第百夜 おっちゃんと傭兵団長
砂嵐は三日間に亘って続いた。一般の人が酒場に入ってきて、噂話をする。
「聞いたか、『ガルダマル教団』の呪い。ハガン様が解いたって話。砂避けの宝珠が復活したってよ」
「俺は世継ぎのエルバン殿下がお供を連れて『黄金の宮殿』に砂避けの宝珠を取りに行った、って話を聞いたよ。エルバン様はスレイマン様の再来かもしれない」
(ほんまに、ここの権力者は世間体とか体面を気にするの。まあ、そのほうが、おっちゃんにとったら、ええんやけどね)
民衆は砂避けの宝珠が復活した事態を直に喜んでいた。
飲料の値段も落ち着きつつあった。取水制限も解除されるとの触れが出ていた。街は淡い期待で溢れていた。
だが、喜びは長くは続かなかった。翌日は良くない噂が冒険者の店に流れた。
「商隊の護衛をしていたんだが、イブリルを見たぜ。危なかった」
「お前も見たのか。俺んとこの商隊も見たぜ」
おっちゃんが酒場で、冒険者の噂話を聞いていた。
イブリルを見た、の話で持ちきりだった。
酒場に地図屋のヒュセインが来ていた。ヒュセインが暗い顔で教えてくれた。
「災厄の年なのかもしれん」
「何がや」と聞くと、ヒュセインがぼそぼそと語り出す。
「イブリルは百年周期で異常発生する。今年が、その年じゃよ。今年は、スレイマン様がイブリルの脅威から街を救って、二百年じゃ」
「百年前は、どうしたん」
ヒュセインが暗い顔のまま首を振り、苦しそうな声で教えてくれた。
「百年前は英雄と呼べる存在がいなかった。おかげで商隊が襲われ、街には物が入らず、商いが滞った。商業都市のバサラカンドは廃墟寸前まで追い込まれたと、祖父から聞いた」
「そんな昔話があるんやな」
ヒュセインが残っていたエールを一気に呷る。
「百年に一度、訪れる災厄の年を乗り切るには英雄が必要なんじゃ。だが、今のバサラカンドには英雄はおらん」
ヒュセインはエールを飲むと立ち去った。冒険者ギルドの掲示板にエミネが依頼票を貼った。
内容はイブリル討伐だった。報酬は一頭を討伐して金貨が二十枚。イブリルは素材を売れば、さらに金貨五十枚が手に入る。
イブリルをよく知らない冒険者は依頼を受けた。依頼を受けた冒険者は、良くて怪我をして帰ってくる。悪ければ、行方不明となった。
イブリルを知る冒険者は簡単に依頼を受けなかった。イブリルを狩れる実力のある冒険者は、一角千金を目指して『黄金の宮殿』に行っていた。結果、未達成の依頼票が掲示板に増えていった。
ある朝、おっちゃんが掲示板を確認すると、イブリル討伐関連の依頼票が根こそぎなくなっていた。
エミネを捕まえて訊いた。
「エミネはん、イブリル関連の依頼がないんやけど、どうしたん。依頼の取り下げ」
エミネが晴れ晴れとした顔で教えてくれた。
「受任する集団が現れたんです。対モンスター用の傭兵団の『暁の狩人』ですよ。彼らがイブリルを狩るんですよ」
『暁の狩人』は聞いた覚えがあった。三十人からの集団で、主に対大型モンスターに特化した傭兵集団だった。評判では腕はいいらしい。
『暁の狩人』がバサラカンドに来てから、流れが変わった。対大型モンスターの専門集団だけあって出かければ『暁の狩人』は、必ず獲物を捕って帰ってきた。
貴重なイブリル素材が提供されると、市場は潤った。襲われる商隊も減り、商いは活発になった。おっちゃんは、ほっとした。
(今回は、おっちゃんの出番はなしやな。そう毎度毎度、働いていられるか)
おっちゃんは、ニコニコしながら過ごした。
日を追うごとに『暁の狩人』の評判は上がっていった。
ある日、おっちゃんを訪ねてくる人があった。年齢は三十代くらい、黒髪で黒い瞳をしていた。肌は日焼けしており、身長は少し低めだが、引き締まった体をしている。
