第百三十四夜 おっちゃんと魔術の街
四日間の魔術実習は、そつがなく終了した。死者も怪我人も出なかった。
キャンプの片づけが終了し、人足が馬車に荷物を積み込む。おっちゃんも人足を手伝った。
無事に実習が終わって、若い魔術師たちが陽気に語らう。ちょっとした修学旅行気分だ。
教師役の魔術師が浮き立つ魔術師たちを見て苦言を呈する。
「実習はこれで終わりです。でも、帰るまでが実習です。帰り道も油断なく、ですよ」
グリエルモが突っ慳貪に口を開く。
「歩くなんて時間の無駄だな。行くぞ、おっちゃん」
グリエルモが袖を差し出した。おっちゃんは、唖然とする教師役に謝った。
「ほな、おっちゃんたち、先に失礼します」
グリエルモの袖を掴んだ。グリエルモは『瞬間移動』を唱え、アントラカンドの街に戻った。
『シュナ砂漠』の東にある大きな街がバサラカンドなら、西にある最大の街はアントラカンドである。
アントラカンドの人口は三万人。アントラカンドはレガリア国最大の魔術師ギルドを持つ学園都市だった。アントラカンドの東には『オルトカンド廃墟』があった。
『オルトカンド廃墟』の中には、ダンジョン・マスターの『愚神オスペル』が支配するダンジョン『迷宮図書館』があった。
『迷宮図書館』に魔法と知識が眠っている。『迷宮図書館』から持ち帰る知識と魔法が『アントラカンド』の発展を支えていた。アントラカンドもまたダンジョンと共に発展してきた迷宮都市の側面があった。
グリエルモとおっちゃんはアントラカンドの東門の近くに出現した。
アントラカンドの街は四角い城壁に囲まれている。東門から入ってすぐの城壁に隣接する場所に、高さ二十m、直径五十mの円柱形の石造りの塔がある。
冒険者ギルドの建物だった。冒険者ギルドは有事の際に門を守る守備塔の働きもある。されど、幸いに守備塔として使われた過去はなかった。
冒険者ギルドの一階は、半分が酒場になっていた。酒場は六十席と小さいので、混雑時はいつも満員だった。
向かいに同規模の酒場と宿屋を兼ね備えた陽炎亭があった。
混雑を嫌う冒険者は仕事のない時は陽炎亭で過ごす。
冒険者ギルドの酒場も陽炎亭の酒場も、値段は変わらないが、宿代は陽炎亭のほうが安かった。
陽炎亭の酒場にグリエルモとおっちゃんは移動し、飲み物を注文して席に着いた。
グリエルモが金貨一枚を出して、おっちゃんに渡した。
「報酬を払うよ。約束の金貨だ。確認して」
おっちゃんはぴかぴかの金貨一枚を財布にしまう。
「ほな、これで仕事は終了っちゅうことで、また何か仕事があったらお願いします。お手ごろ価格、真心対応で、やらせてもらいます」
おっちゃんが立ち上がろうとすると、グリエルモが話し掛けてきた。
「儲かっているように見えないけど、冒険者って儲かるの?」
おっちゃんは座り直した。
「儲かる時もあれば、儲からん時もあります。収入は安定しませんね。でも、おっちゃんには、これしかできませんから。おっちゃんは能なしやさかい」
グリエルモが澄ました顔で口調で申し出た。
「なら、俺が下男として雇おうか、週給で金貨一枚を払う。おっちゃんなら、それくらいの価値はある。おっちゃんと上手くやれそうだ」
下男で週給金貨一枚なら、いいほうだ。やりくり下手なおっちゃんの生活費は一日銀貨五枚。週給で金貨一枚なら、毎月少しずつだが、貯金もできる。
グリエルモがツンと表情のまま続ける。
「冒険者と違って下男なら危険はない。特別な能力も知識も要らない。どうせ、冒険者で儲けられないなら適性がないから、転職したほうがいい。下男ならベッドの上で死ねるよ」
(グリエルモはんに気に入ってもらえて嬉しいけど、おっちゃんはグリエルモはんの厚意に応えられんわ)
おっちゃんは頭を下げて断った。
「ありがたい話ですけど、それは、お引き受けできません。別に、グリエルモはんが嫌いなわけやありませんよ。おっちゃん特有の事情でして」
グリエルモの表情が曇り、おっちゃんは丁寧な口調で説明した。
「おっちゃんは怠惰な性格でして、使用人は性に合わんのです。お金があるなら、ダラダラ過ごしたい。そんで、お金がなくなったら働くんですわ。ですから下男は向きません。でも、用があったらいつでも仕事をください。手が空いていたら喜んで引き受けます」
「そうか、残念だ」とグリエルモは不機嫌に席を立った。
おっちゃんは、グリエルモに頭を下げて見送った。グリエルモが帰ると、おっちゃんは冒険者の店に顔を出した。
