第百七十二夜 おっちゃんと炎の精霊
翌日にマルックが礼を言いに来た。
「おっちゃん、ありがとう。アイアン・タランチュラが石になったおかげで鉄鉱石が掘れるようになった。これで製鉄村は救われる。本当にありがとう」
「そうか。それは良かったな。でも、運が良かったで、北方賢者さんが協力してくれんかったら、倒せなかった。ほな、おっちゃん、休業に入るからしばらく休むよ」
次の日、おっちゃんがお昼にフライトポテトを摘みに一杯やっていると、困った顔をしたマルックが入ってきた。
おっちゃんは非常に嫌な予感がした。マルックが口を開く前に一言「おっちゃんは、休業中やで」と断った。
マルックが困った顔のまま告げる。
「おっちゃん、ちょっと休業を待ってくれ。製鉄村が救われてなかった」
「え、なに、どういうこと」
マルックが密談スペースに誘うので、おっちゃんは食事を中断して移動する。
苦い顔でマルックが話し始める。
「アイアン・タランチュラの脅威は去った。だが、別の問題が製鉄村で起きていた。製鉄村では実は、普通に黒炭を燃やして製鉄をしているわけじゃないんだ」
「鉄って鉄鉱石を砕いて、熱してから作るんやないの」
マルックが淡々と説明した。
「製鉄村では、炎の精霊に炭を喰わして、鉄鉱石を加熱している。その独自のやり方で、普通は一割程度しか取れない剣用の一級鋼を、三割も生産している。おかげでタイトカンド鍛冶師は安く良い鋼を使えるんだ」
「炎の精霊の力を借りて、高品質品を量産しておるのか」
マルックが困惑した顔で説明した。
「そうなんだ。ところが、肝心の炎の精霊がやる気をなくした。完全に働かないわけではないんだが、もう、以前のように良い仕事をしなくなったんだ。宥めても脅しても無理らしい」
「それは大変やね」
マルックが苦しい顔で頼んで来た。
「そこでだ、おっちゃん。やる気をなくした炎の精霊に再びやる気を起こさせてくれ」
「マルックはんの依頼は、わかった。でも、それ、冒険者の仕事やない気がする」
マルックが投げやりに発言した。
「俺だって、なにかおかしな依頼をしていると思うよ。でも、俺には炎の精霊の気持ちなんて全然わからん」
「おっちゃんかて、わからんよ。おっちゃんは精霊やないしね」
マルックが弱った顔で頼んで来た。
「そこで、物知りの北方賢者さんにどうしたら炎の精霊がやる気になるか、聞いてきて貰いたいんだ」
(北方賢者の名前を出したら出したで、こうなるんか。世の中は、つくづく思うようにはいかんな)
「賢者さんかて全てを知っているわけやない。そんなの賢者さんでもわからんよ」
マルックが弱った顔で頼んで来た。
「でも、おっちゃんは、北方賢者さんじゃないだろう。だから、聞くだけ、聞いてきてもらえないかな。精霊がやる気になった暁には金貨五枚を払うと、製鉄村の村長のカイヤは言っている」
「金額は関係ないんやけどなあ」
マルックが頭を下げて真摯に頼んだ。
「頼むよ、おっちゃん、鉄鉱石が掘れても、火がないんじゃ、製鉄村は救われない。俺は製鉄村を救ってやりたいんだよ。タイトカンドの全ての鍛冶師は製鉄村には恩を感じているんだよ」
「おっちゃんも、前に頼まれた時に製鉄村を救ってくれって依頼だったから、仕事の後のアフター・ケアの一環やと思って、引き受けてもいいけど。これ、終わったら本当に休業に入るからね。これが最後で、休業するからね」
「ありがとう。助かるよ」
おっちゃんは再び製鉄村に行った。製鉄村の村長に会う。製鉄村の村長のカイヤは年配の女性だった。
カイヤが疲労の滲む笑顔で挨拶する。
「マルック親方から聞きました。アイアン・タランチュラを退治してくださった冒険者の方ですね」
「おっちゃんは見ていただけですから、大した仕事をしていません。どこまでお役に立てるかわかりませんが、精一杯、協力させてもらいます。それでどんな状況なんですか」
「さっそく、こちらへ」と製鉄所の中へ通された。
