第百六十一夜 おっちゃんと黒炭運搬(前編)
翌々日、黒炭の買い付けの集団が出る前におっちゃんは動き出した。古着屋でフード付きのローブを買う。厩舎に寄って荷運び用の馬と、幌のない荷馬車を借りた。
黒炭の買い付け集団が出る前におっちゃんは先にタイトカンドを出て炭焼き村に向った。炭焼き村に着いたおっちゃんは以前に黒炭を買った炭焼き小屋に向った。
「リューリさんの紹介で来ました。黒炭を売ってもらえますか」
年配の職人は応じる。
「黒炭はいくら作っても外に運べないから、貯まっているのがごっそりある。いくら欲しいんだい」
「今日は荷馬車で来ましたから二百㎏お願いします」
「在庫が溜まっているから、嬉しいね。あと、木酢液も大量に余っているけど買わないか。薄めて畑に撒くと病害虫の予防になるよ。ベトム避けにもなるって話だ」
「ベトムに効くんか。うーん。でも今日は、木炭だけでええよ」
おっちゃんは金貨二枚を払い、二百㎏の黒炭を荷馬車に積んだ。後は買い付け集団が炭焼き村にやって来るのを待った。
おっちゃんは黙って買い付け集団が黒炭を積むのを見守った。買い付け集団に囮になってもらい、雲龍が買い付け集団を襲っているのを横目に街に帰る作戦だった。
(多少ずるいようやけど、おっちゃんのほうだけ狙われる可能性もあるから、どっちもどっちやな)
昼休みを取って買い付け集団が炭焼き村を出た。十五分ほど遅れて、おっちゃんは出発した。
霧が深くなる危険な場所に到達した。フードを被りワーウルフに姿を変えた。
先頭を進む人間の匂いがした。
おっちゃんは用心深く距離を取って馬を進める。霧が急に濃くなってきた。
(匂いは、人間のものしかしない。けど、この霧は異常や。これ、近くに雲龍がいるで。さて、進むべきか、退くべきか)
おっちゃんは買いつけ集団の位置との距離を知ろうとして『物品感知』の魔法を唱えた。だが、魔法が上手く働かなかった。
(感知系の魔法が使えんとなると、やっぱり、この霧は普通の霧やないね。特殊な霧や)
おっちゃんは音と匂いに注意した。
狼の耳が遠くの音を拾ってきた。内容はわからないが人間の叫び声が上がっていた。そのうち、微かな血の臭いが漂ってきた。
(やっぱり、襲われたか。黒炭を捨てずに戦ったようやな。ここは一時後退や)
おっちゃんは人間の姿に戻って、村に引き返した。
村で二時間ほど時間を潰してから再び道を進む。用心のためにワーウルフとなり、音と匂いに注意する。血の臭いが強くなってきた場所で、荷馬車と自分に『透明』の魔法を掛けて慎重に馬を進めた。
進んだ先に破壊された馬車の残骸や、人の死体らしきものが転がっていた。息を殺して用心して移動する。そのまま進んで行くと霧が薄くなってきた。
まだ、安心しない。霧の発生場所を通り抜けてから魔法と変身を解く。
「ふー、なんとか通り抜けたで」
おっちゃんは無事にタイトカンドに着き、荷馬車を進めてアーロンの鍛冶場に行った。
「リューリはん、黒炭を運んで来たで買い取ってや」
リューリが飛び出てきて、目を輝かせ店の奥に声を懸ける。
「親方、おっちゃんが黒炭を運んできてくれたよ」
出てきたアーロンが、満足げな顔で発言する。
「今度はちゃんと馬で買ってきてくれたようだな。荷下ろしを手伝ってもらっていいか」
アーロン、リューリ、おっちゃんの三人で黒炭を荷馬車から下ろした。
アーロンから黒炭の代金として金貨八枚を受け取り、厩舎に荷馬車と馬を返した。
(売り上げが金貨八枚。黒炭の代金が金貨二枚で、荷馬車と馬のレンタル代金がセットで金貨一枚。金貨五枚の儲けやね。失敗するとまるまる大損だから、ええ儲けとは言えんな。でも、そのうち雲龍も元気になればいなくなるやろう)