ギルドの依頼報告カウンターに行く。すらりと背が高く、腰が細い女性がいた。女性は黒髪が腰まである三十代前半の女性だった。
女性は細面で細い眉をして、青いワンピースを着ていた。冒険者ギルドの受付嬢エルハームだった。
「エルハームはん、仕事が終わったで。グリエルモはんからきちんと報酬を貰うたで。事前に聞いていたより、楽な仕事やった」
エルハームは微笑む。
「よかったわ。グリエルモは魔術の腕は教師以上だけど、性格に難があるから大変だったでしょう。以前にも下男として従いて行った冒険者がいたけど、苦労したそうよ」
「人間には誰しも欠点がある。欠点は目立つ。でも、欠点だけ見ていたら良いとこ見えん。おっちゃんには、グリエルモさんのええとこが見えた。それだけよ」
エルハームは感心したような顔をする。
「人の欠点に目を瞑って、人のよいところきちんと見てあげられるのは長所よ。冒険者はダンジョン探索だけが仕事ではないわ。人と上手くやっていくのも、強敵に打ち勝つのと同じくらい重要な能力よ」
「そんな大した能力やないよ。おっちゃんは長生きしているから、色々見えるだけや。それにおっちゃんはダンジョンには行けん腰抜けや」
エルハームが茶化して発言する。
「また、そんな言葉を言って。本当は物凄く腕が立つんでしょう」
おっちゃんは頭を振って否定する。
「いやいや、おっちゃんはしがない、しょぼくれ中年冒険者やで」
おっちゃんは依頼掲示板を確認する。アントラカンドの仕事の依頼には、特殊な傾向があった。
「要魔術の経験」「受任に魔術師を含むこと」「魔術師優先」「魔術の知識必須」
(なんや、魔術師がらみの仕事が多いの。犬の散歩に、草毟りも要魔術知識って、おかしいやろう)
魔術の知識がなくてもよい仕事もあるが、価格は他の街の同じ仕事より低く抑えられていた。
エルハームに尋ねる。
「アントラカンドは魔術師の街やけど。なんか、依頼がおかしゅうないか。魔術に関係ない子守の仕事にも魔術師がパーティに最低限一人はいることってあるけど、なんか事情でもあるの」
エルハームが表情を曇らせて教えてくれた。
「街の悪い因習ね。魔術師の全員が信用できるとは限らない。けど、魔術師ではない人間は、信用が低いのよ。能力があっても、依頼する側は経験より知識を重んじるのよ」
(その街、その街で、事情はある。でも、アントラカンドは、ちょっと異質やね)
「そうなんか。変わった街やな。魔術師やなくても犬の散歩くらいできるちゅうねん」
エルハームが親切な態度で教えてくれた。
「それに、要魔術は魔法を使えるだけではダメよ。ちゃんと、魔術師ギルドの会員証が要るわ。仕事の受任時に魔術師ギルドの会員証をチェックするから、自己申告だけはだめよ」
魔法を使える剣士は目立つ。目立てば正体がばれる危険性があった。モンスターの権利を認める勅旨が教皇から出たといえ、まだ浸透はしてない。正体がばれないに越したことはない。
「なんか、やりづらい街やな。でも、郷に入っては郷に従えやな」
(剣と魔法の両方を使えるから目立つ。なら、剣技を少しの間は封印やな)
おっちゃんは、町の中心にある魔術師ギルドに行き受付で頼む。
「魔術師ギルドに入りたいんですが。どうしたら入れますか」
受付職員はおっちゃんを一瞥して視線を外す。
「魔術師ギルドは、魔術を扱う人間のギルドです。一般人は入れません。他所に行ってください」
(なんや、感じ悪いな。魔術師にあらざれば人にあらず、みたいな)
「おっちゃんかて魔法は使えるよ。見てー」と、おっちゃんは初歩的な『光』の魔法を使って、空間に光の球を出現させた。
受付の人間が空間に浮かぶ光を見て対応を変えた。
「失礼しました。どうやら、少しは使えるようですね。この書類に記載をして、年会費として金貨二枚を添えて提出してください」
おっちゃんは魔法の光を消した。
(年会費が高いのー。でも、仕事の幅を拡げるためには、しかたないか)
普通の魔術師ギルドの年会費は金貨一枚だ。アントラカンドの年会費は倍だった。
おっちゃんは記載台で必要事項を記入し、財布から金貨二枚を出して受付で払った。
受付の人間は引換証をくれた。
「明後日までには会員証を作っておきます。明後日に引換証を持ってまた来てください」
言われた通りに翌々日の夕方に来て、名刺サイズの会員証を受け取る。
「魔術師ギルドのメンバーにはなれた。けど、この格好じゃ魔術師に見えんの。しゃあない、どこかで杖とローブを買って、着替えるか。なんか、見てくれも重視されそうやからな」