第百三十三夜 おっちゃんと魔術実習
年が明け、冬が終わりに向かう季節。広大な『シュナ砂漠』の西の端に『オルトカンド廃墟』はある。
日の暮れつつある『オルトカンド廃墟』は寒かった。赤褐色の岩ばかりの平地に、一人の中年男性がいた。
男性の身長は百七十㎝。バック・パックと軽装の皮鎧を着て、腰には細身の剣を佩いている。
歳は四十二と行っており、丸顔で無精髭を生やしている。頭頂部が少し薄い。おっちゃんと名乗る冒険者だった。
おっちゃんは巨大なモンスターと対峙していた。相手は身長三m、二つの顔と四本の手を持つ巨大な骸骨だった。ジャクラと呼ばれる、巨人の骨から創造されるゴーレム系のモンスターだった。ジャクラは、二本の手に、錆びたハンマーを一つずつ持っていた。
ジャクラがハンマーを振るう。おっちゃんが後ろに避けた。すぐに二撃目が来た。注意深く躱して懐に飛び込む。
おっちゃんはジャクラの左膝に強烈な突きを繰り出す。おっちゃんの剣がジャクラの膝に罅を入れた。
(かったいのー、一撃では壊れんか)
ジャクラの攻撃を跳びのいて避ける。力任せには攻めない。鈍重なジャクラの攻撃は一撃でも受ければ致命傷。おっちゃんは慎重にジャクラの攻撃を見切り、隙を窺った。
二度目のチャンスが来た。再び膝に攻撃を入れた。ジャクラの膝の傷が大きくなる。無理はせず距離を取る。ジャクラの攻撃を先読みして、おっちゃんは回避する。
三度目のチャンスが来た。攻撃を掻い潜って、膝に攻撃を入れた。ジャクラの膝関節が壊れた。
ジャクラが前のめりに倒れてきた。おっちゃんは横を通り過ぎるように走り抜けた。
おっちゃんは、そのまま逃走を決め込んだ。ジャクラは足が速くない。膝関節を破壊されれば、追ってきても余裕で逃げられる。
(倒す必要はない。逃げられればええ)
しばらく走って、後ろを振り返った。ジャクラは追って来なかった。周りを見渡せば、誰もいない荒野が広がっていた。
おっちゃんはワー・ウルフの姿を念じる。おっちゃんの姿が、狼の頭を持つ人の姿に変わった。おっちゃんは人間ではない『シェイプ・シフター』と呼ばれる姿形を変化させられる能力を持ったモンスターだった。おっちゃんは風上から人の匂いを感じた。
(グリエルモはんは、こっちやな無事やといいけど)
おっちゃんは人の匂いのする方向に駆けていった。夕闇の中、魔法による灯りが見えた。おっちゃんはワー・ウルフから人の姿に戻った。
光に向って「おーい、おーい」と声を掛けて近づいた。光の正体は杖に宿った魔術の灯りだった。灯りに照らされた人物が浮かび上がる。
相手は灰色のローブを着た痩せた青年だった。髪は銀色で短く黒い瞳をしていた。肌は白い。顔は卵型で、やや鰓が張っている、目の下には隈があり、あまり健康そうな印象はない。
おっちゃんの雇い主のグリエルモだった。グリエルモはおっちゃんをジロジロと観察する。
「よく生きていたな、おっちゃん。でも、良かった。これで、おっちゃんの葬式に出なくて済む。どうも、俺はあの雰囲気が苦手でね。笑顔で送ったらいいのか、泣いて送ったらいいのか、よくわからない」
おっちゃんは、グリエルモの言葉を気にしない。グリエルモと数日過ごしてわかった。グリエルモは悪い人間ではない、ただ、言葉の選び方が不器用なだけだ。
「もう、そんないけずなセリフを言わんといてください。さあ、キャンプに戻りましょうか。おっちゃんが飯を作るよ。大したもんはできないけどね」
グリエルモが袖を差し出したので、おっちゃんはグリエルモの袖を握った。グリエルモは『瞬間移動』を唱えた。グリエルモは魔術師だった。
おっちゃんとて魔法が使える。どれくらい使えるかといえば、小さな魔術師ギルドのギルド・マスターと同じくらいに使える。
グリエルモは、おっちゃんより二十歳以上も若い。だが、魔術の腕に関して言えば、腕はグリエルモのほうが上だった。どこの世界にも天才はいる。グリエルモがまさにそうだった。
キャンプ地に到着する。キャンプ地は大きな焚火があった。焚火の周りには二十のテントが張られていた。また、食糧や飲み水を積んだ馬車も近くに止まっていた。
キャンプには、グリエルモのような若い魔術師が二十人と、人足が三人いた。
グリエルモが『瞬間移動』で帰ってくると、他の魔術師が嫉妬と怖れが入り混じった表情を向ける。
おっちゃんとグリエルモは魔術師ギルドの実習で『オルトガン廃墟』の外縁に来ていた。おっちゃんは、グリエルモの使用人として同行していた。
キャンプに到着すると、グリエルモが離れた場所に張られたテントに黙って移動する。
誰もグリエルモに話し掛ける者はいなかった。教師役の魔術師が、おっちゃんに寄ってくる。
「遅かったようですが、何かトラブルですか」
教師ならグリエルモに直に聞けと思う。ところが、教師もグリエルモを避けていた。
「なんでもありまへん。ちょっと大きなスケルトンに追われてましてな。グリエルモはんと逸れてしまいました。そんで、合流するのに時間が掛かりました。心配かけて、すんまへん」
教師役の魔術師は、口を尖らせて小言を述べた。
「気を付けてくださいね。野外実習といえど、ここは『オルトカンド廃墟』。外縁に危険なモンスターは、そうそう出ません。ですが、廃墟の中にあるダンジョン『迷宮図書館』に近づけば、恐ろしいモンスターも出ますから」
おっちゃんはぺこぺこと謝って、教師役の魔術師の言葉を聞いていた。
(何で、おっちゃんが注意されるんやろうな。生徒を危険な目に遭わせたくないと思うたら、グリエルモはんを注意したええのに。でも、ええか。怒られるのも仕事の内や)
おっちゃんは教師役を宥めると、グリエルモの許に戻った。
グリエルモは『精霊召喚』で小さな炎の精霊を呼び出して暖をとっていた。グリエルモは『魔法の小箱』から食材を出し、『湧水』の魔法で水を鍋に張った。
余った分は水筒に入れ、グリエルモが横柄な態度で告げる。
「おっちゃん、茸とチーズのリゾットを作れ。それに、炙ったベーコンとジャガイモを添えてだ。できるよね?」
おっちゃんは畏まって応じた。
「わかりました。少しお時間をください。できるだけ早く用意します」
グリエルモは皆がいる前では、おっちゃんに尊大な態度を採った。理由は感づいていた。
グリエルモとおっちゃんが仲良くしていると、おっちゃんが嫌な思いをすると考えているようだった。
横柄な態度は、おっちゃんを思っての対応だった。二人だけの時は、もっとソフトな言い方を、グリエルモはする。
キャンプには水もあれば飯もある。だが、グリエルモは決してキャンプの飯と水には手を付けなかった。まるで、隙を見せれば毒を盛られる、と言いたげだった。
グリエルモは嫌われ、怖れられていた。グリエルモも理解していた。
おっちゃんはテントから調理器具を出すと、グリエルモの注文に応えた。




