第百五十七夜 おっちゃんと霞人(前編)
おっちゃんは翌朝早くに冒険者ギルドを出た。背の高い松の林を抜けて『幻谷』に向かった。
夕方には霧の掛かる場所に出くわした。夜の霧の中を進むのが躊躇われたので、火を焚いて野営の準備をする。
夜になった。おっちゃんが食事をしていると人の気配がした。剣に手を掛ける。
「誰や」と声を発する。狩人の格好をした二十歳くらいの冒険者の女性が現れた。
女性が躊躇いがちに申し出た
「ご同業の方ですか。私も『幻谷』に、仙人草を採りに来たんです。よろしかったら、ご一緒していいですか」
(さっそく、霞人の登場か。これは幸先がいいの)
おっちゃんは女性が人間ではないと見抜いた。おっちゃんも人間ではない。おっちゃんは変身能力を持つモンスターの『シェイプ・シフター』である。変身が得意なモンスターだからこそ、変身に対しては厳しい目を持っていた。
変身とはただ姿を真似ればいいのではない。成り切ることが大事である。目の前の女性は、格好こそ女性冒険者だが、おっちゃんから見れば、成り切れていなかった。
女性冒険者にしては、顔つきが穏やか過ぎる。熟練者の空気がないのに装備だけ使い込まれている。風上から現れたのに、冒険者に特有の体臭のようなものを感じさせない。細かい点で作り込まれていない変身だった。
(うまく化けたつもりやろうが、まだ細部が甘いの。それじゃあ、人間は騙せてもおっちゃんは騙せんよ。でも、せっかく来てくれたんやから歓迎したろ)
おっちゃんは愛想笑いを浮かべて、舞い上がった演技をする。
「そうでっか。わいは、おっちゃん言う冒険者です。よかったら、どうぞ。おっちゃんも、こんなところで一人で寂しいなと思っていたところですわ。よかったらエールを飲みますか」
霞人が優しい顔付きで、おっちゃんの向かいに座った。
霞人はエールの入ったカップを受け取る。霞人は柔らかい表情を浮かべ、友好的に訊いて来た。
「親切そうな人で、よかった。わたしはエステリア。ところで、おっちゃんさんは仙人草の採取は初めてですか」
「呼び名は、おっちゃんでええですよ。ええ、今回が初めてです。」
エステリアが微笑む。
「そうですか。なら、少し休んだら一緒に採りに行きませんか」
「もうすぐ、夜でっせ、暗い中を歩いたら危険ですやん」
「仙人草は夜に花を咲かせるんです。花が咲いている仙人草のほうが、価値が高いんですよ。ですから、慣れた人間は夜に採取するんです」
(なるほどね。そんで、夜の谷から突き落とそうって腹か。笑えんのう)
おっちゃんは浮かれた態度を演じる。
「そうなんですか。ええ情報を聞いたわ。ほんなら、もう少し暗くなったら、採りに行きましょう」
「はい」と、エステリアがにこやかに微笑む。
おっちゃんは上機嫌な態度を装い、失敗談を絡めた嘘の冒険話で笑いを誘う。
エステリアはニコニコとして、おっちゃんの嘘話を聞いていた。
ある程度まで話が進んで雰囲気が良くなったところで、聞きたい話題を振った。
「ところで、エステリアはん、『イヤマンテ鉱山』って、あるでっしゃろ。なんか、最近『イヤマンテ鉱山』がおかしいって聞いたんやけど、何か知らん?」
警戒心がまるで見られない顔で、エステリアが気軽に答えた。
「『イヤマンテ鉱山』には、行かないほうがいいですよ。あそこは今、色々と大変みたいですから」
(ほほう、ぽろっと言いましたな。これ、おっちゃんが知りたかったモンスター側の情報やね)
おっちゃんはエステリアのミスに気付かない振りを決め込み、いたって陽気で気さくな態度を作って聞いた。
「色々ってなに? 聞きたいわー。毒性の強い鉱山ガスが吹き出ている他にも、なんかまずい事態が起きとるん」
エステリアがにこやかな顔で発言した。
「ダンジョンで、モンスターが異常発生して暴れているそうですよ」
(なんや、ダンジョンが暴走しとるんか。それで、『迷宮図書館』主宰のジョブ・フェスタに来られんかったんか。でも、大丈夫やろうか『イヤマンテ鉱山』? モンスターの異常生成だけで済んでいるやろうか)
おっちゃんは内心そわそわしたが、フランクな態度を採る。まるで知り合いのモンスターにでも話し掛けるように会話を続けた。おっちゃんは会話に身振りと手振りを追加した。
「モンスターの異常発生か。いや、昨日もね街を大きなロック・ゴーレムがタイトカンドを襲ったんですわ。怖かったですわ」
おっちゃんは笑顔を心がけ、サラリと核心を尋ねた。
「やっぱり、ダンジョンの暴走ってダンジョン・コアのある深層階で起きているんですかね」
「そうですね」とエステリアは直に認めた。
(マジか。ダンジョン・コアまで問題が行っていたら、深刻やん。ほんまに大丈夫やろうか。影響は『イヤマンテ鉱山』だけで済む話なんやろうな)
おっちゃんは本心を隠し、腕組みして軽い調子で訊いた
「そうか、ダンジョンの暴走か。ダンジョン・マスターの『鉱山王リカオン』は、何をやっているんでしょうね」
エステリアは日常会話の延長のように応じた。
「復旧に必死だそうですよ。でも、どうにか、復旧の目処は立ったようですよ」
おっちゃんは明るい調子で確認する。
「それは、よかった。ダンジョン復帰ですかね」
「近日中には再開って話を聞いてます」
(なるほど、一番ヤバイ時期を自力で切り抜けたんか。やるの、『鉱山王リカオン』は。なら、問題ないやん。おっちゃんは普通に冒険者してたらええ)
「そうか、よかった。それなら、採取に行ける。おっちゃんは、鉱石掘りをやってみたかったんですわ」
「まあ」とエステリアが微笑む。おっちゃんはそこからまた世間話に話題をシフトさせた。
その後、三十分ほど話したところで、おっちゃんは自然な動作でチーズの小さな欠片を手にする。
「おっと、つい長く話し過ぎたわ。もう、いい時間ですかね」
エステリアが一瞬残念そうな顔をしてから、微笑を浮かべる。
「そうですね。ここいらが良い頃合いかもしれませんね。おっちゃんの話があまりにも面白かったので、つい行きそびれてしまいました」
エステリアが立ち上がろうとしたタイミングで、おっちゃんは声を掛ける。
「ちょっと、ゴミが」
おっちゃんは、ゴミを取るように見せかけて、チーズの欠片をエステリアのフードに忍ばせた。




