第百四十二夜 おっちゃんと『エンシェント・マスター・マミー』
おっちゃんは金があるのでダラダラ過ごした。冒険者の酒場では、日増しに学長選の話題が大きくなる。
(熱が入っとるね。裏でポストの取引とか現金とか、飛び交っているんやろうな。そんな内情を見てグリエルモはんは、嫌気が差したんやろうね)
数日後、冒険者の店の掲示版の前に、人だかりができていた。注目を浴びている依頼票の依頼人は魔術師のレオナルド。
内容は『オルトカンド廃墟』にある『迷宮図書館』への学術調査。大規模な調査なので、探索要員、荷運び要員、雑用要員、キャンプの警備要員と、多岐に亘って冒険者が募集された。
誰かの噂話が聞こえる。
「ミルコが有利と聞いていたけど、レオナルドのやつ一発逆転の賭けに出たな」
「『迷宮図書館』で得た成果をばら撒いて学長選を乗り切る気だ。上手くいくかな」
(どうやろうね。賭けに出る時点で、学長の座は危ない気がするの。いいか。どうせ、おっちゃんはダンジョンに行かんから、関係ない。選挙権もないからの)
依頼掲示板の前から去ると、エルハームが気軽な調子で声を掛けてきた。
「おっちゃんに指名依頼が来ているわよ。水売りのババクさんから、『オルトカンド廃墟』外縁にあるキャンプまで水を運んでほしいんだって。今度は一回の運搬で銀貨三十枚を出すそうよ」
久しぶりに聞いた名だった。
「なんや、ババクさんまた膝をやったんか」
「娘さんの出産が間近でアントラカンドから離れたくないそうよ。でも、今回は昔から付き合いのある人からの依頼なんで、引き受けてあげたいんだって」
(金はまだある。だが、初孫の顔を見たいって事情なら、引き受けてもええの。おっちゃんには家族がいないけど、家族の大切さはわかる)
「報酬も安いわけやないし、おっちゃんは暇やから引き受けてもええよ。でも、なんでおっちゃんを指名してきたんやろう。水の運搬なら誰でもできそうやけどな」
エルハームが微笑んで、おっちゃんを褒める。
「それはおっちゃんの仕事に対する姿勢と人柄だと思うわ。おっちゃんは評価されているのよ。小さな依頼でも大きな依頼でも、こなせば自ずと名は知れる。おっちゃんだって頑張ればもっとすごい依頼が来るわよ」
「仕事を再指名されるって嬉しいな。でも、おっちゃんには、大した仕事はできんよ。おっちゃんはしがない、しょぼくれ中年冒険者やからね」
ババクの店に行くと、ババクが嬉しそうな顔で出迎える。
「また、急な仕事を引き受けてもらって悪いね。なにせ今回は量が多くてね。レオナルドさんからの仕事だから断れなくてね」
「レオナルドって、学長候補のレオナルドさん? 凄い人と知り合いやね」
「そうだよ。レオナルドさんが『迷宮図書館』の調査に行く時は、いつもうちから水を買ってもらってね。私がキャンプまで運んでいたんだよ。もう、付き合いは二十年以上になるかね」
(学長選の、一種の特需やな。こういう庶民に恩恵があるなら、選挙戦も価値があるかもしれんね)
おっちゃんはキャンプの場所を聞いた。幌のない荷馬車をロバに引かせ、おっちゃんはロバに声を掛ける。
「また一緒に仕事やな。一緒に頑張ろうや」
おっちゃんは荷馬車に乗らず、荷馬車を引くロバと一緒に歩いた。
一日を掛けてキャンプ地に着く。四十人からいる人間が『オルトカンド廃墟』に入る準備をしていた。
おっちゃんは入口にいた魔術師に告げる。
「水売りのババクさんのところから、ご注文の水を持ってきました。どこに置いたらええですか」
魔術師がおっちゃんを疑わしそうに見る。
「確認だが魔術師ギルドの会員証を持っているか」
(なんや、水の運搬人にまで会員証を求めるのか。ちと、異常やな。でも、これがアントラカンドや言うなら、従うしかないの)
「持っていますよ。はい、会員証」と会員証を見せる。
魔術師は会員証を確認してから、ぞんざいに指示する。
「わかった。水は向こうに置いてくれ。あとまだ水が必要だ。運んでくれ」
おっちゃんは水を置いて街に戻る。街に戻って、もう二回、水を運んだ。
二回目と三回目の運搬も、別の魔術師に魔術師ギルドの会員証を確認された。
三回目を終えて帰ろうとした時に、キャンプ地の周りに霧が出ていた。
白い霧が赤褐色の大地に漂っていた。空に浮かぶ太陽がぼやけて見える。今はまだ五十m先は見えるが、霧はまだこれから濃くなりそうだった。霧は細かな雨のように空から地面に向かってゆっくりと動いていた。
(なんや、おかしな霧やな。これ、キャンプ地に留まったほうがええんやないやろうか。下手に迷うたら時間の無駄やし、この霧から、なんか嫌なものを感じる)
