第百三十一夜 おっちゃんと包囲戦
おっちゃんは準備を整えると、馬を飛ばして国王のいるリッツカンドを目指した。
リッツカンドはレガリア国では最大級の都市で人口は八万人、海に面した大きな街だった。
おっちゃんは途中で馬を乗り換えて、二日で王都に入った。
王都に入った翌日におっちゃんは国王への面会を許された。国王との面会は玉座がある広間ではなく、二十人も入れば満員の会議室のような小さな部屋だった。
(会談は非公式にしておきたいんか。公式でも非公式でもええ、おっちゃんのような使者に会ってくれるだけでも儲けもんや)
おっちゃんが部屋で待っていると、侍従と護衛を連れた国王のヒエロニムスが入ってきた。
ヒエロニムスは細身の五十代の男性だった。髭はなく髪はとても短い。あまり顔色もよくなく、頬も痩せている。青白い肌をしており、目はどこかどんよりとしていた。服装は飾り気のないクリーム色の綿のシャツに、黒の綿のズボンを穿いていた。
ヒエロニムスがおっちゃんの正面の席に着いたので、おっちゃんも座る。
「猊下の使者で来ました。オウルです。猊下から書状を持ってまいりました」
おっちゃんは滅多に名乗らない名を名乗り、書状を侍従に渡した。
ヒエロニムスが侍従から書状を受け取ると、封を剥がし中身を読む。ヒエロニムスが感情の篭らない声で告げる。
「猊下の考えはわかった。教皇庁と王国は良い関係でやって来た。これからも同じでありたいと思う」
ヒエロニムスが言葉を濁したので確認する。
「聖軍には参加されないんですか」
ヒエロニムスが興味なそうな顔で淡々と述べる。
「聖軍に参加したところで領土が増えるわけではない。国が豊かになるわけではない。だが、軍を出せば確実に金が掛かる。軍を出す以上はメリットが欲しい」
「教皇庁が勝てば異種族との交易がやりやすくなります。そうすれば、経済が廻って税収も上がります。国内に住居を構える異種族も出ます。結果的に国民が増えて国も強くなります」
「それはあるかもしれないな」と、ヒエロニムスが気のない返事をして言葉を続ける。
「だが、異種族を嫌う人間は多い。異種族を受け入れても国内が混乱するようなら、デメリットのほうが多い。異種族を国内に受け入れる行いは避けるべきであろう」
「混乱いうても、十年、二十年ですわ。その後は普通になります。百年先、二百年先を見越した国家運営を考えるのなら、混乱は問題にならないと思います」
ヒエロニムスは気怠い顔をした。
「随分と気の長い話だな。実は異端派からも軍を興すように要請が来ている。余はこれを受け入れようと思う。あまりに異質な考えは受け入れられない。異端派は教会的には間違っているが、考え方は受け入れ易い」
おっちゃんは勘が働いた。
(異端派に兵を出す発言は嘘やな。おっちゃんを試している。きちんと答えれば、軍を出してくれるかもしれん)
「あまり賢い考えと思いません。すでに、バサラカンドは聖軍への参加を表明しています。ここで国王が異端派に軍を出せば内戦に突入する恐れがあります」
「それは困るな」とヒエロニムスが簡単に述べる。
「異端派が勝ったとして、武力で教会は治まりません。異端派には優秀なリーダーがいない。異端派が勝っても、教会は細分化して争いがひどくなるだけです。現状を考えると教皇派について教会を支えたほうが、国内が荒れるにしても対処しやすい」
ヒエロニムスは難しい顔でさらりと発言する
「なるほど。オウル殿の話はもっともだな。気が変った。聖軍を出そう。それで、どれくらい兵力を出せばいい。五千か、それとも一万か」
(多ければ多いほうがええ。ただ、ヒエロニムスは、きっと、きちんと計算ができているかを試している。なら、根拠のある数字を出したほうがええ)
