第百六十八夜 おっちゃんと価格交渉
翌日、おっちゃんが酒場で朝食を取っていると、青い顔をしたマルックがやって来た。
「おっちゃん、大変な事態になった」
マルックがおっちゃんを密談スペースに連れて行き険しい顔で伝える。
「昨日、手に入れた『雲龍炭』だが、使える『雲龍炭』は一割しかない。ロバにして二頭分だ」
「え、どういうことや」
「昨日さっそく『雲龍炭』の品質を確かめるために火にくべたんだ。そしたら、毒の煙が発生した。あの『雲龍炭』は毒に汚染されている、汚染されていない部分は一割くらいだ」
「毒の煙が出る以外の問題はどうや。品質的に使えない代物なんか」
マルックが弱った顔で発言した。
「質的な問題はない。普通の『雲龍炭』と同じくくらい高温になる。だが、毒の発生は大問題だ。下手に使えば街の空気を汚染する。そんな仕事は職人にさせられない」
「そうか。使える部分は一割か大損やな」
おっちゃんは口にしないが、『雲龍炭』を使えるようにする方策があった。『イヤマンテ鉱山』の浄化技術だった。
(常に鉱毒の危険がある『イヤマンテ鉱山』やが、働いているモンスター全員に毒に耐性があるわけやない。きっと毒を無毒に変える技術がある。だが、『イヤマンテ鉱山』に行ってないおっちゃんが指摘するわけにはいかん)
「とりあえず、汚染された『雲龍炭』をよけておいて、使える『雲龍炭』だけを使用したり、交易に使うしかないの。汚染された『雲龍炭』から出る煙なんて鉱毒みたいもんや」
鉱毒の単語を出し、マルックが思いつくように誘導する。
マルックがおっちゃんの言葉を聞いて、思いついたような顔をする。
「実は俺に考えがある。汚染されていない『雲龍炭』は街で使う。汚染された『雲龍炭』は交易に使おうと思う」
「止めておいたほうがいいと思うよ。汚染された『雲龍炭』を掴ませたら。せっかくの『霊金鉱』の取引も止まるで」
「そこはハッキリと、汚染された『雲龍炭』だと言って売る。俺の勘だが、『イヤマンテ鉱山』には鉱毒を無害化するか、除去する技術があるはずだ。なら、汚染された『雲龍炭』だって使えるはずだ」
(お、上手く気付いてくれたような)
「なるほど、マルックはんの考えは、当っているかもしれん」
マルックが腕組みして深く考えて発言する。
「となると、交渉力がものを言うな。『雲龍炭』が汚染されている状況は事実だ。足元を見られるかもしれん。おっちゃん。足元を見られ過ぎないように交渉に行ってもらえないか」
「おっちゃんも『雲龍炭』が売れないことには大損やからええけど。交換レートはどれくらいが妥当やの」
「普通の『雲龍炭』なら二十㎏に対して『霊金鉱』が一㎏だ。汚染されている『雲龍炭』なら四十㎏に対して『霊金鉱』が一㎏くらいか。でも、汚染された『雲龍炭』五十㎏に対して『霊金鉱』一㎏までなら譲歩してもいい」
「わかった。その線で交渉してみるわ」
おっちゃんは汚染された『雲龍炭』を持って、イヤマンテ鉱山の廃坑道に向った。
廃坑道付近でキャンプを張っていると、五人の護衛を連れたアーマットがやってきた。
おっちゃんは明るい口調で挨拶する。
「こんばんは、アーマットはん。ええ夜ですね」
アーマットが不機嫌な顔で訊いて来た。
「『雲龍炭』を持って来ていないようですが、どういうおつもりですか」
「『雲龍炭』は手に入ったんですが、どうも、ベトムの毒に汚染されているようなんですわ。なんで『雲龍炭』二十㎏に対して『霊金鉱』が一㎏で交渉したかったんですが。質が悪いので値下げします。『雲龍炭』五十㎏に対して『霊金鉱』が一㎏で、どうでしょう」
アーマットが突き放したように言葉をぶつける。
「汚染されているなら、『雲龍炭』が百㎏に対して『霊金鉱』一㎏くらいが妥当でしょう」
(いきなりの大幅値上げ宣言やね。この価格から交渉しても妥協は難しいな。かといって、アーマットが強気の価格を提示した以上は簡単には引かんやろう。それに、『イヤマンテ鉱山』のほうが立場は強いからね)
