第百七十六夜 おっちゃんと長雨(前編)
しとしと降る雨が三日ほど続いた。
タイトカンドの土地は水捌けがよくない。近くの河が増水していた。
大きな河なのですぐに溢れる危険はない。けれども、このまま雨が降り続けば堤防が決壊して街に水が流れ込んでくる恐れがあった。
冒険者の酒場に噂が流れる。
「雨雲の中を勢い良く飛ぶ雲龍の姿を見た。雲龍が雨を降らせている」
「炭焼き村の時といい、雲竜は街に災いを齎す存在だな。退治を考えたほうがいい」
(雲龍はんの評判が悪いな。これ、きちんと抗議しとかな人間との間で問題になるで)
おっちゃんは雨具を買うと、宿屋の自室から霊峰に『瞬間移動』で飛んだ。霊峰には雲龍がいた。
雲竜は機嫌が良いのか、雲龍から話し掛けてきた。
「おっちゃんか、どうした。『雲龍炭』が欲しいなら持って行くといいぞ」
「今日はお話があって来ました。この長雨は雲龍はんが降らせてるって、本当ですか?」
雲竜が気楽な調子で話した。
「それは嘘だな。渓谷や山道に霧を出現させる力はあるが、雨を降らせる能力はない」
「なら、雨の中を元気に飛んでいたのは、なんで」
雲龍が軽いノリで答える。
「雨が降れば雨雲の中を飛びたくなるのが雲龍だからな。今回は少し羽目を外し過ぎて人里付近に出過ぎたかもしれん。自重しよう」
「そうか、長雨と雲龍はんは無関係でっか。疑って、すんまへん。この辺りって、長雨が続く状況は毎年ありますのん? タイトカンドでは夏の長雨って普通なん?」
雲龍が簡単に言ってのける。
「いや、ここまで雨が続いた状況は、数十年に一度だ。もっとも、今回は数十年前とは勝手が違う。今回の長雨の原因は魔道具のせいだからな」
初耳だった。
「詳しく教えてもらえまっか」
「『緑沼』と呼ばれる場所がある。『緑沼』にある小島の一つに、雨を降らせる魔道具が設置されている。その魔道具のせいで、雨が降っている。その魔道具を止めない限り雨は止まらぬ」
「それ、まずいですやん。止めないと河が氾濫して、タイトカンドが水害に遭う」
雲龍が気分もよさそうに話す。
「止めたいならいいけど、気をつけるんだな。『緑沼』にはいつから来たか知らないが、沼ヒドラがいるから。雨天の沼ヒドラは強いぞ」
「え、そんな恐ろしい怪物がいますの。大変やわ」
おっちゃんは『瞬間移動』でタイトカンドの宿屋に戻った。冒険者ギルドに行く。
「セニアはん、『緑沼』について教えて。緑沼ってモンスターとか棲んでるん?」
セニアがいたって普通の態度で教えてくれた。
「『緑沼』は街から半日いった場所にある沼ですよ。特に何もない沼ですが、今は増水の影響で周囲に沼が広がっているかもしれませんね。危険なモンスターとかはいないですよ」
「あんな、『緑沼』で沼ヒドラを見た人がいるんよ。また、緑沼にある島に雨を降らす魔道具が設置されているらしいんよ。誰かが、タイトカンドを水攻めにしようとしている節がある」
セニアが怪訝な顔をして、おっちゃんの言葉を疑った。
「おっちゃん、その話は本当ですか?」
「それでな、おっちゃんは沼ヒドラが本当にいるか、確認のために依頼を出す。報酬は金貨三枚や」
おっちゃんは貯金を下し、依頼料を払って『緑沼』へ沼ヒドラの調査依頼を出した。
(相手は沼ヒドラや。一人で行ったら危険や。複数人いる冒険者へ依頼するに限る)
調査だけの依頼なので、応募してくる冒険者が簡単に見つかった。
翌朝、五人の冒険者は元気に旅立つ。夜には暗く疲れた顔をした三人だけが帰ってきた。
依頼を受けた冒険者が、依頼報告カウンターに行く。
「あの沼には、沼ヒドラがいる。イルメルとヴィルヘルムが犠牲になった」
「ご苦労様でした」とセニアが沈痛な面持ちで声を掛け、報酬を払う。
冒険者たちがやりきれない顔でカウンターを後にする。
おっちゃんは依頼報告カウンターに行く。
「おっちゃんの聞いた話が真実味を帯びてきたな。だが、沼ヒドラがいるなら、厄介や。沼ヒドラを倒さないことには、魔道具がある島までは行けん。ギルド・マスターからお城に話を上げてもらいたいんやけど、ええか?」
「わかりました。ギルド・マスターに相談してみます。もし、魔道具の話がなくても『緑沼』の近くには製鉄村があります。沼ヒドラは危険なモンスターなので、討伐の話になると思います」
夜が明けると、冒険者の酒場では堤防がそろそろ限界を迎えるとの話題で持ちきりだった。
「どうやら、沼ヒドラ退治にはそれほど時間がないようやな」
お昼になると、冒険者の酒場に冒険者ギルド・マスターのウルマスが姿を現した。
ウルマスが怖い顔をして、強い口調で発言した。
「領主のボルゲ様からの依頼で、沼ヒドラと戦う事態になった。相手は強敵の沼ヒドラだ。今から呼ぶパーティはこちらに来てくれ。拒否権はない」
ウルマスが上級冒険者三パーティと、それに次ぐ実力を持つ中級冒険者一パーティの名前を挙げた。名前を呼ばれた冒険者は、ウルマスに従いてカウンターの奥に消えて行った。
セニアが厳しい表情で声を掛けてくる。
「おっちゃん、ヨアキムさん。お話がありますが、いいですか」
呼ばれたので、おっちゃんとヨアキムは、密談スペースに行く。
セニアが真摯な顔で依頼してきた。
「おっちゃんとヨアキムさんには、ギルド・マスターのウルマスから依頼があります。おっちゃんとヨアキムさんは製鉄村から炎の精霊のムストウを借りて来てください。事態が事態なだけに拒否権はありません」
「なるほど。沼ヒドラをムストウをつこうて倒そういう話か。借りに行く話はいいけど、雨の中では、ムストウは本来の力は出せんで」
「ムストウを出す前に、島の魔道具を捜索班の冒険者が発見し破壊します。それで、戦闘班が沼ヒドラを倒せればいいのですが、駄目な時はムストウを参戦させてください」
ヨアキムが腕を組んで考えを巡らせながら、感想を述べる。
「上級冒険者で倒しきれなかった時の予備戦力をワシとおっちゃんにやれ、というわけだな。用心深いウルマスらしい作戦だ」
「報酬は一人、金貨二枚です。お願いできますか」
「おっちゃんは、ええよ」と答え、ヨアキムが気の乗らない顔で応じる。
「報酬が少ない気もするが、ウルマスの頼みだ、やってやろう」