第百六十九夜 おっちゃんと芋腐病
巨大ベトムがいなくなったので、雲龍は霊峰に帰って行った。
雲龍がいなくなり黒炭の運搬に支障がなくなった。鍛冶の街は以前と同じように、鎚を振るう音が戻った。
「タイトカンドには鎚を振る音がよく似合うの」
街は以前の生活には戻ってはいなかった。食料品の高止まりが起きていた。
おっちゃんは酒場でおにぎりを片手に、肉がほとんど入っていないポトフを食べていた。
下級冒険者の誰かがぼやく。
「たまには、ジャガイモ以外の料理が食いたいな」
「贅沢を言うな。ジャガイモだって美味いだろう」
ハイネルンとの国境閉鎖は解かれていない。パンの材料となるライ麦は高騰していた。乳製品は姿を消し、肉製品は贅沢品になっていた。豊富に取れるジャガイモがタイトカンドの食卓を支えていた。
おっちゃんが食事を終えると、セニアが表情を曇らせて話し掛けてきた。
「おっちゃん、ちょっといい? 話があるの」
「ええよ。今、飯を喰い終わったところや」
セニアが、おっちゃんを密談スペースに誘い、表情を曇らせて訊いて来た。
「ヘルッコから聞いたわ。おっちゃんは『イヤマンテ鉱山』のモンスターと取引しているって、本当?」
「どうした? なんぞ、問題になっとるん?」
セニアが困った顔で伝えた。
「そうじゃないわ。実はタイトカンドに恐ろしい危機が迫っているの。芋腐病よ。このまま行くとタイトカンド中のジャガイモが感染してジャガイモが滅ぶわ」
「そうなん? 庶民の食い物がなくなったら困るやん。でも、おっちゃんと何の関係があるん」
「冒険者のヨアキムさんが言うには、芋腐病には大地の精が内包する毒が有効なんですって。でも、大地の精を冒険者が根こそぎ退治したわ」
「少し前なら、タイトカンドから『イヤマンテ鉱山』までの間に、ゴロゴロいたな。全部、倒してしまったんか」
セニアが弱った顔で、おずおずと頼んだ。
「大地の精は『イヤマンテ鉱山』から発生したモンスターでしょ。『イヤマンテ鉱山』から大地の精の毒を輸入できないかしら」
「『イヤマンテ鉱山』になら大地の精の毒はあるだろうけど、おっちゃんが交渉に行かなきゃ駄目かな」
セニアが真摯な顔で告げる。
「これは領主のボルゲ様からの依頼だし、内容からいっても失敗できない仕事なの。だから、冒険商人である、おっちゃんが最適だと思う」
(あれ? おっちゃんの肩書き、また、おかしうなっとるよ)
「おっちゃんは冒険者だけど商人やないよ」
セニアが意外そうな顔をする。
「そうなの? でも、おっちゃんに頼むと普通は手に入らない物が入るから、凄腕の商人だと思っていたわ」
「似たような仕事をしているから、勘違いされたかもしれないけどね。おっちゃんは冒険者や」
セニアが弱った顔でお願いしてきた。
「お願い、おっちゃん。このまま芋腐病が蔓延したら、タイトカンドでは飢饉が起きるわ。頼れる人はおっちゃんしかいないの。冒険者として街を助けて」
話は難しくはない。影響の範囲もでかいので手を貸してやってもよかった。
「単純なお使いだからいいけど、おっちゃんの働きは秘密にしてもらえるかな」
「わかっているわ。モンスターと取引しているなんて知られたら、評判が落ちるから秘密にするわ」
(評判が落ちるならええけど、評判が上がって行くから問題なんやけどね)
「あと、おっちゃんは最近、色々と働いているからこの仕事を終えたら、しばらく休業するからね」
おっちゃんは保存食とエールを買う。貯金から金貨二十枚を引き出す。
幌のない荷馬車にロバを繋いで廃坑道付近で一日キャンプを張る。四人の護衛を連れたアーマットが、夜になると現れた。
「こんばんは、アーマットはん、良い夜ですね。今日は、ちょっと売って欲しい品があるんですわ」
アーマットが気軽な口調で訊いて来た。
「なんですか? 欲しい品は、鉱石ですか、宝石ですか?」
「人間の世界ではジャガイモを腐らせる病気の芋腐病が発生しています。そんで、芋腐病には大地の精が持っている毒を薄めて散布すると、効果があるんですわ。大地の精の毒を売ってもらえませんか」
アーマットがあまり興味なさそうな顔で発言する。
「そんな病気が流行っているとはね。いいですよ。エール樽一杯分の毒に付き、金貨十枚でどうでしょう」
「助かりますわ。ほな、二樽ください」
おっちゃんが金貨二十枚を払うと、大きなエール樽が運ばれてきたので荷馬車に積む。そのまま、おっちゃんは、タイトカンドに戻った。
(今回の仕事は楽に終わったな。いつも、こんな簡単に話が済むといいんやけど)
「セニアはん、頼まれた品物を仕入れてきたで。買い取ってや」
セニアが顔を綻ばせて喜んだ。
「ありがとう、おっちゃん。これで街の食卓は救われるわ」
おっちゃんは仕入れ代金と報酬として、金貨三十枚を受け取った。
「金も貯まったから、しばらく遊んで暮らそう」
翌日、なにをして過ごすそうかと気分よく酒場に行く。酒場が騒がしかった。
冒険者が冴えない顔で噂する。
「製鉄村の近くに、鉄を食らう大きな化け物が出た。二十mはある蜘蛛のモンスターだ」
「蜘蛛の化け物は全身が鉄に覆われていて、普通の武器が通用しないらしい」
(全身が鉄の巨大蜘蛛か。話が本当なら厄介やな)
次の日には、冒険者ギルドの募集掲示板に人だかりができていた。注目を引いている依頼はアイアン・タランチュラの討伐。討伐成功時には金貨八十枚が支払われる。
(なかなか高額な依頼やな。だが、相手は二十m越えで、普通の武器が効かんとなると手の打ちようがないで)
六人の冒険者がやって来た。冒険者はタイトカンドの上級冒険者の『鋼鉄の兎』だった。
掲示板の前にできた人だかりが道を空ける。
『鋼鉄の兎』が依頼票を剥がして、カウンターに持って行く。
(なんや。やってくれる人間がおるんか。勇者やのー)
冒険者が噂する。
「おい、『鋼鉄の兎』が依頼を受けたぞ。これは俺たちの出番はなしだな」
「違いない。これで製鉄村も救われたな」
誰しもが、『鋼鉄の兎』ならやってくれると信じた。だが、三日後には掲示版に再び、アイアン・タランチュラの討伐依頼の依頼票が貼られる。
(討伐失敗か。これは、一筋縄ではいかんで。鍛冶には鉄は必需品。鉄が入らなくなったら、タイトカンドの産業は潰れる。なんや、雲行きが怪しうなってきたで。まさか、おっちゃんに依頼が来るんやないやろうな)