第百四十三夜 おっちゃんとレオナルドの帰還
水運びが終わってから三日が過ぎた。冒険者ギルドはレオナルドの話で持ちきりだった。
「レオナルドが『迷宮図書館』で消息を絶った。これで学長はミルコで決まりだな」
「やっぱり、賭けに出るべきではなかった。レオナルドの自滅によりミルコの勝利確定だ」
学長選の投票日を一週間後に控えての話だった。
(対抗馬が消滅したか。これは、ミルコはんの棚から牡丹餅的な勝利やな。選挙とはわからんものやな)
おっちゃんもミルコの勝利を信じた。
二日で事態は動いた。レオナルドが冒険者と一緒に、荷馬車一台分の戦利品を持って帰ってきた。
冒険者たちが噂をする。
「中身を見てないからなんとも言えんが、量だけなら充分すぎる成果だ。いったいいくらになるんだ」
「これは最後で逆転したかもしれない。投票日の五日前からのミルコの巻き返しは無理だな」
(おっちゃんの予想が外れたか。選挙の陰にドラマありか)
その日は朝早くに目が覚めた。少し早いが朝食を摂っていると、ローブを着た男が冒険者ギルドに駆け込んできた。
「助けてくれ。モンスターに魔術師ギルドが占拠された。早く助けに行かないと、残っている魔術師が危ない」
夜勤だった冒険者ギルドの職員がローブを着た男を連れて奥へ行く。
おっちゃんと数人の冒険者が外に駆け出し、魔術師ギルドがある街の中央を見る。外から確認した限り、八階建ての魔術師ギルドの建物には異変はなかった。
(まだ、モンスターはここまで来てないのか。状況を早よ確認せなおちおち飯も喰えん。場合によっては逃げなあかん)
街の中央から逃げてくる人がいたが、モンスターが押し寄せてくる気配はなかった。
おっちゃんは慎重に街の中央に向かい、魔術師ギルドから五百mの位置まで来た。
魔術師ギルドの建物の周りを、死体に群がる蝿のように大量の本が舞っていた。
「まるで、本に命が宿ったようや。それにしてもなんて数や。千冊や二千冊やないぞ」
本に紛れてミニ・デーモンが飛んでいた。ミニ・デーモンは身長が百二十㎝で上半身は赤色。頭髪のない大きな頭を持ち、蝙蝠のような羽を生やしている。手には鋭い爪を持ち、下半身は獣で、蹄のある足をしていた。
命が宿った本もミニ・デーモンも、魔術師ギルドの敷地からは出てこなかった。
(なんや。狙いは人間や街やなく魔術師ギルドか。命が宿った本もミニ・デーモンも、統制が取れとる。誰かが操っとる状況に間違いない。すぐには、街がバトル・フィールドになる事態はないようやな)
溢れたモンスターが街を襲ってくる気配がないので、おっちゃんは冒険者ギルドに戻った。
不安な顔で出勤してきたばかりのエルハームが尋ねた。
「おっちゃん。魔術師ギルドは、どうだった」
「命が宿った本とミニ・デーモンによって、占拠されとる。すぐにモンスターから打って出て来る気配はない。だが、あの量のモンスターが街に流出したら危険やで。とりあえず、今は態勢を整えたほうがええ」
時間が経過するにつれ街の人間は目覚める。起きて異変に気が付いて冒険者ギルドに避難してくる人がやって来た。冒険者ギルドはごった返した。
冒険者ギルドの職員が一般人に向かいの陽炎亭に避難するように頼む。
「エルハームはん。ギルド・マスターのナヴィドはんにお願いして、屋上への通路を開いてんか。おっちゃんたちはギルドの屋上から魔術師ギルドを監視する」
見張るなら高い場所が有利なので頼んだ。
エルハームが頷いて奥に行って戻ってきた。
いつもは閉じられている屋上への扉が開いた。おっちゃんは冒険者に声を掛ける。
「何人か一緒に来てくれ。魔術師ギルドを見張るで。いつ敵が打って出てくるかわからんから、装備はきちんと準備してきてや」
おっちゃんの言葉に十人の冒険者が立ち上がり屋上に出た。冒険者ギルドの屋上から魔術師ギルドを見張る。やはりモンスターは魔術師ギルドから出てこなかった。
(モンスターが現れた原因は、レオナルドにありそうやな。だが、ミニ・デーモンが魔術師ギルドを占拠し続ける理由はなんや。見当が付かん。なんぞ、中で危険な儀式をやっているのかもしれん。だが、こればかりは知りようがない)
