第百四十七夜 おっちゃんとティム
冒険者の店に帰ってきて『荒野の嵐』と別れた。おっちゃんは昼にハキムの店に顔を出した。
「ハキムはん、こんにちは。今朝、不思議な霧が出ていたやろう」
ハキムが困った顔で意見を述べる。
「街の外に出ようとしても戻ってくるようになる霧だろう。厄介だね。あんな霧が出たらおちおち商売もできないよ」
「あの霧な、どうもなにかしらの魔道具かモンスターやったんよ。おっちゃんと『荒野の嵐』とで破壊したんやけど、何か情報が入ってきておらん?」
ハキムが浮かない顔で首を振った。
「特にないね。ただ、俺も気になるから、何か不思議な霧について情報があったら気を付けて聞いておくよ。とはいっても、冒険者の活動が落ち込んでいるから、どこまでわかるかわからないけどね」
夕方になるとハキムの店から使いが来たので、ハキムの店に再び行った。
「ハキムはん、こんばんは。早かったな。なんぞわかったん」
店を閉めて誰も入れなくしたハキムが困惑顔で口を開いた。
「不思議な霧についてはなにもわからない。だが、俺のお得意先の寺院が厄介な問題を抱えている。俺も相談を受けて困っている」
「なんや。話してくれるか。内容によっては、おっちゃんが力になるよ。おっちゃんは厄介ごとで飯を喰っている冒険者やからね。秘密も守るよ」
ハキムが浮かない顔で話し始めた。
「霧の件で赤牙人の若者が助けを求めている。さすがに冒険者ギルドに相談しろと言えずに困っている。教皇庁の勅旨が出たが、アントラカンドではまだ赤牙人はモンスターと見る人間は多い」
(なんや、『狭間の霧』はあちこちに出ているんか。だとしたら、調べておいたほうがええかもしれんな。そのほうが後々に大事件にならずに済むかもしれん)
「赤牙人からの依頼ね。いくら教皇が認めたからとて人の心は一朝一夕には変わらん。特に近隣にいて昨日まで争っていたのなら、なおさらや」
ハキムが弱った顔で申し出た。
「モンスターを助ける行為に躊躇うかもしれないだろうけど、寺院の相談に乗ってもらってもいいだろうか。赤牙人の話では、報酬は出るそうだから」
(赤牙人からの依頼なら受けてもええな。解決してもおっちゃんの評判には何も響かんし)
「ハキムはんにはお世話になっているから手伝うよ。寺院の場所を教えて。おっちゃんが行って解決してくる」
ハキムに教えてもらった大地の神を信奉する寺院に向かった。寺院はハキムの店の近くにあった。
アントラカンドでは大地の神を信奉する人間は少ない。寺院もこぢんまりとした物だった。
寺院の扉を叩くと年を取った尼僧が出てきた。尼僧は人のよさそうな柔和な笑みを浮かべていた。
「ハキムはんの紹介できました。赤牙人の問題について聞かせてください」
尼僧がおっちゃんを教会の奥にある部屋に案内した。
部屋の中にはいつか荒野で見た赤牙人の青年のティムがいた。
「なんや、ティムか。久しぶりやな。どうした」
「お知り合い?」と尼僧が聞くので、「ちょっとな」と答えておく。
ティムがおっちゃんを見ると、泣きそうな顔で頼んだ。
「村が変な霧に覆われて、入れなくなったんだ。村が心配だ。おっちゃん、村を助けてくれ。村を助けてくれたら、報酬を払うよ」
「ご予算はいくらぐらい?」
「岩サボテンなら、百個でも二百個でも用意するよ」
報酬は金やなくて物か。
抗石化薬の特需は終わっていた。
(前は一個三十銀でハキムが買ってくれたが、今はそんなにしないやろうな)
「金貨はないの?」
ティムは顔を暗くした。
「金貨はない。銅貨や銀貨ならあるけど。金貨は村ではあまり見ない」
(小さな村やから経済規模もたかが知れている。これは、岩サボテンを持ってティム村と街を往復する事態なりそうやな。面倒やけど物でも支払い手段があるだけましか)
「冒険者の支払いは金貨が普通やけど、今回はおっちゃんが立て替えたる。そん代わりに村を救ったら、岩サボテンでええから、払ってもらうで」
「わかった」とティムが真剣な顔で立ち上がるので止めた。
「おっちゃんにも準備あるからここで待っていて」