平服だが、腰には剣を佩いている。熟練の剣士のように背筋を伸ばし、険しい目つきは常に周囲から油断なく情報を拾っているようだった。
剣士がおっちゃんに深刻な表情で声を掛ける。
「ちょっといいか、重大な話がある」
(初めて見る顔やな。おっちゃんに何の用やろう。さっぱり見当が付かんで。でも、切羽詰っとる感じが出とる)
おっちゃんは剣士と一緒に、密談スペースに移動した。
席に着くと、剣士が難しい顔をして挨拶をしてきた。
「『暁の狩人』で団長をしている。カリムだ。『暁の狩人』は、知っているだろうか」
「わいは、おっちゃんや。『暁の狩人』は知っとるで。大した活躍やそうやね。連戦連勝やて、街の皆が感謝している」
カリムが苦い顔をして、辛そうに発言する。
「俺たちはやりすぎた。結果、俺の名声を妬んだ領主のハガンに目を付けられた。ハガンは、俺が領主の地位を狙っているとさえ思っている」
「街のために働いたのに。えらい災難やな。早く街から去ったほうがええで」
「残念だが、まだ契約が残っている。契約期間中に街を去れば、契約違反になる。あと、十日間は、街から去れない」
「傭兵も楽じゃないのー」
「ハガンは『暁の狩人』に『ガルダマル教団』への攻撃を命じた。契約の範囲外の仕事なので断ってもいい。だが、断っても次の難題が降ってくる事態は目に見えている」
「それは、そうやろうな。ハガンにしてみれば、いいがかり付けてもっと面倒な仕事やらそう思うはずや」
カリムが困った表情をして、頼んできた。
「そこでだ、おっちゃんにお願いがある。俺たちを領地の外に逃がしてくれ」
「え、なんで」が正直な感想だった。
「フルカンに聞いたんだ。困った時は、おっちゃんを頼れ、と。おっちゃんは知恵者の北方賢者の知り合いだそうだな。頼む北方賢者に相談して知恵を借りてきてくれ」
(フルカンめ、おっちゃんを便利に使いよって。おっちゃんは何でも屋やないぞ)
おっちゃんがすぐに「うん」と答えないと、カリムが頭を下げて「頼む」とだけ短くお願いした。余計な問題に首を突っ込まないほうが、楽できるのはわかっている。
だが、街の人の役に立ったカリムが領主の嫉妬で命を落としでもしたら、寝覚めが悪い。
『暁の狩人』は金のためにバサラカンドに来たかもしれない。だが、大勢の街の人間が助かった状況は事実だ。
「あのなあ、北方賢者さんに動いてもらってもええけど、傭兵団の評判は下がるかもしれんよ。あと、費用も掛かるかもしれん」
「評判が落ちるくらいなら、いい。このままだと、団員全員が殺されかねない」
カリムの顔をじっと見た。カリムの話に嘘はなさそうだった。
「わかった。やってみるよ。だから、とりあえず『ガルダマル教団』討伐を断らんといて。じゃあ、明日の夜にもう一度ここに来てや」
「ありがとう、おっちゃん」とカリムは深々と頭を下げて退出した。
おっちゃんは誰かれ構わず「フルカンを見なかったか。急ぎの用があるんよ」と探した。
誰もフルカンの行方を知らなかった。だが、深夜になると酒場にフルカンが現れた。
「どうした。おっちゃん、俺を探していたらしいな」
おっちゃんは密談スペースにフルカンを誘った。
「カリムがここに来たけど、カリムの言っている話は本当。嘘を言って騙している可能性ないか」
「カリムの話は、本当だ。おれが保証する。領主のハガンは放っておけば、カリムを暗殺するつもりだ。まだ、案の段階だが『月下の刃』にカリム暗殺の話を持ってきている」
「なるほど。けっこう、危ないところまで来ているんやな」
裏は取れた。おっちゃんは、フルカンと別れた。