第百十三夜 おっちゃんと聖なる街(前編)
おっちゃんたち一行は『デドラ湿原』を後にした。一行は最寄りの村から馬で聖都エルドラカンドに向かった。
四日後、長閑な田園地帯を抜けて丘を越える。平野に広がる円形の街が見えてきた。この国の聖都エルドラカンドだった。エルドラカンドは人口二万五千人の大きな街だった。
街には背が低く厚い城壁が同心円状に配置されていた。城壁の外側には民家が立ち並び、畑が広がっていた。
街の中心には教皇庁が入る大寺院が見える。大寺院は敷地の周囲が六㎞。高さは三十mあった。街の中を大きな川が南北に貫いている。エルドラカンドには冒険者ギルドはない。
一行は正門に到着した。青い服を着た衛兵が敬礼の姿勢を取った。
「お帰りなさいませ、猊下。バルタ聖騎士団長」
衛兵がマキシマムとバルタに声を懸ける。その後、続くおっちゃんをさも怪しそうに観察した。
(見とる。めっちゃ、見とる。怪しむ空気抜群や。止むを得ないね。衛兵さんは怪しむのが仕事やからね)
マキシマムが温和に口調で命令する。
「新しく俺が召抱えた小姓の、おっちゃんだ。顔を覚えておいてくれ」
「はい」と衛兵が答えると、おっちゃんの顔を、じっと凝視する。
(馬鹿正直で、やりづらいな。この街の衛兵って、皆こんなんやろうか)
他の衛兵がラッパを吹いた。ラッパが高らかに鳴った。
門の近くにいた衛兵が整列してマキシマムを迎え入れた。
(こうした待遇を見ると、マキシマムはんがつくづく教皇やとわかる。こうでもされんと実感が湧かんけどね)
一行はそのまま大通りを通って大寺院に向かった。
大人たちはマキシマムを見ると足をとめ「こんにちは猊下」と頭を下げる。小さな子供はマキシマムに手を振った。
(マキシマムはん街の人間に人気やな。街の人間に人気があるんやから、マキシマムはんは悪い人ではないんやろうな。まあ、多少「うん?」と思う言語や行動があるけどね)
内門に到達した。内門を潜ると、青い僧衣を纏った集団が待っていた。
「猊下この書類に決裁をお願いします」「いえ、まず先に道具に聖なる力の付与と認証を」「蘇生待ちの信徒をお救いください」「領主からの種類のお目通りが先です」「宗教裁判の書類が溜まっています」「聖騎士の審査をお願いします」「各寺院から報告書を見てください」
僧侶たちが「こちらを先に」と、しきりにアピールする。
群がる僧侶の集団を見て、マキシマムがうんざりした顔をする。
バルタがツンと澄ました表情で突き放すように口にする。
「いたしかたありませんな。十日間も教皇庁を空ける猊下が悪うございます」
マキシマムがおっちゃんのほうを振り返った。
「なあ、おっちゃん、まず何をするべきだと思う」
「とりあえず、風呂に入って飯を喰うたらいいんとちゃいますか」
マキシマムが晴れやかな顔で同意した。
「さすがは、俺の小姓だ。俺と同意見だ。仕事は後だ。まず、風呂と飯の用意をしてくれ」
おっちゃんが別れようとすると、マキシマムが口を出した。
「おい、どこに行くんだ。風呂はこっちだぞ」
「一緒に入っても、ええんですか。おっちゃんは、小姓でっせ」
「トイレと寝る時以外は、俺の傍にいろ。そのほうが色々と、用を申し付け易い」
マキシム、バルタ、おっちゃんは風呂に入ってから食堂に行く。
茸とチーズのリゾットと、川魚を焼いた料理が出てきた。おっちゃんとバルタにも同じものが振舞われた。
(あれ、小姓が同じ物を一緒に喰うてもええのか。こういうことで待遇が同じなのも珍しいな。悪い気はせんけど)
料理人が申し訳なさそうに発言する。
「申し訳ありません。猊下。とりあえず、材料が乏しく、こんな物しか用意できませんでした」
マキシマムは気にした様子もなく答える。
「構わんよ。ここのリゾットは気に入っている。毎日でも食べたいくらいだ」
「そう猊下に仰っていただけると光栄です」
食事をしていると、一人の僧侶が入ってきて怖い顔で告げる。
「猊下、食べながらでいいので聞いてください。ご報告したい懸案とご判断いただきたい事案が山積みです」
