第百十五夜 おっちゃんと新しい職場
おっちゃんは仕事のない時は暇を貰って、エルドラカンドの町をひたすら歩いた。大通りから裏路地まで、とにかく歩いて土地鑑を付ける。
(何事も足で覚えるのが基本や、ダンジョン勤務は足が命やからな)
昨日と今日では認識が違った。昨日までは街としてエルドラカンドを見ていた。だが、今日からはダンジョンとして見ていた。
ダンジョンなら隈なく歩いて、どこに何があるのかを確認しておかないと気が済まなかった。一種の職業病だ。
抜け道を一本でも把握し忘れると、ダンジョンでは大きな事故に繋がる。
エルドラカンドを攻略しに来る冒険者はいないかもしれない。だが、いるかもしれない。攻略者が現れてから対応したのでは遅い。
「冒険者は五十㎝の隙間もあれば入ってくる」はダンジョンの格言だ。
可能性が有る以上は、ダンジョン・モンスターなら常に危険性は頭に入れておかねばならない。そうしないと、自分の身も守れなければダンジョン・マスターも守れない。
教皇への見方も変えた。教皇は人間の立派な偉い人ではない。エルドラカンドと呼ばれるダンジョンの、ダンジョン・マスターである。相手がダンジョン・マスターなら無理を言う事態もあれば、気紛れもある。おかしな命令もする。
ダンジョン・マスターの小姓である以上、要求には、できるだけ応えなければならない。
「こんにちは。いいお天気ですね。猊下の小姓になりました、おっちゃんです。よろしゅう、お頼み申します」
街の人間にはできるだけ声を掛ける。必要と有らば世間話もする。街にいる人間に他人はいない。
街の人間は、エルドラカンド・ダンジョンを支える他部署の人間だ。お世話する場合もあれば、世話になる状況もある。ダンジョン勤務とは、そういう仕事だ。
肩書きは関係ない。新参者は腰が低くて当然。でないと古参と余計な軋轢を生む。古参はこれまでダンジョンを支えてきた人間だ、邪険にしていいはずがない。
「新規を苛めるとダンジョンが衰退し、古参を蔑ろにするとダンジョンは傾く」これもダンジョンの格言だ。
ギルド・マスターと街の顔役は、できるだけ顔と名前を覚えた。部署の長と仲良くなっておいたほうが、何かと便利だ。融通も利く。それに、挨拶するだけならタダだ。
十日間が過ぎた。朝食時に教皇から話し掛けてきた。
マキシマムがクリームチーズ・タルトを抓みながら自然な表情で話し掛けてくる。
「随分と積極的に町を歩いて人と交流を持っているな。エルドラカンドが気に入ったか」
「ええ町ですな。大通りが整備されていて、利便性が良い。それなのに、門を二箇所、閉めただけで侵入も撤退もえらく難しくなる、計算された造りですわ。それに、街の人間も穏やかで、おおらか、それでいて規律が取れている。いざとなったら頼れる存在ですわ」
マキシマムが明るい顔で命じた。
「気に入ってくれると嬉しいな。この後、一つ仕事を頼んでいいか」
「教皇印を押すんでも、草毟りでも、なんなりとお申し付けください。気分良くやらせてもらいます」
「ここに来たときと、反応が違うな。前なら、教皇印を押す仕事は教皇の役割だと断っていただろう」
「猊下は忙しい人ですから、猊下にしかできない仕事をしたらええだけです。そんでもって息抜きしたくなったら、したらよろしい。面倒な仕事ばかり押し付けられても、困ります。ですが、たいていの仕事は任せてもらえればどうにかしますわ」
マキシマムがニコニコしながら頼む。
「そうか、木の札を購入してきてくれ、護符を作りたいんだ。必要な魔法は俺が掛ける」
「ご自宅用ですか? 贈答用ですか? それとも、販売用ですか?」
「販売用だ。俺が神の力で護符を作るから、完成したら街で捌いてきてくれ。デザインは任せる。あと、護符の販売は、何より俺のためでもある。わかるか、おっちゃん」
遠回しな言い方だが、おっちゃんには伝わった。おっちゃんはマキシマムがトラップ・カードを作りたいのだと理解した。