おっちゃんは霧が晴れるまでいさせてくれと頼もうとした。
「お願いがあるんですけど。霧が晴れるまで、休ませてもらうわけにいきませんやろうか」
キャンプにいた魔術師が怖い顔で命じる。
「水はまだ必要なんだ。休んでないで、すぐに次を運んでくれ。物資の調達スケジュールに乱れが出る。水の調達に失敗すれば俺のキャリアに傷が付く」
(仕事熱心かもしれんが、余裕がないの。もう少し出入の業者に優しうしてくれてもええ気がするのになあ。そんだけレオナルド陣営は困っているのかもしれん)
おっちゃんは断られたので、キャンプを後にした。
案の定、キャンプを出て二十分も進まないウチに視界は真っ白になった。足元に注意しながら、ロバを引いて霧の中を進む。
「これは、きついで。前が全く見えん。崖とかあったら落ちるで。ここいらにはそんな危険な場所はないから問題ないけど。慎重に進まんと、あかんな」
視界がほとんどない中を進む。
直径三mの大きなドーム型の墓に出くわした。墓の入口は開いていた。
「キャンプと街を繋ぐルートに、こんな墓はなかった。これ、おかしな霧のせいでルートを外れたな。しかも『オルトカンド廃墟』の中に入ったで。おっちゃんはええけど」
見ると、ロバが不安そうにしていた。
ロバと荷馬車はババクの財産だ。持って帰らねばならない。依頼人の財産を守るのも冒険者の務めだ。
「しゃあないか」
おっちゃんは『暗視』の魔法を唱える。墓の入口から中を覗いた。中には大きな石棺があったが、横には下に続く下り階段があった。
「本来は石棺が下への通路を塞いでいたようやね。墓は地下と地上の二階建て構造か。これ、下になにかいるかもしれんな」
「ごめんください」と声を掛けて、おっちゃんは下り階段を下りた。
下には縦横五mの部屋があった。部屋の中央には開かれた石棺があった。
石棺の前に石化した木乃伊がいて、おっちゃんは木乃伊を観察する。
(これ普通の『マスター・マミー』やないね、もう一段上の存在『エンシェント・マスター・マミー』やね。上位アンデッドなら、話が通じるかもしれん)
おっちゃんは『死者との会話』を唱えてから『石化解除』の魔法を掛けて木乃伊の石化を解いた。
木乃伊が動き出した。
「石になっていたようやけど、大丈夫でっか」
木乃伊は肩で息をしながら答える。
「助かった。相手をたかがバジリスクと侮ったのが悪かった。六つの眼があれほど厄介だと思わなかった」
「わいは、おっちゃんいう水売りなんですが、よかったら帰り道を教えてくれませんやろうか。霧で道に迷ってしまった」
木乃伊が驚いた顔で聞く。
「私の名はフィルズだ。私の姿を見ても怖くないのか、普通は逃げ出すぞ」
「もう、怖かったら元に戻しませんて。それに困った時はお互い様やで。小さなことに拘っていたら、あかんよ。もっと、どっしりと構えないと」
フィルズが感心した。
「変わった人間だな。石化を解除できる水売りがいるのかの問題には気付かなかったことにしよう。よし、この霧から出られる道具をやろう。借りを作ったままにしたくないからな」
木乃伊は開いた石棺に手を入れると、コンパスを取り出した。コンパスには二つの針が付いていた。
「霧の奥に進みたいのなら銀の針の方向に進め。霧から出たいなら金の針の方向に進めばいい」
「ありがとうな。この霧って『オルトカンド廃墟』にはよく出るん?」
フィルズが親切な態度で教えてくれた。
「『狭間の霧』を発生させる装置は『迷宮図書館』の中にもある。だが、『狭間の霧』を発生させる時は、事前に連絡がある。今回は連絡がなかったから、ダンジョンの都合で発生させたものではない」
「『狭間の霧』は冒険者が誤作動させた。ないしはなんらかの別の要因で発生している、ちゅう状況ですか」
「そうだな」とフィルズは頷いた。
外から、ロバが鳴く大きな声がした。おっちゃんは慌てて外に出た。
武器を持った木乃伊四体がロバを囲んでいた。
「やめて。それはおっちゃんの財産や」
フィルズも飛び出てきて叫ぶ。
「やめるんだ。その男とは談合が成立している」
「談合」の二文字を聞くと、木乃伊たちは肩を竦め、顔を見合わせて去っていた。
「怖い思いをさせて御免な」おっちゃんは、震えるロバを優しく撫でる。
フィルズが提案した。
「ここは危険だ。安全な場所まで送っていこう。礼には及ばん」
霧が薄くなる場所まで送ってもらい、フィルズと別れた。
おっちゃんが四回目の水を運ぶ時には『狭間の霧』は消えていた。
水を納品して帰ると、ババクの家からは赤ん坊の泣き声がしていた。