第百十八夜 おっちゃんと生命の杯(中編)
昼過ぎには『エボルダ修道院』が見えてきた。『エボルダ修道院』はなだらかな丘の上にある修道院だった。
『エボルダ修道院』は、一辺が百m四方の四角い修道院で、二つの塔を持つ。簡単な城壁も持つ建造物だった。昔は砦として使われていたが、今は内部を改装して、修道院として使っていた。
ジョエルの導きに従い『エボルダ修道院』の前に降り立った。
おっちゃんの姿を見ると、庭にいた修道士たちは慌てて逃げた。されど、教皇庁の紋章の入った鞍を見ると恐る恐る近づいてきた。
ジョエルがおっちゃんから下りて、声を上げた。
「私は聖騎士ジョエルだ。猊下の命により『生命の杯』を受け取りに来た。院長に取り次いで欲しい」
修道士の一人が中に入った。別の年配の修道士が寄ってきて、ジョエルにおっかなびっくり声を掛ける。
「教皇庁ではワイバーンを飼って乗り回しているのですか」
ジョエルが肩を竦めて感想を述べた。
「普段は馬だよ。これは、猊下の趣味で導入されたものだ。確かに馬より足は速いが、どうも良い心地がしない。やっぱり、乗るなら速い馬だな」
(おっちゃん、人気ないな。気を使って、揺れんように飛んだつもりやったんやけど)
修道士がおっちゃんを恐る恐る見ながら尋ねた。
「このワイバーンは、人を襲ったりしないのですか」
「正直なところ、わからん。こんな怖ろしい怪物を導入したがる猊下の気が知れぬ」
(おっちゃん、教会の人には不評やね。空飛ぶ乗り物って、便利な気がするんやけど)
修道士とジョエルの当たり障りのない世間話が続いた。
おっちゃんが座って待っていると、院長らしき修道士が現れた。院長は白い長い髭と髪を持つ老人だった。
院長は木でできた高さ六十㎝の杯と肩から提げる鞄を持っていた。
「猊下から事前に連絡を受けております。これが、修道院で保管してある『生命の杯』です」
ジョエルが『生命の杯』を確認した。
「しかと受け取った」とジョエルが『生命の杯』を鞄に入れた。
院長が微笑んで勧めた。
「どうでしょう、ジョエル様。よろしければ、ミルクティでも、いかかですかな」
「申し出はありがたいが、猊下より品物を受け取ったら、寄り道せずに戻るように仰せつかっている。なので、失礼する」
「猊下の命ならしかたありませんね。それではまたの機会に」
ジョエルがおっちゃんに乗った。
おっちゃんは空に向けて飛び上がった。夜にミルク村の付近に来た。
ジョエルがしきりに手綱を操作する。
(なんや、降りて欲しいようやな。明るい時に村に寄った理由は飯を買うためやったな。晩御飯か)
おっちゃんが村に向かおうとすると、ジョエルが乱暴に手綱を操った。苛々した調子で指示を出す。
「おい、こら、そっちじゃない。言うことを聞け」
ジョエルは村から外れた場所に移動させようとした。
(これ、村に行きたいんと違うな。怪しくなってきたで)
おっちゃんは上空で旋回すると、ジョエルの導く方向に進んだ。
「やっと、命令を聞いたか。ワイバーンは速度は速いが、馬鹿なのが、玉に瑕だな。馬のほうがよっぽど、利口で扱い易い」
おっちゃんはムッとしたが、ジョエルの言葉を聞き流した。
村の外にある大きな一本の杉の木が有る場所に、おっちゃんは誘導された。
おっちゃんは木の数m手前に着地した。
杉の木の下にはランタンを持った農夫の格好をした人間がいた。
農夫は肩から鞄を提げて待っていた。おっちゃんは農夫の顔をじっと見て記憶する。
おっちゃんを見て、農夫はビクビクしていた。
「これが乗用ワイバーンですか。初めて見ますが、大きいですね。襲ってきたりしませんか」
「さあ、どうだろうな。猊下の新しい玩具だ。馬鹿かもしれんが気性は大人しい」
(馬鹿は余計だっちゅうに)
ジョエルはおっちゃんから下り、鞄を肩から外した。
「この中に『生命の杯』が入っている。摩り替え用の『生命の杯』は持ってきたか」
農夫が邪悪な笑みを浮かべた。
「ここにありますよ。魔力が篭った精巧な偽物なので、ばれる状況にはならないと思います」
(やはり、ジョエルは、黒やったか。杯はきちんと回収させてもらうで。おっちゃんは頭いいからの)
農夫とジョエルが鞄を交換しようとした。
おっちゃんは突進し、巨体でジョエルと農夫を突き飛ばした。鞄が落ちた隙に『生命の杯』が入った鞄を咥えた。そのまま助走を付けて空に飛び立った。
「おい、馬鹿、戻れ。それは食い物じゃない」とジョエルの罵声が響くが無視した。
おっちゃんは鞄を咥えたまま教皇庁に向かって飛び、教皇庁の庭に降りた。
人を乗せていないワイバーンを見つけた巡回兵士が、慌ててバルタを呼んできた。
バルタに咥えていた鞄を渡した。バルタが鞄の中身を確認して礼を述べる。
「ご苦労だったな。ゆっくり休むといいぞ」
巡回兵士がおずおずと申し出る。
「相手は頭の悪いワイバーンですよ。言葉はわからないと思いますが」
バルタが微笑んで、気さくな調子で語った。
「ワイバーンも馬も変わらん。こう言う時はきちんと声に出して、褒めてやることが大事だ。よし、ワイバーンを専用厩舎に連れて行ってくれ」
巡回兵士は露骨に嫌な顔をし、バルタが宥めるような口調で命じた。
「大丈夫だ。噛まないから。扱いは馬と大して変わらん」
巡回兵士は命令を受けても、躊躇った。
「でも、乗っていった聖騎士がいないんですよ。もしかして、こいつに食べられたのではないでしょうか」
バルタがおどけて発言する。
「それなら、問題ないだろう。聖騎士の一人も食えば、腹は膨れる。襲っては来ない」
「バルタ様。笑えないですぜ」
巡回兵士は嫌な顔をして、おっちゃんを専用厩舎に連れて行った。
専用厩舎は教皇庁の中でも目立たない場所にあった。巡回兵士が恐る恐る扉を開けて、おっちゃんを押し込むように中に入れた。
専用厩舎の中には床に干し草が敷かれていた。おっちゃんを専用厩舎に入れて繋ぐ。巡回兵士は逃げるように小屋を後にした。
干し草の上に座った。下に硬い物を感じた。暗いので『暗視』の魔法を唱えた。人間の姿になって、干し草をどける。
干し草の下には大きな袋があった。中には、おっちゃん用の服があるので着替えた。
「はあ、腹が減った。飯にしよう」
おっちゃんはそっと専用厩舎の扉を開けた。誰もいない状況を確認してから外に出た。『施錠』の魔法で、専用厩舎に鍵を掛けた。




