第百七夜 おっちゃんと領主の決断
翌日には、フルカンは牢から出された。されど、おっちゃんは牢から出されなかった。
おっちゃんの牢の前を通り過ぎる時にフルカンは謝った。
「すまない。すぐに牢から出してもらえるよう、掛け合ってみる」
「別に、ええよ。冒険者をやってりゃ牢に入る状況もある。こんな場所でも住めば都や。それに、ここにいたほうが安全かもしれんしな」
おっちゃんには予感めいたものがあった。
(作戦を中止したのなら、フルカンを牢から出すのが早すぎる。おそらく、作戦を続行したんやろう。『無能王アイゼン』を怒らせたら洒落にならんで)
牢屋暮らしは快適とはいかなかった。だが、飯が意外と美味かったので、それほど苦にならなかった。
おっちゃんは昔を思い出す。
(そういえば、昔あったな。誰も来ないダンジョンの一室で一人でずっと待機させられた。壁だけを見て過ごした一ヶ月。あのときの飯の不味さは、忘れられんわ。あん時に比べれば、天国やで)
十日後にフルカンが迎えに来て、怖い顔で告げる。
「迎えに来るのが遅れて、すまない。バサラカンドが大変な事態になった。まず、見てくれ」
おっちゃんはフルカンの後に従いて宮殿の中を歩いた。宮殿の中には緊迫した空気があった。
フルカンは王宮にある見張り台まで、おっちゃんを連れて行く。バサラカンドの街の前に布陣する黒い塊が見えた。
「あれは何?」
フルカンがおっかない顔で深刻さを滲ませて告げた。
「『無能王アイゼン』の木乃伊軍団だ。その数、六万」
「六万いうたら、街の人間より多いね。ちなみに、街にいる兵力ってなんぼ」
「城の兵士は五千人だ」
「兵力差は十倍以上か。これ、下手したら、明日にも城が落ちるで。それで、なんで、おっちゃんを牢から出したん。牢の中のほうが安全やと思うけど」
フルカンが非常に言い辛そうに切り出した。
「こんな言葉を言えた義理ではないのは、わかっている。おっちゃん、和睦の使者をやってくれ」
「おっちゃんの警告を無視。牢に放り込んだ挙句に和睦の使者やってて、虫が良すぎるやろう。諦める気はないの」
「事態がここに至った経緯は全てマフズの言いなりになったユーミット閣下の責任がある。街の人間には責任があると思えない。けれども、このままでは、まず、街の人間が犠牲になる。それだけは避けたいんだ」
フルカンは、おっちゃんから一歩さっと距離を取り、地面に臥して願い出た。
「頼む。おっちゃん、バサラカンドを救ってくれ」
フルカンが頭を下げると見張り台にいた兵士たちも同じように平伏し、懇願した。
「お願いします。街を救ってください」
「とりあえず、風呂に入れてくれるか。この格好だと使者に行くにしても格好がつかん」
おっちゃんは五十人は入れるような大浴場に通された。
大浴場には先客がいて、ユーミットだった。ユーミットは湯船に浸かっていた。
おっちゃんは気にせず、髭を剃り、頭を洗う。
ユーミットがおずおずと尋ねてくる。
「余のした仕打ちを怒っているのか、おっちゃんよ」
おっちゃんは、頭を洗いながら答えた。
「そりゃ、牢に入られた状況を喜ぶものはおりません。せやけど、そんな昔のことはもう忘れましたわ。おっちゃんは常に未来志向の人間ですねん」
ユーミットの不安そうな声が聞こえてくる。
「そうか。おっちゃんは、強いのだな。余はこれからどうなるのだろう」
おっちゃんは直に思っている内容を話した。
「これからどうなるか、皆が心配していると思いますよ。しかも、大多数の人間は自分がやったミスやないのに、こんな危険な状態に置かれとる。めっぽう領主様を恨んでいるんと違いますか」
ユーミットが不安も露に大きな声で訊いてきた。
「どうしたら良いのだろう」
「おっちゃんに意見を聞いても無駄ですやろう。どうせ、おっちゃんが何を言っても、最終的はマフズはんの言うとおりにする。結果が、この状況に陥ってもですわ」
ユーミットは消え入りそうな声で話す。
「余には味方がいないのだ。親族しか頼る者がいない」
(祖父、父と死に、義理の母に殺されそうになる。同情はできる。だが、即位した以上、ユーミットはんは組織の頭や。甘えは許されん。耳に痛い話でもせんわけにはいかん)
「でもな、それはユーミットはんの責任です。味方は黙っていて増えるものではありません。増やそう思っても容易には増えません。決断して行動して増やしていくもんです」
振り向くと、ユーミットは寂しげに微笑む。
「そうか。どうしたらよいと、訊くものではないな。おっちゃんよ、頼みがある、和睦の使者を引き受けてくれまいか」
「ええですよ。ただし、間違ごうたらいかんよ。おっちゃんはユーミットはんのために引き受けるのではありません。今までお世話になった街の人のために引き受けるんです。冒険者やて、独りで生きているわけやありませんから」
ユーミットが目を閉じて決意の篭った声を出した。
「わかった。余も支えてくれた領民のために、決断する領主になる」