第百八十夜 おっちゃんと外交使節団
翌日、冒険者の酒場はいつもと変わらぬ、賑わいに満ちていた。雷雲は街から徒歩で一時間以上も離れた場所で消滅していた。
大半の人々は、タイトカンドに危機が近づいていた事実を知らない。当然、街が救われた状況も、わからない。
誰にも知られずに街を救ったおっちゃんは手柄を誇示しない。報酬も請求しない。ただ、黙って酒場で美味いエールを飲んでいた。
街を救ってから数日が経過する。
晴れやかな空の下、街には心地よい風が吹いていた。炭焼き村では黒炭が焼かれ、製鉄村では鉄が作られる。街の鍛冶場から、金属を叩く小気味良い音が響いていた。
冒険者は街の問題を片付けつつ、『イヤマンテ鉱山』に脚を運ぶ。ハイネルンとの間で国境が閉鎖されている状況を除けば、平和な日常があった。
(この平和が、ずっと続けばええのにな)
一人でいい気分になっていると、向いの席にヨアキムが座って難しい顔で尋ねた。
「街は救われた。だが、貴重な槍は失われ、誰も称える者もいない。おっちゃんはそれでも満足なのか」
「槍を作った職人はリューリはんで、槍で魔道具を破壊した勇者はヨアキムはんや。おっちゃんは街の危機に右往左往していただけや、おっちゃんは、しがないしょぼくれ中年冒険者。それで、ええねん」
ヨアキムが真剣な顔で頼んで来た。
「そうか。なら、いい。ところで、おっちゃん。仕事を引き受けてはもらえないか?」
「悪いな。もう、皆が忘れているかもしれないが、おっちゃんは休業中や。働きたくない」
「とりあえず、詳しい話がしたい」
ヨアキムが密談スペースに誘い、おっちゃんは嫌々ながらも従った。
ヨアキムがおっちゃんの眼を見て、深刻な表情で語った。
「ハイネルンとレガリアとの関係は悪い。いつ、全面的な戦争になってもおかしくはない状況だ」
「よう、レガリアが我慢していると思うわ」
ヨアキムが神妙な面持ちで続ける。
「国王の忍耐にも限度がある。国王ヒエロニムスは、ここで最後の交渉をすべく、ハイネルンの首都ストラスホルドに特使を出すことにした。この交渉いかんでは両国は戦争になる」
「そうか。戦争を回避して欲しいものやけど、ハイネルンがやる気みたいやから難しいやろうな」
ヨアキムが真剣な顔で頷き、誘った。
「それでだ、国王は交渉団の護衛に付ける冒険者を探している。ワシにも声が掛かった、どうだ、おっちゃんも一緒に護衛の仕事をやらないか」
(なんか、とんでもない仕事を持って来たね)
「おっちゃん、護衛とか護送任務とか、やった経験がない。おっちゃんを連れて行っても役に立たないよ。もっと慣れた人を連れて行ったらええ」
ヨアキムが軽い調子で喰い下がる。
「誰にだって、初めてはある。おっちゃんの初の護衛は戦争を回避するための特使の護衛だっただけだ」
「それ、初めての任務でやるには重過ぎやんか」
ヨアキムが明るい表情で気軽に言った。
「正直、おっちゃんには護衛の力量は期待していない。だが、おっちゃんを連れて行くと必ず役に立つと、ワシの勘が伝えている。ワシの勘は良く当る。おかげで、この年まで生きてこられた」
「でも、今回だけは外れやね。おっちゃんには無理や。他を当ってくれんか」
ヨアキムが頑とした態度で強く要請する
「絶対におっちゃんには来てもらいたい。おっちゃん。レガリアとハイネルンの戦争を止めるために、来てもらえないか」
「おっちゃんが戦争を止めるわけやないやろう。それに、おっちゃんは使者やなくて護衛や。護衛が戦争を止めるって、どんだけ無茶な働きを期待しているんや」
ヨアキムが硬い表情で依頼した。
「わかった。一晩じっくり考えてくれ、特使は明日の昼にタイトカンドに到達する。おっちゃんはそれまでに考えを決めてくれ」
おっちゃんとて、戦争にならずに済むのなら手を貸してやりたかった。だが、今回ばかりは何かできるとは思えなかった。
酒場の外に目をやると平和な日常があった。
(この光景も、見納めになるかもしれんのか)
おっちゃんの脳裏に今まで旅をして出会ってきた人たちの顔が浮かぶ。
国を去る態度は簡単だった。人間の同士の諍いが嫌ならダンジョンに戻る選択肢もあった。だが、冒険者として過ごしてきた長い時間が、おっちゃんを人間の世界に引き止めた。
「何もできないかもしれんが、何もしないより、ええかもしれん。これは今までお世話になって来たこの国の人へのおっちゃんの小さな恩返しの一環や。それに、おっちゃんの仕事は一護衛や」
おっちゃんは覚悟を決めた。おっちゃんはできる範囲で可能な仕事をするために、ストラスホルドへの旅の準備を始めた。
【タイトカンド編了】
©2017 Gin Kanekure