翌日、おっちゃんが冒険者ギルドで昼食にポトフとコロッケを食べていると、セニアに密談スペースに呼ばれた。
密談スペースに行くと、金髪の若い鍛冶師の男が待っていて畏まって挨拶をした。
「鍛冶師のヘルッコといいます。今日は、おっちゃんにお願いがあって来ました。炭焼き村から黒炭を運んで来ていただくわけには、まいりませんか」
「え、なんで、おっちゃんに依頼をするん」
「昨日、アーロンの親方のところに黒炭を運び込む場面を見た人間がいます。黒炭を運べるなら、お願いします」
「そうはいってもねえ。昨日は、おっちゃんが忘れ物に気が付いて村に戻ったから偶々、雲龍の襲撃を免れたんだけやからね。少しの差で助かったようなもんや」
ヘルッコが真剣な顔で頼んだ。
「それでも、おっちゃんが黒炭の運搬に成功した事実には変わりがありません。このまま黒炭が街に入らないと、街の産業がストップします。どうか、街を助けてもらえないでしょうか」
(来たよ、街を救ってくださいの依頼。引き受けると巡り巡って街にいられなくなる依頼や)
おっちゃんは引き受けたくなかった。すると、ヘルッコが困った顔で頼んだ。
「冒険者を大量投入した運搬の失敗で、鍛冶師ギルドには後がなくなりました頼みます。助けてください」
「そうはいってもねえ。ヘルッコさんでしたっけ。鍛冶師ギルドの評判は良くないよ。助けるほうとしても評判の悪い人を助けたくないよ」
ヘルッコは真面目な態度で申し出た。
「リューリを揶揄った件ですか。わかりました。黒炭の運搬を成功させてくれるなら、俺のほうから頭を下げに、アーロンの親方のところに行きます。黒炭もきちんと差別なく組合員に行くようにします」
(なんや、ヘルッコ、そんなに悪い奴やないみたいやな)
「わかった。一日だけ考えさせて」
ヘルッコを帰してからセニアに尋ねる。
「ヘルッコさん、悪い人には見えんけど評判は悪いの?」
セニアが軽い調子で答える。
「悪い人じゃないですよ。ただ、ヘルッコさんはリューリさんが好きだったんです」
「え、そうなの」
「それで、結婚を前提にお付き合いも申し込もうとしたら、リューリさんが鍛冶屋になるって言い出して、関係がおかしくなったんです」
「なんや、恋愛感情の縺れが裏にあるんか」
「それだけじゃないですよ。鍛冶師ギルド・マスターのマルックさんとアーロンさんは、同じ師匠の元で修行した、昔からライバルだったんです」
「師匠同士も知り合いやったんか。なら、なんで争っているん」
セニアがよく知った口ぶりで教えてくれた。
「おそらく嫉妬ですね。マルックさんの店のほうが大きいんですが、マルックさんの店には筋が良い徒弟がいなくて技術の継承が上手くいってないんです。そこへ、アーロンさんが後継者ともいえる腕の良いリューリさんを手に入れたものですから、関係がぎくしゃくしたんです」
「なんや。そっちも、感情の縺れとんのか。もう、しょうのない大人たちやな。でも、なんでセニアが、そこまで詳しく知っているん」
セニアが微笑む。
「マルックさんとリューリさんの師匠がウチの祖父なんです。なんで、両方の事情を知っているんですよ。私としても、マルックさんとアーロンさんの仲がこれを機に戻ればいいと思います」
セニアが控えめな態度でお願いしてきた。
「私からもお願いしていいですか。また、皆が笑顔で働けるようにしてくれませんか」
「セニアからもお願いって、いやもう、弱ったな。これで引き受けんかったらエールが不味くなるかもしれん」