第百四十夜 おっちゃんと怪しい古本屋
魔法を覚えるにはどうしたらよいか。単純な方法は魔法を覚えられる魔法のスクロールを買うか、誰かに教えてもらうか、だった。
おっちゃんは人間の街で魔法を買った経験がなかった。おっちゃんが覚えている魔法は全てダンジョン勤務時代に必要なので、職場の仲間に教えてもらった魔法だった。
「魔法って、いくらくらいするんやろう。仮にも魔術師なんやし、見ておこうか。魔術師が魔法の値段を知らんいうのも、おかしいしな」
おっちゃんは魔術師ギルドに行って、びっくりした。
魔法のスクロールを買うなら、『光』の魔法で金貨十枚。『飛行』や『透明』なら金貨九十枚。『瞬間移動』にいたっては時価になっていた。
魔術師ギルドの魔法販売員に「時価って相場っていくら」と聞くと「金貨二千五百枚くらい」とサラリと言われた。おっちゃんは、思わず立ち眩みがした。
(なに、人間の世界の魔法ってそんなにするの。アホみたいに高いやん。『瞬間移動』を、ダンジョン勤務時代に覚えておいて、よかったでー。でも、こんなに高いなら、買える奴おらんやろう。他の魔術師どうしてるんやろう)
魔術師ギルドの魔法販売所を出ると、グリエルモと会った。
「よう、おっちゃん。なに、魔術師ギルドの草毟りでもしに来た。それとも窓拭き。教員のご機嫌取りの仕事はする必要はないよ。あれほど時間の無駄はない」
「ちょっと魔法を買おうかと思うて店を覗いたら、べらぼうに高くてショック受けたところですわ。良く買えますね、あんな馬鹿みたいな値段の魔法のスクロール」
グリエルモが不機嫌な顔で教えてくれた。
「魔法なんて買うものじゃないよ。魔法は自分で研究するか、他の魔術師から仕事を引き受けた報酬で教えてもらうものだよ。金持ちと無知な人間は買うようだけどね。どの道、高級な魔法を買おうって輩は成功しないよ」
「え、そうなん。知らんかったわー」
グリエルモが、やれやれの態度で教えてくれた。
「ギルドの魔法販売は魔法を売るためにあるんじゃないんだ。あれは、魔術師ってこんなに凄いんですよって、アピールするためにあるんだ。俺だって買った魔法は一個もない。おそらく、他のやつらだってそうさ」
「でしょうね。あの値段は買えんわ。でも、おっちゃん、研究なんてやった経験ないし、教えてくれる人もいないから、魔術師としての成長は頭打ちですわ」
グリエルモが思案する顔をして、淡々とした口調で提案してきた。
「仕事を引き受けてくれるなら、俺が『石化解除』の魔法を教えてあげようか。六眼バジリスクの石化を解くのに使っていたやつ。買ったら、金貨で三千六百枚する。おっちゃんが使えるかどうかは、知らんけど」
ありがたい申し出だった。
「そんなに高い魔法を教えてもらえるんですか。どんな仕事?」
「話は簡単。ある古書店に行って、『ドーラ・キンバリーの生涯』って本を買ってくればいいだけ。ただし、失敗したら、一生ずーっと牢屋の中。断っておくけど、犯罪ではないよ」
(怪しい依頼やな。でも、魔法は買う行為は不可能とわかったしの。『石化解除』の魔法は、石化を解除できるから、覚えておきたいなー。でも、失敗したら一生ずーっと牢屋の中かー。おっちゃんはスキル・アップしたいだけなのに、滅茶苦茶ハードル高いやないか)
グリエルモが難しい顔で決断を迫る。
「どうする? やるの? やらないの?」
(古本屋で本を買うだけの仕事と言うてたしな、犯罪やないから、ええか。それにしても魔術の道は険しいの。こんなに険しいなら、剣士の道を進んだほうが気楽でいいかもしれん)
