第百十七夜 おっちゃんと生命の杯(前編)
三日後の朝食の時にバルタが現れ、マキシマムに厳粛な顔で報告する。
「容疑者の口を割らせる尋問に成功しました」
マキシマムが食事の手を止めた。
「そうか、よくやった。それで成果のほどはどうだ」
「チーズの配達人は『聖なる鉄鎚』の一味でした。ただ、アジトに聖騎士と一緒に踏み込んだときには蛻の殻でした」
(アジトを処分して逃げるには、半日もあれば充分やからな。でも、バルタはんを責める仕打ちは酷やで)
マキシマムが不機嫌な顔で尋ねる。
「暗号の件はどうなった。何が書いてあった」
「暗号は猊下のスケジュールについて記されたものでした。暗号を作成した僧侶は特定できませんでした」
「僧侶については手懸りなしか。『聖なる鉄鎚』のメンバーは教皇庁内に潜伏している、と」
「チーズの配達人が捕まってから姿を消した僧侶が一人います。姿を消した僧侶については、目下のところ行方を追っています」
バルタが一礼して下がった。マキシマムがおっちゃんに向き直った。
マキシムが眉間に皺を寄せて、強めの調子でおっちゃんに尋ねる。
「おっちゃんの読みはあたったな。おっちゃんは今回の件をどう考える」
「これで綺麗になったとは、思えません。『聖なる鉄鎚』のメンバーはまだ教皇庁内にいますやろう。おそらく、聖騎士の中にも『聖なる鉄鎚』のメンバーはおるんとちゃいますか」
マキシマムが手で人払いの合図をする。おっちゃんを残して護衛と使用人が退出した。
「俺も同意見だ。ところで、おっちゃんが暗殺者なら俺をどう殺す」
「僧侶が近くにいるから毒殺は難しい。罠を仕掛けるにも教皇庁内で無理。おびき出して襲うにしても、猊下の実力なら剣士が五十人は欲しい。並の魔法なら抵抗されて効果なし。ちと思い浮かびませんね」
マキシマムが怖い顔で伝える。
「教皇は普通の手段では、殺せない。教皇になった時から、俺には強力な再生能力が備わった。教皇は普通の刃物では傷つけられない。毒も効かない。病気にもならない。そんな俺を殺せる方法は、三つだ」
「方法があるんですか、気になりますな」
マキシマムが指折り数えて教える。
「一つ、聖剣で殺す。一つ、魔法で分子レベルまで分解する。一つ、再生能力を暴走させる、だ」
(やっぱり、教皇は普通の人間やないね。これ、完全に人間の域を超えているね。相手がダンジョン・マスターやから、驚かんけど)
「なかなか、難しい条件ですな」
マキシマムが真剣な顔で話した。
「そうでもない。ここより徒歩で三日ほど北に行った場所に『エボルダ修道院』がある」
「よく知りませんが、特別な修道院なんでっか」
「『エボルダ修道院』には『生命の杯』と呼ばれる聖遺物が存在する。『生命の杯』は人が持つ再生能力を高める効果がある。『生命の杯』を悪用すれば俺を殺せる」
「そんなものがあるのなら、早く回収したほうがええんやないですか」
「そこでだ、おっちゃん。ある聖騎士と一緒に行って『生命の杯』を回収してきてくれ。ただし、一緒に行く聖騎士には『聖なる鉄鎚』の構成員の可能性がある」
「なるほど『生命の杯』を回収しつつ、一緒に行く『聖騎士』が黒か白か見分けるのが仕事ですか。引き受けてもいいですが、用意して欲しいものがあります」
「なんだ、言ってみろ」
「飛竜用の鞍と手綱です。おっちゃんはワイバーンに化けて乗り物として同行します。聖騎士も相手が乗り物なら、油断もするでしょう」
「わかった、すぐに用意させよう」
