第百二十一夜 おっちゃんと教皇の娯楽(後編)
試合会場に行く。魔法の灯りが点けられ会場の再設営が始まっていた。
会場ではバルタが指揮を執っていて、おっちゃんを見ると寄ってきた。
「おっちゃん、審判を頼めますか」
「ええけど、本当にやるん?」
バルタが愚痴るように発言する。
「猊下が言い出した試合なので、やらないわけにはいかないでしょう」
「わかった。あと、念のために猊下の手の届く場所に丈夫な傘を用意しておいてや」
バルタが空を見上げる。
「雨の心配ですか、曇ってはいますが降りそうにはないですよ」
「念のためや、会場は一度、警備が解かれとる。何が細工されているか、わからん。それに会場は魔法の明かりが消えたら真っ暗や。明かりを消されたら隙ができる」
バルタが浮かない顔で述べる。
「一瞬の隙をついての暗殺も、ありえますな」
「そうや。傘が猊下の傍においてあっても、不自然ではない。傘なら傍に置いても猊下も文句を言わんやろう。あと椅子は背凭れのない椅子にしてや。いざとなったら、後ろに逃げられる工夫や」
バルタが真剣な顔で頷く。
「わかりました。猊下には丸椅子に座ってもらいましょう。それと、武器になるくらい丈夫な傘を、猊下の手の届く場所に用意しておきます」
おっちゃんは平服に着替え、教皇庁の武器庫から普通のエストックを借りた。腰に剣を佩いて会場に戻った。
教皇庁広場での通常の出し物は終わっている。一般人はすでに教皇庁と街を繋ぐ内門の外にいた。特別な一番なので、一般人は再入場を許されなかった。
観客は立食パーティに参加していた者たちだけ。それでも、パーティ出席者の従者やら護衛やらも外に出てきたので、二百人近い人間が会場にいた。
ジョバンニがエドワード伯爵に付き添われて、サリバンがサンチョを伴って入場してきた。
サリバンもジョバンニも試合の時と同じ格好をしていた。
観客の誰かが囁く。
「ジョバンニは鎧を脱がなくていいのか。木剣での試合だ、全身甲冑じゃ不利だろう」
「冒険者ごときに騎士の象徴たる甲冑を脱ぎたくないんだろう。それだけ自信があるってことさ」
会場はこれから始まる大一番に、にわかに興奮していた。
エドワードがジョバンニに、サンチョがサリバンに、それぞれ短い会話をしてから観覧席に戻った。
マキシマムが入場してきて教皇席に着いた。教皇席の近くには十人の聖騎士が護衛に付いていた。
教皇席に視線を移す。マキシマムはきちんと丸椅子に座っていた。横には凶器になりそうなくらい頑丈そうな傘も置いてあった。
教皇の横にバルタが移動し、教皇に何やら確認する。
(準備は整った。後は試合を始めるだけや。バルタはんこっちはいつでもええで)
バルタが段の下に来て、おっちゃんに指示を出す。
「それでは、審判。試合の進行をお願いします」
「両選手、開始線の前へ」
ジョバンニとサリバンが開始線の位置に着いた。おっちゃんは二人から二mほど離れる。
「構えて」の、おっちゃんの合図で、ジョバンニとサリバンが構えを採った。
「試合開始」のおっちゃんの合図で、会場の明かりが消えた。
おっちゃんはダンジョン流剣術を使えた。ダンジョン流剣術の中には聴覚、視覚、嗅覚、触覚が効かない状態でも相手の位置を知る『天地眼』と呼ばれる技があった。
おっちゃんは『天地眼』を修得しており、半径三m以内であれば、暗闇の中でも、物の位置が明確にわかった。
暗闇の中でジョバンニとサリバンが動く気配が伝わってきた。ジョバンニとサリバンがマキシマムに向かっていこうとした。
(狙いはマキシマムはんか、やらせはせんぞ)
おっちゃんは、背を向けたサリバンに斬り掛かった。
サリバンはターンして、おっちゃんの攻撃を受け止める。