おっちゃんは頭を下げて頼んだ。
「犯罪でないなら、やらしてもらいます」
グリエルモが袖を差し出した。おっちゃんがグリエルモの袖を掴む。グリエルモは『瞬間移動』を唱えた。
着いた場所は妖気の漂う小さな一軒の古本屋の前だった。古本屋は荒野の中に、ただ一軒だけ存在した。
おっちゃんは一目見て、古本屋の危険性を見抜いた。
(半分ダンジョン化しているね。人間のやっている古本屋やないわ。高位悪魔が趣味でやっている古本屋やね。失敗したら一生ずーっと牢屋の中って、読めたで。これ、失敗したら本の中や)
グリエルモが怖い顔で確認してきた。
「俺は外で待っているから。本の名前は間違えないでね。まさか、今更やらないとか、拒否しないよね」
「請け負った以上は全力です。それが、おっちゃんやから安心してください。きっとグリエルモはんの期待に応えてみせます。大船に乗った気で待っていてや」
おっちゃんは意を決して、古本屋のドアを開けた。
古臭い紙の匂いがした。古本屋の書棚の中には、ぎっしりと本が詰まっている。
「お頼み申します。ちょっと、本を探しているもんですけど、誰か、おられませんか」
店の奥から人の良さそうな老店主が出て来た。
老店主は禿げ上がった頭をしており、エプロンをしている。エプロンには飛び散った血の跡のような赤い染みがあった。
(あのエプロンの染みは、武力で立ち向かおうとした人間の末路やね。なんの悪魔型モンスターが化けているか知らないけど、力押しは悪手やね)
老店主は人の良さそうな顔を浮かべる。
「はい、いらっしゃい。何をお探しですか」
「『ドーラ・キンバリーの生涯』って本を置いていますか?」
老店主の表情は穏やかだが断固たる口調で釘を刺した。
「あるよ。その前に確認だけど、あんた魔術師だよね。うちは、魔術師にしか本を売らないんだ。魔術師じゃないなら、即刻、帰ってもらうよ。騙りはだめだからね」
(ここでも魔術師でなければ人にあらずか。この老店主の場合はコレクション加える価値があるか的な意味合いが強いんやろうけど、あまりにも拘りすぎな気もするの)
おっちゃんは魔術師ギルドの会員証を提示する。
老店主は満足気に頷いた。
「確かに魔術師のようだね。しかも、アントラカンドかい。あそこは良い魔術師ギルドだ。頭でっかちの馬鹿ばかりだけど、知識欲旺盛な魔術師は大好きさ。いいよ、本を売ってあげるよ」
老店主が無造作に本棚に手を突っ込んで、一冊の本を取り出した。
おっちゃんは本を受け取ってタイトルを確認する。タイトルは『ドーラ・キンバリーの生涯』だった。
「値札が付いてないようですが、おいくらでっか」
老店主がニヤニヤしながら、楽しそうに発言する。
「寿命の半分か、謎解きだね。謎が解けたら、寿命は要らない。ただし、解けなかったら一生を本の中で過ごしてもらう。魔術師なら一生ずーっと本の中も、快適かもね。それで、支払いはどうする? 寿命? 謎解き?」
(なるほど、失敗すると『おっちゃんの生涯』って本ができあがるんやな。ドーラ・キンバリーは、グリエルモはんの友達かなにかやな。よっしゃ、助けたろ。そんでもって、魔法を教えてもらおう)
「おっちゃん、寿命を半分も取られたら、死んでまう。謎解きでお願いします」
老店主は得意げな顔で出題した。
「アントラカンドの宿屋の主に訊いた。空に浮かぶ月とエルドラカンド、どっちが遠いか。すると宿屋の主は答えた。そいつは、月のほうが遠いさ。なぜなら――。さて、男は、なんて答えたと思う」
おっちゃんは、すらすら答える。