僧侶は充て付けるように辛辣な言葉を続ける。
「もう、私の胃が痛くなるほど、残っています。大司教にも急かされて困っています。悩める信徒をお救いください」
マキシマムが不機嫌な顔で答える。
「飯ぐらいゆっくり喰わせて欲しいものだが、いいだろう、報告しろ」
僧衣の男性が、おっちゃんを不審者でも見るような顔で見た。
(まあ、当然やね。おっちゃん、どう見ても、部外者やからね)
マキシマムが不機嫌な顔で告げる。
「その男は、おっちゃんだ。俺が小姓として旅先で雇った。気にせずに報告しろ」
「はい」と僧侶が不承不承な顔で報告する。
食事中の僧侶の報告は続いた。食後の紅茶が出てきても報告は終わらなかった。
マキシマムがいったん手で僧侶の報告を遮った。
「おっちゃん、これまでの報告どう思う。忌憚なく意見を述べろ」
おっちゃんは正直に、思ったことを口にした。
「一件目の見積もりですが、金額がおかしいちゃいますか。もっと安うなります。四件目の裁判は証拠がもう少しほしいですな。貴族の離婚の件は裁判長に任せたらええ。あと、六件目の聖職者の汚職について、これは白やなくて、黒ですわ」
横から口を出すと、報告をしていた僧侶が露骨に嫌な顔をした。
(気持ちはわかる。だけど、これもおっちゃんの仕事やし、猊下の意思やからね堪忍してや)
マキシマムの態度は僧侶と正反対だった。マキシマムは満足気な顔で頷いてから、口にする。
「俺もだいたい同じような意見だ。よし、侍従長、教皇印を持ってこい。問題のない書類に印を押してやろう」
食堂に控えていた侍従長が教皇印を持ってきた。
僧侶が書類をマキシマムの前に置いた。
マキシマムがおっちゃんの前に印と書類を置き、気楽な声で頼む。
「おっちゃん、俺は仮眠を摂るから書類に教皇印を押しておいてくれ。あとはよろしく頼む」
(えっ、おっちゃんが教皇印を押すの? そんなんして、ええの? なんか、ダメな気がするけど)
侍従長と僧侶は目を剥いた。侍従長と僧侶がなにか言いたげに、バルタを見たが、
バルタは、ただ肩を竦めるだけだった。
マキシマムの私室に移動する。おっちゃんは寝室の前にあるリビングにあるイスに腰掛けた。
おっちゃんは印を押す前に書類を、もう一度、確認する。
報告書に印を押すもの、押さない物、マキシマムの判断を仰ぐものに分ける。
(押印しろと言われたけど、馬鹿正直に判を捺すわけにはいかんからな。きちんと頭で判断せな、他の人間が困る)
仕分けと押印が終わる頃に、マキシマムは起きてきた。
「どうだ、おっちゃん押印が終わったか」
「必要な物は押しました。ただ、押さないほうがええものと、猊下の判断が必要ある物が出てきましたので、確認お願いします」
マキシマムは書類を纏める。マキシマムが自分用の大きな椅子に腰掛けて書類を確認する。
マキシマムが軽い調子で尋ねる。
「おっちゃんは、こういう仕事は初めてじゃないな、どこかの役所で働いていたのか?」
「ええ、まあ」とだけ簡単に答える。おっちゃんは、元ダンジョンのモンスターだった。管理職経験もあった。
ダンジョンには冒険者が日々、大量にやって来る。冒険者は問題を起こすのが仕事だ。そんな冒険者を相手にしていると報告事項が山と出る。
だが、全てを報告していれば上司の仕事はパンクする。現場も仕事にならない。ダンジョンの管理職には仕事の切り分け能力が必須だった。
どこまで報告するのか。上司の判断を必要とするのか。報告しないのか。現場で解決していいのか。
判断する訓練をおっちゃんは常に受けてきた。一種のオン・ザ・ジョブ・トレーニングだ。
マキシマムは明るい顔で指示する。
「よし、おっちゃん、残っている仕事の切り分けをやっておいてくれ。おっちゃんが問題ないと思った案件は、教皇印を押してよい。俺が許可する」
部屋にいたバルタは眉を顰めた。マキシマムは気にしない。
「そんなん、小姓の仕事やないやん。教皇の仕事や」
「いいから、いいから」とマキシマムは、おっちゃんの肩を軽く叩く。
マキシマムは侍従長に書類を持って来させて、おっちゃんに渡した。