第百八十一夜 おっちゃんと宰相の秘書
秋の涼しい風が吹く頃に、ハイネルンの首都に向う九名からなる集団がいた。
集団は二十からなる全身が真っ黒な狼の魔物の群れに囲まれていた。集団の中で円陣を組み魔物と対峙する一人の男性がいた。
男性の身長は百七十㎝。軽装の皮鎧を着て、細身の剣を構えている。歳は四十二と行っており、丸顔で無精髭を生やしている。頭頂部が少し薄い。おっちゃんと名乗る冒険者だった。
黒い狼が三匹同時に、おっちゃんに襲いかかってきた。おっちゃんは手近な一匹に突きを放ち、始末する。
一歩さっと後退して剣を引き抜く。二匹目を剣で押しのける。三匹目には拳骨を食らわし黒い狼の攻撃を凌ぐ。
おっちゃんは三匹同時に倒そうとはしない。一匹ずつ確実に始末しようとしていた。
二匹が跳びかかってくる。おっちゃんは一匹を突き殺して、もう一匹の頭を剣の柄で殴り伏せる。
後方から声がする。
「俺が始末する。みんな中央に寄ってくれ」
魔法の詠唱が始まる。円陣を縮めると円陣の外側に次々と雷が派手に降り注ぐ。雷が終わったあとには黒い狼は五匹にまで姿を減らしていた。
黒い狼が円陣に跳びかかる。おっちゃんにも一匹が向かってきた。
(一匹なら問題ない余裕や)
おっちゃんは向かってくる一匹を確実に突きで仕留めた。視界から敵が消えたので廻りを確認すると、他の五人の護衛も敵を片付けた後だった。
護衛対象は三人いる。ヘルブラント、エリアン、マリエッテだった。
対象の一人で、特使代表のヘルブラントが「まさか、街道を進んでいて狼の集団に襲われるとは、思わなかった」と声を上げる。
ヘルブラントは頭を綺麗に剃った、五十になる細身の男性だった。表情は穏やかで優しい目をしている。
一般的な貴族と違い豪奢な服装は好まない。旅が趣味なので動き易い厚手の服を着ており、貴族にしては、足腰は確かな人間だった。
(襲ってきたモンスターは黒狼や。こいつらは、ダンジョン・モンスターや。街道沿いに出ん)
護衛隊のリーダーの老冒険者のヨアキムが険しい顔で答える。
「ヘルブラント卿。油断は禁物です。この黒い狼は何者かが我々の腕を試すために放ったのでしょう。敵は我々の力量を見定め、再度しつこく襲って来るでしょう」
ヘルブラントの顔が苦々しい顔をする。
「なんと、また来るのか」
「可能性はあると思います。ですが、ヘルブラント卿を必ずハイネルンの首都のストラスホルドにお連れし、無事に連れて帰るのが私たちの仕事です」
(ストラスホルドには次の宿場町から一日。道中の襲撃があるとすれば、あと一回くらいか。ただ、今回の仕事から言えば街に入れば安全、とはいかんからの)
ヘルブラントはレガリアの国王ヒエロニムスの特使である。ヘルブラントはレガリアとハイネルンの戦争回避の使命があった。ただ、ハイネルンには戦争を望む勢力があり、交渉の妨害は予期されていた。
おっちゃんたち一行はそのまま足を進め、夕方前には宿場町に入った。
宿場町で一番大きな宿に泊まる。首都に近い宿場町なので混雑してよさそうなものだが、客の入りは多くなかった。
宿屋の主人とヘルブラントの会話が聞こえる。
「お客さん、レガリアから来たのかい? やっぱり、レガリアとは戦争になっちまうんかね」
「先のことは誰にもわからん。それにまだ決まったわけではないさ」
食事を終えて部屋に移動した。部屋は六人用の大きな部屋だった。部屋の中にはベッドの他にソファーやテーブルもある、立派な部屋だった。
部屋にはヘルブラントと使節の二人、それに護衛のヨアキムと、おっちゃんが泊まった。
夕刻に宿の部屋のドアがノックされ、おっちゃんが出る。ドアの外には灰色の外套を着た若いハイネルン人の女性が立っていた。
視線を走らせるが、女性は武器のような物は持っていなかった。
「私はグロリアと申します。ハイネルンの宰相アレックスの遣いで来ました。ヘルブラント特使と、お会いできないでしょうか」
(暗殺の危険性は、なさそうやな。事前折衝いうやつか)
グロリアを外に待たせて、ヘルブラントにグロリアの言葉を伝える。
「よし、会おう。通してくれ」とヘルブラントが真剣な顔で伝え、部屋の中にグロリアを入れる。
グロリアがヘルブラントの向かいに座った。グロリアが澄ました顔で伝える。
「お会いできて、何よりです。アレックス宰相の秘書をしております、グロリアと言います。今日は内密にお話があって来ました。ハイネルンの宮廷は二つに分かれております」
(ハイネルンは是が非でも戦争を遂行したいわけやないのか。これなら、戦争は避けられるかもしれんなあ。ただ、勢力間の力関係がどうなっているのか、おっちゃんにはわからんが)
ヘルブラントが澄ました顔で応じる。
「聞き囓りですが、なんでも軍閥派と宰相派に分かれているとか。軍閥派は開戦を主張し、宰相派は和平を望んでいると聞いています」
グロリアが堂々とした態度で淡々と語る。
「少し前までは軍閥派が優勢でしたが、ここに来て流れが変わりました。今は宮廷内では、非戦を主張する宰相派が優勢です。詳しい話はこれから王都に入ってから以降になると思いますが、交渉に際して、お願いがあります」
ヘルブラントの表情が曇る。
「お願い、とはなんですか」
「一連のレガリア領内の事件に際して、賠償や謝罪をハイネルンに求めないでください」
(軍閥派を切り崩したいゆえの提案やろうが、宰相派の考えはちと虫が良すぎるのお)
ヘルブラントが険しい顔で拒絶した。
「それは、難しい。レガリア領内では、すでにいくつもの事件が起きており、軍による越境も起きました。ここで謝罪も賠償も求めないのであれば、ハイネルンの行いに膝を屈したようなものです」
グロリアが冷静な顔で告げる。
「ですが、戦争は避けられます。おそらく、戦いになれば、どちらの国民にも利益がない不毛な結末になるでしょう。戦争になって得をする人間なんて、軍閥派と軍師のユダくらいでしょう」
ヘルブラントが険しい顔のまま告げる。
「確かに戦争は避けたい。ですが、事態がここに至っては、ハイネルンのした行為を黙って見逃すほど、ヒエロニムス国王は甘いお方ではないのです」
グロリアが冷めた顔で席を立った。
「わかりました。とりあえず、今日のところは、帰ります。ですが、ハイネルンとレガリアの戦争は避けられる戦争なのです。そのことだけは覚えて置いてください」