おっちゃんは冒険者の店に戻って、仕込み杖を持ってハキムの店に行く。
「ハキムはん。すまんけどこの仕込み杖を買い取ってもらえん。ちいとお金が入り用になったんよ。いくらになる」
ハキムが軽い調子で訊いてくる。
「いいけど、いくら必要なんだい」
「腕の立つ冒険者を雇うから、金貨二十枚は欲しい」
ハキムが済まなさそうな顔をする。
「まさか、俺の持ち込んだ話で他の冒険者を雇わなければいけなくなったのかい。だとしたら悪い仕事を頼んじまったね」
「気にせんといて。使った金貨は岩サボテンで返ってくるようやから。今の岩サボテンの相場って、いくらくらい」
「今は銀貨二十枚くらいだね」
(駱駝を使えば、一度に百個くらい運べるから、砂漠とハキムの店を一往復くらいか。手間やけど、しゃあないな。ハキムはんの顔もあるからそれくらいの骨は、折ってやろう)
仕込み杖を金貨二十枚で買い取ってもらい、冒険者ギルドに行く。
『荒野の嵐』のリーダーのスティーブンがいたので、話し掛ける。
「仕事があるんだけど、やらへん? 今朝の霧と同じような物が別の村に出たんよ。場所はここから一日ほど行った村や。村を救ってほしい。報酬は経費込みで金貨二十枚やで」
スティーブンが気軽な調子で応じる。
「魔術師ギルドが本稼動していないから『迷宮図書館』の戦利品は売れない。冒険者への仕事も激減だから、仕事を選んでもいられない。いいぜ。今回はその値段で引き受けよう」
おっちゃんは金貨二十枚を払い冒険の仕度をする。ロープを買って『荒野の嵐』と一緒に冒険者ギルドを出た。寺院の前で『荒野の嵐』を待たせて寺院に入る。
「ティム、お待たせや。村を救う算段が着いたで」
ティムが顔を綻ばせて喜んだ。
「ありがとう、おっちゃん」
「そんで、悪いけど、ちょっと縛らせて。ティムを連れて街の中を歩くにはこうしたほうがええねん」
「わかったよ」と不承不承ティムは応じた。
おっちゃんは「さあ、行こうか」と寺院を出た。
スティーブンが怪訝な顔で尋ねた。
「ちょっと待て、おっちゃん。その赤牙人はなんだ」
「とりあえず街の外に出たら話すわ」
街の外に出て街から離れた場所でティムの縄を解いた。
スティーブンが怒ったような調子で尋ねる。
「もう、いいだろう。その赤牙人と今回の依頼の関係を話してもらおう」
「話もなにも、救う村はこの子の村やで」
「そんな、赤牙人の村を救うなんて、聞いてないぞ」と『荒野の嵐』のメンバーが口にする。
「聞かれんかったから、教えんかったよ。教皇の勅旨は、知っている? もう、赤牙人はモンスターやなくて異種族なんやで。人間と同じに扱ってもいいんやで」
「えっ、嘘だろう」と、『荒野の嵐』のメンバーが次々に困惑した顔で口にする。
「おっちゃんの言葉は本当ですよ」と僧侶だけがしれっとした顔で答える。
(やっぱり勅旨は出たけど、全然、浸透していないね。僧侶はんはさすがに知っていたようやけど)
仲間の僧侶の発言を聞いて『荒野の嵐』は黙った。
「わかってくれたら、ええよ。ほな、行こうか」
「いや、でも、モンスターの村を助けに行く依頼はなあ」と『荒野の嵐』のメンバーは納得しない。
「そうか。なら、依頼をキャンセルしても、ええよ。ただし、違約金は慣習通りに前金の倍返しやから、金貨四十枚を払ってもらうけど、ええか」
『荒野の嵐』は黙った。スティーブンが眉を顰めて苦い顔で口を開く。
「ちょっと仲間内で相談させてもらっていいか」
「ええよ。ただし、仕事の最中やって状況は忘れんといてな」
『荒野の嵐』のメンバーは、おっちゃんから離れて話し合いを始め、ティムが不安気な顔を向けてくる。
「おっちゃん、大丈夫かな」
「さあな。でも、向こうもプロの冒険者や。仕事を簡単に捨てたりせんやろう」
八分ほどで話し合って『荒野の嵐』は結論を出した。
スティーブンが気の乗らない顔で答える。
「結論が出た。一度、引き受けたからには仕事は完遂する。手間を取らせて悪かった」
「そうか。さすがは、信頼と実績の冒険者『荒野の嵐』やね」