第百十六夜 おっちゃんと『聖なる鉄鎚』
三日後、マキシマム、バルタ、おっちゃんで朝食を摂っている時だった。
マキシマムが世間話でもするかのように、口を開いた。
「バルタに、おっちゃん。昨日、密偵から報告があった『聖なる鉄鎚』なる組織が、俺の命を狙っているそうだ。すでに『聖なる鉄鎚』の人間が街に入り込んでいると聞く」
バルタがパンにクリーム・チーズを塗る手を止め、真剣な顔で応じた。
「猊下の周辺の警備を強化いたします。街へ出入りする人間のチェックも、厳重にしましょう」
「警備の強化は不要だ。人の出入りのチェックは今まで通りでよい。その上で『聖なる鉄鎚』の摘発に力を入れて欲しい。できるか?」
バルタは畏まって答えた。
「猊下の仰せとあらば、是非もなし。全力を尽くしましょう」
(マキシマムはんに魔の手が伸びているんか。これは、おっちゃんも動かなあかんな)
その日、おっちゃんは一時的に休みを貰った。
おっちゃんは、まず教皇庁の調達部門に顔を出す。
「こんにちは。最近、新たに出入りしだした商人とか、いませんか?」
僧侶が澄ました顔で答えた。
「新規参入は難しいですよ。教皇庁へ出入する商人には資格審査が要りますからね。献上品とて同じですよ。簡単に物を納める行為はできません」
厨房へ行って見た。
「食材で仕入れ先を変えたところって、ある?」
料理長が浮かない顔で応じた。
「特にないですね。味が変でしたか。食材の鮮度には気をつけているんですがね」
市場に行って聞き込みをした。
「ここって誰でも店を出せる?」
市場長が申し訳なさそうに教えてくれた。
「ここの市場は区割りが厳重に決まっていますから、新規参入は無理ですね」
(商人の線はないのか。待てよ、まだ決めつける行為は早いの)
おっちゃんは内門の前にいる兵士に尋ねる。
「ここ最近で新たに頻繁に出入りするようになった人間って、おるかな」
兵士は畏まって答える。
「いえ、特に怪しい人間はいませんが」
(マキシマムはんを暗殺しようとする。寺院の情報を定期的に外に持ち出さねばならん、いったい、どうやって持ち出しておるんや)
内門で人の流れを観察する。
寺院には巡礼や礼拝に訪れる人がいるので、人の流れは途切れることはなかった。
バルタが近くを通りかかった。
「なにかわかりましたかね」
「さっぱりやね。どこかにヒントがあるとは思うんやけど、思いつかん。猊下が来てから変ったことってある」
バルタは弱った顔をして肩を竦める。
「型破りな方ですから、細かい点をあげれば限がないですよ。前教皇とは考え方も違えば、食べ物の好みも違う。格式と前例に囚われない。大部分は頭痛の種ですが」
「そうか大変やね」
バルタと別れてから、忙しい時間帯をずらして厨房に行った。
「教皇がマキシマムはんに代わってから、教皇庁の料理って変わった?」
「変ったよ。一番の変更点は、チーズだな。猊下はチーズがお好きだ。特に、クリーム・チーズが大好きさ。なので、マキシマム様に代わってから、ミルク村のチーズ工房から毎日、届けてもらっているよ。クリーム・チーズは日持ちしないからね」
(まさかと思うが、これか)
おっちゃんは市場で芋と籠を買う。料理人用の服も揃える。
翌日、おっちゃんは早起きする。まだ、夜が明けていないうちから、厨房に行った。
「すんまへん、料理長。調理場の隅を貸して。芋の皮剥きがしたいんよ。猊下の命令や」
料理長は愛想よく認めてくれた。
「本当に変った仕事をさせる人だね。猊下の命令ならいいよ、やりな」
おっちゃんは調理場の片隅で芋を剥きながら、時間を潰した。
朝の理場では二十人以上の人間が料理を作っている。
おっちゃんは調理場に調理人として溶け込んだ。
朝の調理場は忙しく、おっちゃんを気にする人は誰もいない。
「クリーム・チーズを届けに来ました」と、調理場にチーズの配達人が入ってきた。
芋を剥きながら、人の流れを観察した。
一人の料理人がチーズの配達人に近づく。料理人がクリーム・チーズの入った容器を受け取る。
空の容器を受け渡す時に、何かメモのような物を渡した。チーズの配達人がメモを無言でポケットに入れる。
「おい、ちょっと待て」
おっちゃんは大声を上げた。全員の視線がおっちゃんに集まった。おっちゃんは立ち上がって、チーズの配達人に猛然と向かっていく。
チーズの配達人が逃げ出した。チーズの配達人は走っていく。
「捕まえてくれ! 泥棒や」
おっちゃんは声を上げながら追った。
二人の屈強な巡回の兵士が通りかかった。巡回の兵士の一人がチーズの配達人に飛び着いた。
チーズの配達人はひらりと躱す。もう一人の巡回兵がタックルをし、チーズの配達人が転倒した。
おっちゃんは後ろから跳びついて首を絞めた。チーズの配達人はもがいていたが、気を失った。
おっちゃんはチーズの配達人のポケットを探った。すると、メモが出てきた。
メモには小さな字で、暗号のようなものが書いてあった。
巡回兵士が異常を知らせる笛を吹いた。騒ぎを聞き付けて聖騎士が駆けつけてきた。
「急いでバルタ聖騎士団長を呼んでくれ、『聖なる鉄鎚』の尻尾を捕まえた」
おっちゃんはチーズの配達人を引き渡すと、急いで厨房に戻った。
チーズの配達人にメモを渡した料理人が、顔面蒼白で立っていた。
「一緒に来てもらうで」
現場に戻ると、聖騎士がチーズの配達人を引っ立てるとこだった。
バルタに料理人を引き渡し、メモを提示する。
「この料理人が、チーズの配達人に渡したメモや。なんか暗号が書いてある。調べてや」
バルタはメモを受け取ると、料理人もチーズ配達人と一緒に連れて行った。
マキシマムが朝食の時にバルタが報告する。
「チーズの配達人になって出入りしていた『聖なる鉄鎚』のメンバーを、おっちゃんが捕まえました」
マキシマムは不機嫌な顔で尋ねた。
「容疑者は、どうしている。自白したか」
バルタが真剣な顔で報を続ける。
「容疑者は黙秘を貫いています。容疑者にメモを渡した料理人については、僧侶の一人から受け取ったメモを仲介しただけ、との供述です。僧侶の特定にはいたっておりません。メモの暗号は、ただ今、解読中です」
マキシマムが不機嫌な顔で命ずる。
「俺のお気に入りのクリーム・チーズが食卓に並んでない理由は理解した。容疑者が自害しないように注意を払い、引き続き捜査を続けてくれ」




