第百七十七夜 おっちゃんと長雨(後編)
おっちゃんは、ムストウを入れておく青銅の壺を、セニアから受け取った。
ヨアキムの操縦するワイバーンに乗って製鉄村に向った。製鉄村の外れにヨアキムを待たせると、村の中央にある製鉄所に、おっちゃんは行った。
「カイヤはん、今日はちょっとお願いがあります。ムストウを貸してください」
カイヤは不満を露に訊いて来る。
「ムストウに、何をさせるつもりですか」
「長雨を止めるためです。そんで、『緑沼』にいる沼ヒドラを退治するのに力を借りたいんです」
カイヤが否定的な態度で発言する。
「おっちゃんには借りがあるので、協力したいのですが、ムストウを戦いには出したくありません。まかり間違って、ムストウが殺されでもしたら、製鉄村は立ち行かなくなります」
「でも、このまま雨が止まらんと、タイトカンドが水害で滅びる。そうなれば、製鉄村が受ける被害も甚大やと思うけど」
カイヤが困った顔で告げる。
「わかっています。それに、ここから『緑沼』は近い。もし、なにかの事情で沼ヒドラがやってきたら、村は滅びるかもしれません。だからこそ、迷っているのです」
(完全に拒否したいわけやないんやな。これは、なにか理由が着けば貸してもらえる)
おっちゃんは妥協案を示した。
「なら、ムストウはんの意見を聞いてはどうでっしゃろ。どのみち、ムストウはんに協力できん言われたら、どうしよもない作戦ですし」
カイヤは苦い顔をして述べる。
「わかりました。ムストウに聞いてみましょう」
製鉄所は休止していた。ムストウは前と変わらず、レンガでできた直径十五mのお椀状の物体の中にいた。ムストウは暇そうに床に座って、ボーっとしていた。
おっちゃんから声を掛ける。
「ムストウはん、こんにちはおっちゃんです。今日はちょいとお願いがあって来ました。沼ヒドラを倒すために、力を貸してください」
ムストウは気の抜けた顔で返事をする。
「外は雨だよ。雨の中だと働きたくないな」
「ムストウはんの仕事は雨が降り止んでからです。雨はおっちゃんたちが止めるんで、力を貸してもらえませんか」
ムストウがぼんやりとした顔で覇気なく答えた。
「なら、いいかな。でも、あまり期待しないでね。俺は寒い場所と水のある場所が苦手だから」
おっちゃんはカイヤに向き直る。
「ムストウはんが協力してくれるので、連れて行ってもよろしいでしょうか」
カイヤが渋々了承した。
「わかりました。必ず連れて帰ってきてくださいよ」
おっちゃんは青銅の壺の蓋を開けてムストウに向ける。
「ほな、外は雨が降っておりますので、この中で待機してください」
青銅の壺を向けると、ムストウは青銅の壺の中に入った。
おっちゃんはムストウの入った青銅の壺を持って、ヨアキムのいる場所に戻った。おっちゃんがワイバーンに乗ると、ヨアキムがワイバーンを飛ばして『緑沼』に向かった。
『緑沼』の周辺に着くと、ウルマスが率いる二十一人の冒険者が待っていた。
「ウルマスはん、ムストウを借りてきました」
ウルマスが満足気に頷く。
「よくやった。では、合図があるまで待機していてくれ。それでは作戦を開始する
」
ウルマスの合図で中級冒険者が動き出した。
持って来た袋から、強い香辛料の匂いがする焼けたヤギの肉を取り出す。フックを使い肉とロープを繋ぐと『緑沼』の近くに置いた。
肉の設置が終わると、ウルマスが『幻影』の魔法で全員の姿を隠す。
沼ヒドラが現れるまでじっと雨の中で待つ。
五分もしない内に沼から水柱が上がる。水の下から巨大な緑色の塊が浮上した。人間をひと飲みにできそうなくらい大きな蛇の顔が五つ出現した。
蛇の顔は巨大な鰐を連想させる胴体と繋がっていた。全長八mの化け物は沼ヒドラと呼ばれるモンスターだった。
沼ヒドラの知能は低い。だが、強い再生能力と猛毒を持つ危険な存在だった。