七日後、バルタと一緒に飛竜用の鞍と手綱を持って街から出た。
街外れの森で、おっちゃんはワイバーンに姿を変えた。
ワイバーンは飛竜とも呼ばれる。体長が四mほどの、空を飛ぶ龍に似たモンスターだった。
龍と違い、手は退化して存在しない。だが、鋭い爪と毒のある尻尾を持つ。知能は低いが、力が強く、牛だって持ち上げて飛べる。
一部地域では乗用として使っている地域もある。だが、気性が荒く飼い馴らす訓練が非常に難しい。
ワイバーンに変身したおっちゃんを見て、バルタが感心する。
「見事にワイバーンに変身したものだな。きちんと飛べるのだろうな」
「心配はありまへん、初めてやないさかい」
バルタがおっちゃんに、教皇庁の紋章が入った飛竜用の鞍と手綱を着けた。
おっちゃんにバルタが乗り、操縦して空を飛んで街に向かった。
バルタが機嫌よく感想を口にした。
「馬で遠乗りに出るのもいいが、空を飛ぶのもいいな。これはこれで壮快だ」
「普通はこうはいきませんよ。本物は、気性が荒いからね」
教皇庁の庭に、おっちゃんは降り立った。
庭には聖騎士六名とマキシマムがいた。聖騎士たちは、おっちゃんを見ると警戒感を露にした。
おっちゃんから下りたバルタがマキシマムに報告する。
「猊下、ご注文のワイバーンを持ってまいりました」
「ご苦労だった、バルタ。どうだ乗り心地は」
「最初は戸惑うかもしれません。慣れれば快適です。なにより、馬より倍は速い。これで扱い易ければ、私も一頭、欲しいくらいです」
マキシマムが聖騎士の一人に声を掛けた。
「よし、ジョエル。俺が乗るために購入したワイバーンだが、今回の任務に貸してやろう。このワイバーンを使って、『エボルダ』修道院にまで行ってこい。ワイバーンなら一日あれば戻って来られるだろう」
ジョエルと呼ばれた聖騎士はおっちゃんを嫌そうに見た。
「この度の任務は重要なので時間が掛かろうとも、慣れた馬のほうを使いとうございます」
バルタが怖い顔で叱責した。
「猊下を初めにワイバーンに乗せ何か事故があったら、どうする。安全を確かめるためにもお前が乗るのだ。陛下の安全確保も聖騎士の務めだ」
ジョエルは渋々の顔で了承した。
「聖騎士団長の命とあらば是非もなし」
ジョエルがおっちゃんに乗ると、おっちゃんは空に舞い上がった。
ジョエルは神経質に手綱を操作する。乗せているのがおっちゃんなのでジョエルの意に従った。
初めは戸惑っていたジョエルだが、おっちゃんが意のままに動くとわかると「どうにかなるものだな」と安心した。
ジョエルは途中ミルク村に寄った。ミルク村はその名の通り酪農が盛んな村で、チーズ作りが有名だった。クリーム・チーズだけでなく、半年掛けて熟成した硬質チーズも有名だった。
おっちゃんはジョエルの指示で、村の酒場の前に下りた。おっちゃんは注目を集めた。
初めは恐怖の目を向けられた。
(仕方ないね。こんな恐ろしくて、大きななりやからね。でも、おっちゃんは怖くないからね)
鞍に教皇庁の紋章が入っているのを見ると、人々は態度を変えた。人々は興味深く遠巻きに観察して、何かを囁き合う。
ジョエルは村で軽食を買って出てきて、おっちゃんに乗った。
おっちゃんは『エボルダ修道院』に向かって飛ぶ。途中で三回ほど降りて休憩をする。
ジョエルはミルク村で買った軽食を食べるが、おっちゃんには何も宛がわれなかった。おっちゃんは川で水を飲ませてもらっただけだった。
(おっちゃんの飯も買え、言うんや。おっちゃんやからいいけど、これ本物なら噛み付くぞ)