「エルドラカンドからお客は来るが、月からはお客が来ない」
老店主の顔が引き攣る。
「せ、正解」
「じゃあ、本を貰っていくで」
おっちゃんが古本屋を出ようとすると、老店主が慌てて叫ぶ。
「ダブル・アップ・チャンス。次に正解したら、本をもう二冊あげよう。本が不要なら、『瞬間移動』と『保管箱』の魔法が覚えられるスクロールをセットでプレゼント。なんなら、『迷宮図書館』の鍵でもいいよ」
「おっちゃん、そんな物は要らん。それに『瞬間移動』はすでに持っている。ほな帰るで。お邪魔さま」
「いやいや、待ってくださいよ。お客さん、高度な魔法のスクロールが二つですよ。金貨にして五千枚相当ですよ。または、『迷宮図書館』の鍵ですよ。やらなきゃ損でしょう」
「だから、要らんて、そんなもの。おっちゃんを引き止めたいなら、もっとええ物だして。心が動くような品を出して」
老店主が「むむ」と唸ってから提案した。
「わかりました。なら、金貨三千六百枚相当の高度な魔法が覚えられる、謎の魔法のスクロールで、どうでしょう。中身は私もわかりません。もしかしたら、欲しい魔法が当るかもしれませんよ」
(『石化解除』クラスの魔法が、もう一個か。どうしようかの、普通に冒険していたら手に入らんし。ひょっとしたら便利な魔法が手に入るかもしれん)
ちょっとだけ迷ってから、決断した。
「なんか必死やから、もう一回だけ付き合ってやるわ。謎を出して」
老店主が意地悪な笑みを浮べて出題する。
「近づくと見えない。遠ざかると見える。同じようで、反対もある。これ、なあに」
おっちゃんは即答する。
「鏡に映った自分の姿やろう」
老店主が苦しそうな顔で伝える。
「せ、正解」
「ほな、スクロールちょうだい。言っとくけど、三回目はないから。おっちゃんも、これでけっこう忙しい人間なんよ」
老店主はムッとした顔で「ほらよ」と、スクロールを投げて寄越した。
おっちゃんはマジック・スクロールを開けて読んだ。
頭にスーッと魔法が入ってくる。魔法は『位置交換』の魔法だった。位置交換は三十m以内に存在する物と物、または、人と人の位置を交換する魔法だった。
(これ、外れやな。修得が難しいけど、あまり使い道のない魔法やん)
おっちゃんは、がっかりして古書店を出た。
「グリエルモはん。本を貰ってきたで、確認してやー」
グリエルモが本を受け取ると、本を地面に置いて『高度な魔法消去』を唱える。
本から煙が上がる。煙が消えるとピンクのローブを着たグリエルモと同じ世代の金髪の女性が現れた。
女性はグリエルモをきょとんした顔で見る。
「グリエルモが助けてくれたの」
「そうだよ。ドーラは俺が助けた」
グリエルモが嘘を吐いたが黙った。
(誰にだって、好きな女の前でええかっこうしたい時はある。がんばりや、グリエルモさん。おっちゃんは応援するで)
ドーラはグリエルモに疑うような視線を送ってから、おっちゃんに眼を向ける。
「わいですか。わいは、おっちゃん言うグリエルモさんとこの下男ですわ」
ドーラがグリエルモを見て、つんとした態度で発言する。
「とりあえず、ありがとうを言っておくわ。送ってくれると、なおありがたいけど」
グリエルモが黙って袖を差し出す。ドーラが袖を掴むと、グリエルモが『瞬間移動』の詠唱を始める。
「ちょっと待って。おっちゃんがまだ、残っていますよ――」
グリエルモが詠唱を止めることなく『瞬間移動』を完成させる。
グリエルモとドーラは消えた。振り返ると、古書店もなかった。
「ここ、どこやろう」
おっちゃんは独り、荒野においてけぼりにされた。