ゆっくりと沼ヒドラが肉に近づいて来る。中級冒険者がヤギの肉についたロープを引っ張る。肉が沼から離れておっちゃんたちのいる場所に移動を開始する。
沼ヒドラが肉を追いかけて沼から出てきた。中級冒険者が肉を引いて、沼ヒドラをおびき寄せる。
おっちゃんたちと沼ヒドラが十五mの距離に来たとき、肉は動きを止める。
沼ヒドラの首が肉に囓り付くと上級冒険者が駆け出した。上級冒険者が三方向から沼ヒドラを囲み、戦闘を開始する。
足場が悪く雨の中だったが、上級冒険者はよく戦った。上級冒険者が戦っている間に、中級冒険者がカヌーを担ぐ。中級冒険者は上級冒険者の横を通り抜け、沼に突進する。
中級冒険者はカヌーに乗って、沼の中央へと移動する。おっちゃんたちにはまだ指示はなかった。
戦い慣れした上級冒険者は、沼ヒドラの攻撃を巧みに捌いて攻撃していた。
沼ヒドラが次々と傷を負うが、傷はすぐに再生して行く。沼ヒドラの傷の再生速度より上級冒険者の攻撃力が、やや上回っていた。
(じりじりとだが、沼ヒドラにダメージが蓄積していっとる。だが、少々心許ない)
中級冒険者から沼の上空に光の魔法が放たれた。雨が急に弱くなった。
光を見て、ウルマスがヨアキムに指示が出た。
「ヨアキムは戦闘に加わってくれ」
「承知」とヨアキムが答えるとワイバーンに乗って戦闘に加わった。
ヨアキムがワイバーンを操り、上空からクロスボウで戦いに加わった。
戦いは冒険者が徐々に押して行った。
沼ヒドラの首が一つ切り落とされ、ウルマスからおっちゃんに指示が飛ぶ。
「沼ヒドラを逃がさないように、ムストウで沼ヒドラの退路を塞ぐ準備をしてくれ」
おっちゃんは駆け出して、沼と沼ヒドラの中間地点に移動した。
おっちゃんの移動が終わると、沼ヒドラの首がもう一つ落とされる。
沼ヒドラが形勢不利と悟ったのか、沼の中に逃げ出そうとして、おっちゃんに向かってきた。
おっちゃんは青銅の壺の蓋を開けた。勢い良くムストウが飛び出した。
霧雨が降る状態で呼び出されたムストウが、不満の声を上げる。
「おい、まだ、雨がまだ降っているだろう。雨の中で呼ぶなよ」
「ムストウはん、あと一息なんです。協力してください」
ムストウが向かってくる沼ヒドラを不機嫌に見据える。ムストウの体が変化し、長さ二十m、高さ十mの燃え盛る炎の壁に姿を変えた。
ムストウの熱により、辺りの水分が蒸発して大量の水蒸気を上げる。あまりの熱さに、おっちゃんは後退した。
突如として現れた炎の壁に、沼ヒドラは退路を阻まれた。
沼ヒドラの巨体からすれば、炎の壁を突き破ろうとすれば、突き破れたかもしれない。
だが、沼ヒドラは火を怖れた。沼ヒドラがどうにか炎の壁をよけて進めないかと努力する。
ムストウが変化した炎の壁は自在に動いて、沼ヒドラの退路を塞ぐ。そうしているうちに、冒険者が追いつき容赦のない追撃を開始する。沼ヒドラの首が一つ、また一つと落ちる。
首が一つとなった沼ヒドラが炎の壁に体当たりをする。炎の壁を突き抜けて沼ヒドラの頭が突き出した。
おっちゃんは沼ヒドラにできた隙を見逃さない。剣で沼ヒドラの頭を突いた。刃が沼ヒドラの目に突き刺さり、そのまま脳まで達する。
沼ヒドラが動きを止めた。沼ヒドラの体は炎の壁の中心で止まった。霧雨も止んだ。冒険者の勝利だった。
おっちゃんは沼ヒドラが動かなくなると、さっさと剣を鞘にしまった。
「勝鬨を上げろ」とウルマスが叫ぶ。勝利の声が『緑沼』に響いた。
冒険者は沼ヒドラを倒し、雨を降らしていた魔道具の残骸を回収した。
おっちゃんとヨアキムは製鉄村に戻って、ムストウを返して冒険者ギルドに戻った。
冒険者ギルドに戻ると、晴れた雲の隙間から夕日が覗いていた。
「久々に見た太陽じゃ」と、ヨアキムが満足げな顔で発言する。
冒険者ギルドのドアを潜ると、セニアの「お帰りなさい」の元気な声が聞こえた。
おっちゃんは微笑んで「ただいま」と声を掛ける。