おっちゃんはキッパリと発言した。
「ほな、『雲龍炭』と『霊金鉱』の取引はナシでいいですか」
取引はしたいが、おっちゃんは引きに転じた。おっちゃんが悪者になる展開を作り、アーマットに花を持たせて妥結させる作戦に出た。
アーマットが高圧的に諭す。
「私どもは構いませんが、汚染された『雲龍炭』なんか持っていても使い道がないでしょう」
「勘違いしたら困ります。汚染された『雲龍炭』は燃やすと毒を発生させるだけで、使えないわけではないんです」
アーマットが馬鹿にしたような口調で発言した。
「毒を吸い込んだ人間は死にますよ。毒消しのポーションを飲みながらやっても、毒は体に蓄積される。作業した人間はいずれ死ぬ。それでも構わないと」
おっちゃんは当然だといった口調で語る。
「精錬は難しい作業やあらへん。貧しい人間に金を渡して、危険な作業をやらせたらええだけです。人間の世界では弱い人間を使い捨てにして利益を出すのが普通なんですわ」
アーマットが澄ました顔で指摘する。
「作業をした人間が死ぬだけなら、いい。だが、毒が流れ出せば、環境を破壊して周りの河川や林も汚染されますよ」
おっちゃんは挑戦的な口調で話す。
「環境では飯は喰えん。それに、ダンジョンを暴走させて、『雲龍炭』の汚染の元となった巨大ベトムを生み出して放置した、『イヤマンテ鉱山』さんの言葉とは思えませんな」
アーマットが「ふっ」と笑い、感心した口調で話す。
「ここで、おっちゃんの提案を呑めば、私は、愚かな人間から環境を守りつつ、『イヤマンテ鉱山』に利益を齎した存在となる。おっちゃんの評判は下がるが、私の評判は上がる。面白い交渉の仕方をしますね」
(なんや、こっちの意図を読みきったようやな。さて、どう出て来るかの)
「買い被りですわ。取引が失敗した時に起きるであろう事件を、おっちゃんは並べただけです」
アーマットが自然な態度で申し出た。
「いいでしょう。汚染された『雲龍炭』を人間側で使用して毒を発生させない条件を付けてください。そうすれば、汚染された『雲龍炭』四十八㎏に対して『霊金鉱』一㎏で買い取ります」
(ちょっとだけ負けてくれた態度は、サービスやね。少しだけど、いいところあるやん)
「ほな、それでお願いしますわ」
翌日に何も知らない人足にロバを引かせて、汚染された『雲龍炭』を持たせる。廃坑道の前で待つ。
夜になると、アーマットを先頭に人間に化けたモンスターが来て『霊金鉱』と『雲龍炭』を交換してくれた。
取引を終える。暗い夜道を人足を引き連れ帰った。帰り道で人足頭が控えめな態度で尋ねる。
「旦那、取引の相手がロバを持っていなかったようですが、どうやって大量の黒炭を運ぶんですかね」
「ワイバーンで空輸するって言ってたで。ワイバーンは気性が荒いから、事故防止の観点から離れた場所に待機させておるんやろう」
人足頭がおっちゃんの答に納得できなかったのか、浮かない顔で尋ねる。
「旦那、でも、なんか、こう、妙でしたね。詳しく指摘できないんですが、どこか、おかしい気がしました。俺は以前に霞人に化かされた経験があるんですが、そん時と空気が同じでした」
『イヤマンテ鉱山』側の人足の中に霞人がいた事実はおっちゃんも知っていた。だが、素直に教えてやる必要はない。
「そうか。おっちゃんは、何もおかしなところを感じんかったよ。こっちが品物を出して、相手から取引する品物を受け取った。それだけやで。報酬を払っているんやから、おっちゃんのお客さんにあまり失礼な内容を言わんといて」
「へい、すいません」と人足頭は頭を下げた。
取引で得た『霊金鉱』は二十二・五㎏となった。話し合いの結果、十二㎏はおっちゃんの取り分となった。金額にすれば金貨六百枚相当。だが、おっちゃんは金貨に換えず鍛冶師ギルドに預かってもらった。