製鉄所の奥にはレンガでできた直径十五mのお椀状の物体があり、お椀の中には身長が五mほどの人型の炎の塊が寝転がっていた。
「あちらにいるのが、炎の精霊ムストウです」
「どうも」とだけ、ムストウがおっちゃんを見て軽い調子で挨拶した。
「こんにちは。わいはおっちゃんいう冒険者です。ムストウはん、仕事やる気にならんの?」
ムストウが砕けた調子で喋った。
「なんていうかね、意欲が湧いてこないんだよ。前はもう炭を食べると、がーってモチベーションが上がった。それこそ燃えるような心があったんだけど、今は全然ないね。消し炭状態」
「心の内から火が消えた状態でっか。そんでもって、強い倦怠感を覚える。働けない状態ではないが、働くとすぐに疲弊する。集中力も散漫になり、以前に興味が持てたものにも興味がなくなる。そんな状態でっか?」
ムストウが機嫌よく答える。
「当り。よくわかるね。だいたい、そんな感じ」
「確認ですが、体には異常は感じてはおらん。力はある。だが、燃料がいくらあっても、燃えていかない感じですか」
「それも、当たり。体にはエネルギーが貯まっているが、不完全燃焼状態だね」
「ムストウはん、働き始めて二十年くらいでっか」
ムストウがぼんやりした顔で答える。
「だいたい、それくらい」
おっちゃんは元ダンジョン・モンスターでもある。ダンジョン勤務時代には精霊型モンスターとも一緒に働いた経験があった。精霊型モンスターの同僚にも、同じような症状になった者がいた。医者の診断で『存在バテ』と診断された。
(精霊型が長い期間に亘って人間の世界にいた時になる、典型的な『存在バテ』の症状やね)
精霊型モンスターは人間たちが暮らす世界には存在できない。それを魔法で呼び出して人間の世界に繋ぎ止めると、自覚症状がないままに体を病んで行く。『存在バテ』と呼ばれる症状だった。
おっちゃんはカイヤに向き直る。
「北方賢者さんの言うた通りでした。ムストウはんは『存在バテ』と呼ばれる状態になっています。一度、召喚を解除して二ヶ月ほど時間を置いて再召喚したら治ります」
カイヤが困った顔で発言した。
「それは無理です。ムストウを召喚した魔術師はもうこの世におりません。ムストウの召喚を解除できたとして、呼び出せません」
「なら、『始原の薬』が必要ですな。『始原の薬』を飲ませればまた元気になります。魔術師さんからこんな時のために、薬を預かっていませんか」
カイヤが困惑した顔で、おずおずと尋ねる。
「いいえ、なにも預かっていません。その、『始原の薬』は入手可能なんでしょうか」
『始原の薬』は特殊な薬なのでタイトカンドでは手に入らない。だが、精霊型モンスターが勤務してダンジョンでは時折は使う品なので、ダンジョン通販なら買える。
「市場に出回るものではないですから、なんとも。でも、探してみましょうか」
「わかりました。値が張ってもいいのでお願いします」とカイヤは深々と頭を下げた。
おっちゃんは『イヤマンテ鉱山』から『始原の薬』を買おうとした。
『イヤマンテ鉱山』の廃坑道の前にキャンプを張る。
夜になると、アーマットが四人の護衛を連れて現れた。
「こんばんは、アーマットはん、良い夜ですね。今日は取引がしたくて来ました」
アーマットが落ち着いた様子で切り出す。
「ちょうど良かった。私も話があったところです。人間が使う剣や槍などの武器を三十点ほど仕入れて来てくれませんか。高品質の物でなくていい。中級冒険者が使うような武器でいいです」
「おっちゃんは、炎の精霊を元気にする『始原の薬』が欲しかったところですわ」
アーマットが軽い調子で承諾してくれた。
「『始原の薬』ですか。武器三十点との交換だと、少々こちらが損をしますが、いいでしょう。武器を仕入れて来てくれるなら、『始原の薬』を用意しましょう」
(なんや、武器でええのか。それなら楽勝やで。タイトカンドなら、武器は売るほど大量にある)