「千人もいれば充分です。これにバサラカンドの兵が加われば、味方は四千。異端派の現在の兵力は三百。異端派はここから増えても千は行きません。四倍いればまず負けません」
ヒエロニムスは挑戦的な口調で話した。
「なぜだ。敵は何千にも膨れ上がるかもしれないぞ」
「それは絶対にありません。急ごしらえの軍では、満足な兵站がない。下手に人員を増やせば、物資が底を突いて戦う前に瓦解する。金も物資もない、いきあたりばったりで立ち上がった異端派は人を増やせません」
「兵站が理由の敵の上限か。それはありえる話だな」
おっちゃんは畳み掛ける。
「領主が様子見なので異端派には大規模な増援は来ない。今回の件でいえば国民が立ち上がる話でもないので、義勇兵の参加もない。なんで、増えたところでせいぜい千人ですわ」
ヒエロニムスが指先で額を軽く掻く。
「いいだろう。兵糧を教皇庁で用意してくれるなら、千人の兵をすぐに出そう。ただし、これ以上の援軍はない。負ければ王国は教皇庁との付き合いを考えると伝えてくれ」
おっちゃんは馬を飛ばして教皇庁に戻った。
「猊下。国王は兵糧を用意してくれるなら、一千やけど聖軍を出してくれるで。聖軍の旗を準備してや」
マキシマムが大いに喜んだ。
「でかしたぞ、おっちゃん。国王の出兵は大きい。兵糧なら問題ない。教皇庁の倉には秋に収穫した米が充分にある。たとえ春まで戦が長引いても、次の小麦の収穫時季までの蓄えはある」
五日後には、バサラカンド軍の兵士三千が到着した。その二日後には、リッツカンドの騎士を中心とする千人の兵士がエルドラカンドに到着した。
マキシマム率いる聖軍四千は『エボルダ修道院』に向けて進軍を開始した。
三日後、エボルダ修道院に到着しバルタが作戦を説明する。
「五百人の異端者が集まる『エボルダ修道院』は砦を改修した建物です。下手に攻めると犠牲が増えます。ここは四方向から修道院を囲んで、敵の兵糧が尽きるのを待ちます」
バサラカンドの若き領主ユーミットが凛々しい顔で確認する。
「敵の増援が外から来る気配は、ないのですか?」
「二十や三十の増員は、あるかもしれません。ですが、百を超える大規模な増援は来ないでしょう」
マキシマムが方針を発表する。
「投降してくる敵は寛大に許そう。だが、和睦はない。決着は向こうが完全に降伏するか、死ぬまでだ」
『エボルダ修道院』をひたすら囲むだけの、地味な戦いが続いた。
包囲を続けて十日後、異端派では離反者が出始めた。
作戦会議の席でバルタが説明する。
「どうやら、異端派の兵糧が尽きたようです。あと一週間もすれば、異端派は戦えなくなります」
マキシマムが怖い顔で発言する。
「今日一日は包囲している部隊より、積極的に投降を呼び掛けろ。今日だけでいい。あと、今晩をもって包囲陣を二百m後ろに下げる。理由は説明しない。朝になればわかる」
その日は積極的に投降の呼び掛けが行われた。だが、投降する人間は三十人に満たなかった。
夜になると、マキシマムの命令通りに包囲陣が二百m後退した。
マキシマムがその晩は寝なかった。おっちゃんも付き合って起きていた。マキシマムは始終、鬱ぎ込んでいた。
朝が近くなるとマキシマムが天幕の外に出た。
おっちゃんも従って外に出た。今まさに昇らんとする朝焼けを前に、マキシマムが口を開いた。
「見ろ、おっちゃん。『エボルダ修道院』の最期だ。神託を拒絶した信徒に神罰が下るぞ」
『エボルダ修道院』の上空が白く輝いていた。空が眩く光る。
強大な真っ白な光の柱がエボルダ修道院を襲った。光の柱は十秒足らずで消えたが『エボルダ修道院』も跡形もなく消し飛んでいた。
(なんや、これは。恐ろしいほどの威力や。こんな光景、見た経験ないで)