第百八十二夜 おっちゃんと軍師ユダ
宿場町からハイネルンの首都ストラスホルドへは何事もなく到着した。
ストラスホルドは人口六万人の住む大きな街である。ストラスホルドの近くに良質の石材を産出する石切り場がある。
良質の石材産出に支えられ、ストラスホルドには壮麗な石造りの建物が多かった。
街の中央には、大きな城壁を持つ城がある。城を囲んで居住地区が配置されていて、住宅街を覆うように城壁があるので、ストラスホルドは二重の城壁に守られた街だった。
ストラスホルドから徒歩で北に一時間ほど歩いた場所には、ダンジョンの『古都アスラホルド』がある。
ハイネルン領内にはダンジョンが『古都アスラホルド』しかない。そのため、ハイネルンの冒険者の多くはストラスホルドに集まる。
『古都アスラホルド』に関しては、おっちゃんはよくは知らない。『古都アスラホルド』は近隣ダンジョンとの付き合いをせず、独自路線を行っている謎のダンジョンだった。ダンジョン・マスターも不明だった。
おっちゃんたち一行はストラスホルドの居住地区にある高級宿屋の白熊亭に到着した。白熊亭は三階建の石造りの宿屋だった。
宿屋の三階を借り切って宿泊した。三階には十の部屋があり、入口、寝室、トイレ以外はドアがない造りになっていた。
おっちゃんたち冒険者は使用人用の部屋を使う。使用人用の部屋は二部屋が付いており、ベッドが四つずつある。
間隔は広めで、冒険者が一般的に使う部屋より広かった。
リビングに続く部屋の前には前室があり、冒険者はここで常時数人が控えるようにヘルブラントから言い渡された。
荷物を置いて一行がこれからスケジュールについてどうしようか話し合おうとしていると、宿屋の小間使いがやってきた。
「ヘルブラント様にお客様です。ハイネルンの軍師のユダ様ですが、お会いになりますか」
一同が顔を見合わせた。
(いきなり、敵の大ボスから挨拶に来たか。宣戦布告やないやろうが、要件はなんや?)
ヘルブラントが神妙な面持ちで小間使いに告げる。
「せっかくお越し頂いたのだ。会おう、通してくれ」
小間使いに連れられて、一人の青年がやってきた。
青年は金髪に白い肌で青い目をしており、生粋のハイネルン人に見えた。青年の髪は短く、穏やかな顔をしていた。人当たりのよさそうな顔をしており、顔には微笑みを湛えていた。
(なんや。あまり謀略とは縁がなさそうな人間に見えるの。軍師というより、もてそうな詩人に見えるで。こいつが、ほんまにレガリアを混乱に陥れてきたハイネルンの軍師なんか)
ユダは優しい顔で挨拶した。
「ヘルブラント卿、よくハイネルンにお越しいただきました。お会いできて光栄です。これから交渉の席で幾度かお会いするかもしれないので、まずは私から挨拶に来ました」
ヘルブラントも丁寧な態度で挨拶する。
「ハイネルンの軍師と聞いていたのですが、髄分とお若いのですね。若くして軍師に抜擢されたのですから、中々に優秀な方なのでしょうな」
ユダが変わらぬ微笑を湛えて返す。
「買い被りです。世の中には、もっと頭の良い人間なんて、ゴロゴロいますよ。ただ、私は陛下からの覚えがめでたかったのでしょうね。挨拶はここまでにして、本題に入りますか」
ヘルブラントが席を勧め、ヘルブラントも席に着いた。ユダから話し出した。
「ヘルブラント卿がおいでになった理由は知っております。戦争の回避の件ですね。実は私も戦争には否定的なのです」
(これは意外な申し出やけど、信頼したらあかんね。なんていったって相手はあのユダやからね)
ヘルブラントが穏やかな顔で告げる。
「聞いていた噂と随分と違いますね。ユダ殿はてっきり戦争を推進する軍閥派だと思っていました」
ユダがやんわりとした口調で発言する。
「戦争とは一つの手段です。使わなくて良いものなら、使いません。ただ、ハイネルンには戦争を目的にしている人物もいます。私の上司でもあり、軍閥派の代表であるファルコ元帥です」
ヘルブラントが真顔で指摘する。
「どこの世界にも、戦争を望む軍人はいるものです。ところで、そのファルコ元帥に命令を下した人物はハインリッヒ陛下でしょう。全ては陛下のご意志。違いますか」
ユダは悲しげな顔で軽く首を振った。
「陛下は聡明なお方です。仮に戦争をしても、ラップカンドやタイトカンドを一時的に支配下に置く展開にはなっても、それ以上の成果は望めないとよく理解しております」
ヘルブラントが顔を顰め(しか)て穏やかな口調で非難する。
「戦争の意志がないなら、なぜ軍に国境を越えるような真似をさせたのですか」
ユダは表情を曇らせて発言する。
「軍の専横としか、いいようがない。もちろん、軍を統制できなかった責任はハインリッヒ陛下にある。なので、私としては、公式に謝罪し、今後はこのような事件が起こらないようにし、再発防止を約束する。賠償金として金貨一万枚を支払う内容で決着したい」
(具体的な話が出てきおったで。でも、一軍師が決められるような話やない。ユダの背後には、誰ぞ大物が控えておるんか?)
ヘルブラントが冷静な顔で静かに述べる。
「ユダ殿の話が本当なら、謝罪文の細かな表現や賠償金の額について、詰めなければならないでしょう。ですが、交渉はそう難しくないでしょう。レガリアは戦争を望んでおりません」
ユダが曇った表情のまま告げる。
「ただ、話はそう上手くは行かない。問題はここ最近、宮廷内で存在感を増して来た宰相のアレックスです。宰相のアレックスは、謝罪も賠償も不要と公言し、この国を戦争へと誘おうとしている」
(なんや、昨日と話が少し違うで。宰相のアレックスは軍師ユダが戦争させようとしていると言っとった。だが、ユダは宰相のアレックスが戦争をさせようとしていると公言している。どないなっているんや?)
ヘルブラントは表情を変えず、柔らかい口調で返す。
「なるほど、内情はわかりました。交渉の席では宰相派に気をつけるようにしましょう」
「賢明な判断です」と軍師ユダは満足そうな顔をして、帰って行った。
ユダが帰ると特使の一人であるマリエッテが表情を曇らせる。
マリエッテはまだ若く二十代後半。マリエッテは切れ長な目をして、黒い髪と凛々しい眉をした、聡明な女性だった。
「ヘルブラント卿、ユダの話は本当でしょうか。昨日の宰相アレックスの秘書グロリアの話ではユダが戦争を望んでいるような話でしたが」
ヘルブラントが考えながら話す。
「戦争が現実味を帯びてきたので、負けたときの責任回避かもしれないが、真相はわからん。ただ、わかっている事実は軍師ユダか宰相アレックスの片方、あるいは両方が嘘を吐いているかもしれんという点だ。この交渉は解決するかもしれんが、難航するかもしれんな」
マリエッテが冷静な顔で尋ねる。
「ヘルブラント卿は、どちらが嘘を吐いているとお思いますか」
ヘルブラントが眉間に皺を寄せて話す。
「さあな。政治の実態は複雑怪奇だ。ここでは全てが化物と思って懸かったほうがいい。ものわかりが良い振りはするな。全てを疑って懸かることだ。なにせ、失敗は即戦争だ。そうなれば、流れなくても良い血が流れる」