何かが光った。七色の光がサリバンの後方から教皇席に向かって放たれた。
「猊下」バルタの緊迫した声が響いた。
(しまった、後手に廻ったか)
七色の光はすぐに消えた。再び辺りは闇に包まれた。
何かが起きていたが、何が起きているかは、わからなかった。状況を確認したい。だが、サリバンは手の抜ける相手ではなかった。
おっちゃんは暗闇の中、次々と高速の突きを繰り出す。暗闇で目が利かないはずのサリバンは、的確におっちゃんの突きを捌いた。サリバンは冷静に防御に徹しおっちゃんの攻撃を凌いだ。
突如、サリバンの気配が消え、二秒で明るくなった。
マキシマムの姿を確認しようとするが、マキシマムの姿はなかった。
(まさか、やられたんか)
おっちゃんは背筋がゾクリとした。
「猊下」「猊下」聖騎士の緊迫した声が響いた。
「俺なら大丈夫だ」と緊張感のない声が聞こえ、マキシマムが段の背後から段に上ってきた。
マキシマムが姿を現すと、バルタが大声で指示する。
「猊下の周りを固めろ。猊下を安全なところへ」
十人の聖騎士がマキシマムの周りを囲んで、教皇庁へ入っていく。場内は騒然となっていた。
おっちゃんはサリバンとジョバンニの姿を探した。だが、二人の姿はどこにもなかった。
現場にはジョバンニの物と思われる木剣が落ちていた。
『魔力感知』を唱えた。木の剣には魔法が掛かっていた。だが、魔力は使用され枯渇していた。
「何かの魔法が掛かっていた形跡があるな」
「暗殺の証拠品や」と、おっちゃんはバルタに木剣を渡した。
数時間後、夜も深け招待客は皆、宿に帰った。
翌朝、マキシマムと一緒に食事をしていると、バルタが険しい顔をして報告に現れた。
「猊下、昨日の暗殺未遂事件についてご報告します。暗殺には木剣に似せた魔道具が使用されました。魔道具には魔法の『分解消去』が込められていました」
『分解消去』の魔法は知っていた。魔法の光線を出して、光線を浴びた対象は分子レベルまで分解する高難易度魔法だ。
『分解消去』クラスの魔法を込めた魔道具はそうそうあるものではなく、マキシマムが興味を示した。
「あの怪しい光は『分解消去』の光だったか。なるほど、俺を殺せる手段の一つだな。まともに喰らったら、危なかったのかもしれない」
「猊下はどうやって切り抜けたんですか」
マキシマムがケロリとした顔で答えた。
「ジョバンニが向かってくる気配があったから、近くにあった傘を投げつけた。傘を投げた瞬間に地面を蹴って、後ろに転がるように逃げたんだ。頭をどこかにぶつけたが、大事はなかった。それで、ジョバンニとサリバンは、どうした」
バルタが浮かない顔で首を振る。
「両者とも発見にいたっておりません。エドワード伯爵とサンチョについては、ここ数日の記憶があやふやでした。高度な魔法で操られていたようです」
マキシマムが思案する顔で命じた。
「どうやら敵には、強力な魔術師がいるようだな。念のために、アントラカンドの魔術師ギルドに照会を掛けてみろ」
アントラカンドは国で最大の魔術師ギルドがある都市だった。
「畏まりました」とバルタが一礼して下がる。
マキシマムが気楽な調子で声を掛ける。
「おっちゃんは剣の腕はからっきしと言っていたが、結構やるそうだな。あの、サリバンを相手に一歩も引かなかったと聞いている。今度、俺と手合わせしてみるか」
「めっそうもない。おっちゃんの剣は人に誇れる腕前ではないです。サリバンと戦っていた時はサリバンが打ってこなかっただけです」
マキシマムが残念そうに口にする。
「そうか。なら、そういう話にしておこう。でも、体が鈍っているようだったら、いつでも言ってくれ。稽古をつけてやる」