います」
ヨアキムが真剣な顔で頷く。
「それがよいでしょう。無理をして悪化したら、それこそ一大事です」
四人の護衛を伴って、エリアンとマリエッテが出て行った。
お昼になると、ヘルブラントが起きて来た。ヘルブラントがヨアキムとおっちゃんを呼ぶ。
疲れた顔のヘルブラントが、おっちゃんに声を掛けた。
「考えることがあってな。おっちゃん、すまないが、表向きは契約を解除してよいだろうか。使節団とは別に、おっちゃんには秘密裏に動いてもらいたい」
「契約の解除はええですけど、具体的には何をして欲しい言うんですか?」
ヘルブラントが苦い顔をして話す。
「わからない。これは閃きだ。おっちゃんには、一冒険者として情報を集めて、動いて欲しい」
(苦しい中で閃いたのなら、あまりええ考えやない気もする。何を期待しているんやろう)
「遊軍ちゅう仕事ですか」
「そうだな。そうとってもらって構わない」
(これ、ひょっとして、体のよい戦力外通告やろうか? 厄介払いでもええか。誰を雇って誰を切るかは、ヘルブラントはんの自由や)
「わかりました。おっちゃんは冒険者として、街の内情を探ってみます」
ここまでの護衛依頼の代金として、金貨三枚を払ってもらう。おっちゃんは荷物を纏めて白熊亭を後にした。
ストラスホルドにも冒険者ギルドはある。南門付近にある直径六十mの石造りの円形の建物が、そうだ。冒険者ギルドには酒場と宿屋が併設されているが、併設の宿屋は料金設定が高い。
ギルドの付近には安い宿屋が多数あるので、多くの冒険者は、ギルドに併設されている宿屋を使わない。付近の宿屋を利用していた。
料金が高くても利便性を考え、冒険者ギルド併設の宿屋に宿を取った。部屋に荷物を置いて、酒場に下りて行く。
(さて、遊軍扱いは良いとして、どうしたものかな)
おっちゃんはエールを頼む。注文のエールを待っていると、金髪で頭を丸刈りにした若い中級冒険者が明るい顔で寄って来た。
中級冒険者がフランクな態度でおっちゃんの横に腰掛けて、気さくに話し掛けてくる。
「俺の名はバシリウス。お宅はハイネルンの冒険者じゃないだろう? 情報交換をしたいんだ。レガリアの情報を教えてくれたら、ハイネルンの情報を教えるがどうだろう」
「わいはおっちゃん言う冒険者や。ハイネルンには来たばかりや。大した話は知らんけど、それでもええなら情報交換しよう。ハイネルンの事情を知りたい。それで何が聞きたいんや」
バシリウスがさばさばした態度で訊いて来た。
「ずばり、戦争だよ。ハイネルンとレガリアが戦争になると噂になっている」
戦争の単語が出ると、付近の冒険者も聞き耳を立てている状況がわかった。
おっちゃんは気にせずに話す。
「戦争なるかどうか、わからん。ただ、ハイネルンの軍が国境を越えてタイトカンド領内に侵入した案件は問題になっとるね。レガリアから国境侵犯で抗議の特使が出ている」
冒険者が苦い顔をして話す。
「ハイネルン軍がレガリアとの国境を越えた噂は、事実だったのか。それはまずいな」
ハイネルン軍の動きは冒険者の間でもあまり知られていないと理解した。
「なんや、知らんかったのか。他にもハイネルン軍師のユダが色々と陰謀を巡らせた言うてレガリア国内でちょっとした噂になっとるよ。ハイネルンのユダの評判は、どうなん」
バシリウスは平然とした表情で答える。
「宮廷内の評判はいいようだ。市民レベルでは可もなく不可もなしだ。冒険者の間じゃ妙な依頼をしてくる依頼人だと評判だ。支払いが遅れた前例はないがな」
「そうか。ユダは英雄なわけでも嫌われ者でもないのか」
バシリウスが気軽な口調で話題を変えた。
「ダンジョン事情のほうはどうだ。レガリアのダンジョンは儲かるのか」
「そこは、ダンジョンやから、儲かる時もあれば損する時もある。レガリアでも、冒険者が一攫千金を目指すのなら、ダンジョンやね。ストラスホルドのダンジョンの『古都アスラホルド』はどうなん? 儲かるん?」
バシリウスが浮かない顔で答える。
「最近は枯れてきた感じがあるな。危険なモンスターが出てこなくなったが、良い魔道具や武具が産出しなくなってきた。ダンジョン・コアの発見には至ってないが、このままだとダンジョンがただの廃墟になる日も近いだろう」
ダンジョンは攻略されなくても終わりを迎える事例はあった。一般には「枯れる」と表現される。
原因はなんらかの事情により経営ができなくなった時だ。だが、原因は一般的にモンスターには知らされない。
次の日に出勤したら職場がなくなっていた、はモンスターでも起こり得る悲劇だった。
(そうか。『古都アスラホルド』のダンジョンは、経営がうまく行ってないんか。運営がうまくいかず閉鎖されるダンジョンは珍しいが、あり得んわけではない。こればかりは経営判断やから、誰も口を出すわけにはいかん)
「そうか、枯渇してきたんか。それは魅力ないな」
バシリウスが、やりきれない顔で発言する。
「全くだ。俺も今は、冬に向けて金を貯めている。冬はシバルツカンドまで遠征して『氷雪宮』に挑戦するか、『火龍山大迷宮』まで行くつもりだった。だが、ここに来て戦争騒ぎだ。果たして遠征できるかどうか」
「戦争になれば国を行き来するのも大変やろうし、ダンジョンに行って稼ぐどころやないからね。お互いに戦争にならん事態を祈ろう」
「違いない」とバシリウスは浮かない顔をして去って行った。
バシリウスと入れ違いに長い黒髪を持った、黒い服に身を包んだ女性が近づいてきた。
女性は涼しい表情で話し掛けて来た。
「そこの冒険者さん。少し、お話、いいかしら」
「ええよ」と、おっちゃんが応じると、密談スペースに連れて行かれる。
女性が淡白な態度で自己紹介した。
「私はイザベラ。ある人の遣いをやっているわ」
「わいはおっちゃん、単なる冒険者や。そんで、用事って何?」
イザベラは冷たい顔をして、淡々と語った。
「おっちゃんは、レガリアからの特使の護衛ですよね。単刀直入にいいます。特使側の情報を随時、流していただけませんか。報酬は情報の重要度によって金貨をお支払いします」
(スパイせえ、言うんか。おっちゃんも安く見られたもんやなあ)
「おっちゃんはさっき解雇されたばかりや。そういうわけで、やりたくてもやれんのや」
おっちゃんは突き放すように告げ、イザベラは冷たい顔で交渉を打ち切った。
「そういう事情なら、しかたありませんね。お手数をお掛けしました」
イザベラは立ち上がると、部屋から出て行った。
(なんや? もっと、食い下がってくるかと思っとったのに、意外やな)