第百三十夜 おっちゃんと審問会(後編)
教皇庁は混乱のまま夜になった。
寝ていると、おっちゃんを呼ぶ声がした。声の主はマキシマムだった。
「おっちゃん、来てくれ」
マキシマムは平服の格好をしていた。だが、腰には剣を佩いて、とても深刻な顔をしていた。
なにか良からぬ気配に、おっちゃんはすぐに着替えた。
着替えている間にマキシマムが説明する。
「聖騎士が神の間に入ろうとしている。規模人数共に不明だ。用心しろ、おっちゃん。聖騎士は強いぞ」
「承知しました」
おっちゃんは着替えてマキシマムと一緒に神の間を目指した。
(神の威光について過信していた。信心深い聖騎士が離反する。それだけ、人間と異種族の溝は深かったちゅう話か。どうにか聖騎士に矛を収めてもらうわけにはいかんやろうか)
神の間へと続く大扉の前にいた四人の聖騎士は、眠らされていた。大扉は開いていた。
(あかん。ダンジョン・コアを、破壊する気か。前に来た時には前室にガーディアンの『使徒ケプラン』がいた。すぐには、神の間には行かれんはず。でも、急がな、ダンジョン・コアを破壊されたら、マキシマムはんの正統性が失われる)
下へと続く階段を下りて行くと人の悲鳴が聞こえた。神の間へと続く前室の中には、四人の聖騎士と僧侶が地面に転がっていた。
部屋の中には身長四mの四枚の翼を持つ天使である『使徒ケプラン』と人間サイズの天使が四人いた。使徒ケプランは両手で一人の聖騎士を捕まえていた。
『使徒ケプラン』の口が開く。聖騎士から白い煙が立ち上り『使徒ケプラン』の口に吸い込まれていく。
捕まっていた聖騎士が悲鳴を上げて、ぐったりした。
『使徒ケプラン』から年配の女の声がする。
「安心なさい教皇よ。神に逆らう愚かな人間は始末しました」
「わかった。ありがとう、使徒ケプランよ。礼を言う」
『使徒ケプラン』は微笑むと部屋の中央に移動し、体が水晶化した。
四人の天使たちは天井から出現した白いゲートに帰っていった。前室には八人の遺体が残された。
(反逆した人間は八人だけか。少なくて助かったで。もっと多かったら、『使徒ケプラン』でも防ぎきれん)
大勢の人間が階段を下りてくる音がした。
(なんや? まさか、敵の第二波か)
おっちゃんとマキシマムは剣を抜いて構えた。
音の正体はバルタの率いる聖騎士だった。
「猊下、ご無事ですか」
マキシマムが剣を納め、沈痛な面持ちで死体に視線を向けた。
「俺はなんともない。だが、神の間に押し入ろうとした聖騎士と僧侶に使徒より神罰が下った」
バルタは悲しい顔で首を振った。
「神の間に押し入ろうなんて、なんと馬鹿な所業を。おい、遺体を運び出せ」
バルタの命を受けた聖騎士が、遺体を運んでいく。
「大扉の前の警備を強化したほうええな。四人では何かあった時に対応できん」
マキシマムが表情を曇らせて同意した。
「だな。無用な犠牲を出したくない」
翌朝の朝食時に、バルタが沈痛な面持ちで報告に来た。
「猊下、お耳に入れたい話があります。昨日、四人の聖騎士と僧侶が亡くなった状況については御存知かと思います。他にも、聖騎士が十人、僧侶が五人、出奔いたしました。出奔した聖騎士は『生命の杯』を持って逃げています。追跡しますか」
「いや、まだいい。出奔者の数はまだ増えるだろう。出て行きたい奴は出て行かせろ。『生命の杯』については惜しいことをしたが、放っておけ。いずれ取り返す」
バルタは頭を下げて退出した。
おっちゃんは、マキシマムに声を掛ける。
「猊下は後悔していますか。審問会を開いたことを」
マキシマムは浮かないで、弱気な声で答える。
「やってしまった過去に後悔はしない。だが、こうも人が離反していくとは思いもよらなかった」
マキシマムとおっちゃんがマキシマムの私室に戻ると、ロシェ大司教が深刻な顔をしてやって来た。
「猊下、これより緊急対策会議を行います。出席をお願いします」
「わかった」と険しい顔でマキシマムは出て行った。
会議は二時間ほどで終わった。
「どうでしたん」
「教皇庁に反旗を翻す輩が『エボルダ修道院』に集結している。俺は圧力を強めることにした。まず、今回の決定を早急に教会の情報網で通達する。従わない教徒は異端と認定する」
断固たる処置だった。
「異端派を追い込む事態に、なりませんやろうか」
マキシマムが険しい顔で述べる。
「こうなれば、異端派を追い込んで『エボルダ修道院』に集める。それを各地から集めた聖軍で叩いて鎮圧する。異端派とは話し合いはしない。妥協点がないからな」
(宗教戦争になってもうたな。世の中を変える行いは難しいな)
マキシマムの動きは早かった。教皇庁の決定を知らせる使者と聖軍への参加を呼び掛ける使者は翌日には旅立った。
一週間は目立った動きがなかった。一週間後の朝食時にバルタが現れ、深刻な表情で報告する。
「使者が都を出て一週間が過ぎました。異端派の人間は『エボルダ修道院』に続々集結しており、その数は三百人に上っています。このまま行けば、数を増やして聖都エルドラカンドに攻め入るかもしれません」
マキシマムは自然体で報告を聞く。
「聖軍の集まり具合はどうだ」
「バサラカンドのユーミット様が、三千の兵を出してくれました。他の領主については、だんまりを決め込んでいます。どちらに着くか、決めかねているのでしょう」
「ユーミットか。動きが早いな。おそらく、ユーミットはこの流れを読んでいたな。よし、ユーミットに聖軍を示す教皇庁の旗を贈れ。それで、国王のヒエロニムスはどうしている? 動いたか」
バルタが深刻な顔のまま報告と続ける。
「使者を送って聖軍に参加するように頼んでいますが、いまだ動きがありません」
「普通の使者ではダメか。わかった。おっちゃん、ちょっと国王に会ってきてくれ。異端派に協力しないよう国王に釘を刺してくるんだ」
(いつもなら断る話や。だが、事態がここにいたった経緯には、おっちゃんにも責任がある。ここは頑張り時や)
「わかりました。他人事やあらへん。おっちゃんも骨を折ります」