夕方まで動きはなかった。交代を申し出る冒険者の一団が来たのでお願いした。
(とりあえず、目立った動きはない。だからといって油断は禁物や。どの道、このままでは終わらん。街か占拠者側か、どちらかが近々に動く。勝負はその時や)
酒場の冒険者たちはこれからどうなるのか、不安を囁き合っていた。
夕食時に、エルハームに上級冒険者の三パーティが呼ばれた。上級冒険者が奥に消えてしばらくした後に、酒場にギルド・マスターのナヴィドが現れた。
ナヴィドの年齢はおっちゃんと同じ。だが、印象はまるで違った。ナヴィドには、威厳があった。
ナヴィドはスリムな体型をしている。顔つきは精悍で意志の強そうな眼をしていた。ナヴィドは綺麗に揃えられた顎鬚を生やしていた。
(どうやら、街の側が先に動いたようやな。無理もないか。魔術師ギルドはこの町の要。機能が一日も停止すれば、それだけでえらい損害が出る)
ナヴィドが真剣な顔つきで告げる。
「城から連絡があった。明日の早朝に魔術師ギルドの奪還を試みる。冒険者にも協力を要請する依頼が来ている。悪いが今回は全冒険者に俺から指名依頼の形を取る。拒絶する人間は街を去ってもらう」
(拒否権はなしか。全員出撃なら、問題ないやろう。よほど大きな戦果をあげな、個人の働きなんて埋没する。普通に戦っていれば、目立つ状況にはならんやろう)
ナヴィドの言葉に酒場内は静かになった。ナヴィドが話を続ける。
「奪還は俺と冒険者パーティの『砂塵の矛』『荒野の嵐』『幻影』を中心に行う。残りの冒険者パーティにはサポートに廻ってもらう」
ナヴィドが挙げた冒険者パーティは、アントラカンドを拠点とする上級冒険者の集まりだった。
(先鋒はアントラカンドのトップ・パーティとナヴィドはんか。実力者揃いやから真っ直ぐ進めれば犠牲者は少ないやろう。けれども、なにかの拍子に前線が崩壊した時はまずいな)
ナヴィドがよく通る声で述べる。
「奪還対象は地上より上の階だ。地下空間の封印が解けていないから、地下空間は無視でいい」
「報酬はどれくらい出るんですか」と冒険者が堅い表情で尋ねる。
ナヴィドが澄ました顔で告げる。
「仕事料は魔術師ギルドを奪還できた時は、一人に金貨二枚。特別な働きがあった者には、ボーナスが出る。つまり、失敗したらタダ働きだ」
冒険者から乾いた笑いが疎らに起きる。
(失敗は許されんか。城の人間にしたら、当たり前やな。でも、敵の戦力の全容が読めん。ミニ・デーモンに後れを取る上級冒険者ではない。だが、過信は禁物や。魔術師ギルドの中には、もっと強いのがおるやろう)
「モンスターはミニ・デーモンと本だけですか」と別な冒険者が曇った顔で質問する。
ナヴィドが険しい顔で答える。
「逃げてきた魔術師の話ではもっと上位の悪魔型モンスターや精霊型モンスターもいるそうだ。用心してくれ。では、今から呼ばれたパーティはこっちに来てくれ。役割を伝える」
おっちゃんはパーティに参加していないので、呼ばれなかった。
冒険者が全員参加の仕事なので、エルハームに確認する。
「おっちゃん、何の仕事も振られんかったけど、何をしたらええの」
おっちゃんと同じく個人で活動している冒険者も同じ疑問を持ったらしく、エルハームの廻りに集まった。
「パーティを組んでいない冒険者は、一団になって後詰めに廻ってもらいます」
(要は予備戦力やな。後詰めなら、ええか。活躍する展開は、ないやろう。もし、後詰めが活躍するようなら、この戦いは負ける。どのみち、負け戦ならアントラカンドから逃げるしかないから問題ない)
その晩は部屋に戻って考える。
(さて、いつもの戦士スタイルで行くか、今の魔術師スタイルで行くか、悩みどころやね)
戦士スタイルで行ったほうが戦闘力は高い。だが、戦況によっては前線に出される。結果、立てたくもない手柄を立てるかもしれない。
魔術師スタイルで行けば、戦闘力は落ちる。されど、後方配備なので、手柄を立てる可能性が低い。
「他の冒険者に悪いけど、魔術師スタイルやな。へんに注目を浴びてスカウトが来ても困る。それに、おっちゃんの配属先は後詰めやからね」