トラップ・カードとは、予め魔法を掛けておき、条件を満たすと魔法が発動するカードだった。
トラップ・カードは高位の魔術師でも作るのは難しい。だが、ダンジョン・コアの力を使えば二百枚とて容易にできる。
(街中にトラップらしいトラップがない。大掛かりな物は街の人に迷惑を掛けるやろうから、トラップ・カードは、ちょうどええかもしれん。トラップ・カードを新たに設置する事態から推測するに、マキシマムはんの身に危険が迫っているのかもしれんね)
「では、街と猊下の安全を願って作らせてもらいます」
マキシマムが鷹揚に構えて発言する。
「良きに計らえ」
食事が終わると、おっちゃんは木工ギルドへ足を運んだ。
「親方、おはようございます。ちと、売って欲しいものがあるんよ。玄関に提げるタイプの護符を作ろうと思ってな。適当な大きさの木を切って売ってや。個数はとりあえず二百個」
親方はすぐに木を切って、厚さ三㎝、縦十五㎝、横五㎝の木の札を作ってくれた。
おっちゃんは木の札を持って鍛冶ギルドに行く。
「親方、こんにちは。木の札に押すための焼き印を作って。魔除けの護符用や。それらしいデザインで頼むで。教皇庁で使っているのと、デザインが被らなければええよ」
「わかった。なんか、それらしいの作っておくから夕方にでも取りにきてくれ」
最後に染色ギルドに行く。
「親方、こんにちは。焼き印を押した木の札に塗る塗料を売って。木の札は玄関に飾る予定やから、雨に強いのを頼むわ」
塗料を買って寺院に運ぶ。夕方に焼き印を買ってきた。
翌朝、庭の空いている場所で火を熾して、焼き印を木に押して行く。模様が入ったところで、塗料を塗った。
作業をしていると、僧侶がやって来た。僧侶は浮かない顔で訊いてきた。
「おっちゃんさん、何をしているのですか。まさか、その札を街で売る気ですか」
「そうなるね。猊下の命令やから」
僧侶は険しい顔で非難した。
「いけません。教皇庁で扱う聖なる力が込められた品は。きちんと検定を通ったものしか売ってはいけない決まりになっています。でないと、教皇庁のお墨付きを語った粗悪品が市場に溢れます」
「そらなら、問題ありません。非公式品として売ります。お金儲けが目的ではないです。後、中止させたかったら、猊下と直接お話しください。おっちゃんは猊下の命令で動くだけですから」
僧侶は他にも色々言ったが、おっちゃんは作業を続けた。僧侶は何を言っても無駄と思ったのか、やがて立ち去った。
木札を仕上げると、マキシマムに渡した。夜にマキシマムから木の札を受け取った。
おっちゃんは戻ってきた木の札を手にとって確認する。一目でわかった。
(うん。この感触はトラップ・カードやね。詳しい中身はわからんけど、捕縛系の魔法やね)
おっちゃんは翌日、木の札に偽装したトラップ・カードを売りに街に出た。
街の要所にある家を訪ね歩いた。
「教皇庁非公式の魔除けを買っていただけないでしょうか。玄関ドアの外に掛けるタイプです。一個が銅貨二十枚ですがお願いできませんか」
「銅貨二十枚なら」と、街の人間は付き合いと割り切って大半が買ってくれた。
おっちゃんは買ってもらった家には、忘れないうちにトラップ・カードを飾る。
半分を売ったところで、個人宅に売るのは中止した。侵入者がいた場合は通るであろう場所にも、トラップを設置しておく。
「目立つ家の玄関にあれば、こうして路地の壁にあっても、魔除けや思うて街の人は気にせんやろう」
二百枚のトラップ・カードを、おっちゃんは街に設置した。設置が終わった時には夕方だった。
夕食を摂りに戻った。食事をしていると、疲れた顔のマキシマムがやって来る。
「おっちゃん、一緒に食事にしよう。それで、どうだ? 護符の売れ行き。全部、売れたか」
「半分しか売れませんでした。売れんかった分については、それとなく目立たない場所に設置しておきました。御利益はあると思いますよ」
マキシマムが満足気な顔で発言する。
「目立たない場所か。ならばよい。売上金は好きに使え」




