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進軍の第一歩

 一話から戦闘シーンです。やはり戦闘シーンは難しいですね。

 もっと上手くなりたいものです。


 追記:魔法の詳細説明はもうちょっと後になります。あと五話以内には説明入れたいです。


 2016/8/3 22:15 一次修正

  同日   22:28 二次修正

 赤い部屋だった。

 残骸の転がる部屋だ。

 無数の命が散った部屋だ。

「流石は人間の最高戦力である姫巫女の一人。よもや全滅しているとは思いませんでした」

 言葉は入り口から。

 入ってきたのはメガネをかけた青年。黒……いや、深い藍色の髪、整った顔立ち、スラっとした体系、黒を基調とした魔王軍服。……そして、それらによる印象を裏返す、背後に従えた触手。

 彼の背後にあるのは彼の身長ほどの直径がある魔法陣だ。その魔法陣から、ヌメヌメとした気味の悪い触手が八本伸びている。

 伸びた触手の先には人間。一人に対して二本ずつ絡みつき、四人の人間を拘束している。女の兵士一人と男の兵士三人だ。それぞれ一本が胴体に巻きつき、先端の細いもう一本が首に巻き付いている。

「魔王軍最高幹部の一人、“邪法賢者”デリウスか。なるほど、今回の魔物が異常に強かったのは、貴様が指揮していたためだな」

 デリウスと呼ばれた男に向き合うのは少女。元は白かったであろう髪と服を真っ赤に染めた少女だ。巫女と呼ばれただけあって、服も装飾も美しく、そして神秘的だ。いや、美しく神秘的だっただろう。それらの服装も見る影もなく、赤く、ねっとりと汚れている。だが、それほど凄惨な姿にもかかわらず、美しく輝くものが右手に握られていた。彼女の纏う何よりも神秘的な剣だ。その剣には一切、汚れも曇りもない。

「嫌味ですか? こちらはそちらの五倍の数で、しかも魔力散逸の広域術式や新型魔法武器などかなりの準備をして仕掛けたというのに……ほぼ壊滅させられてしまった。通常時ならこちらが撤退しているレベルだ」

 言葉通り、魔王軍は多くの準備をして戦いを仕掛けた。特に大きいのは巫女姫の住む宮廷都市全域を覆う広域術式だ。範囲内の魔力の結合を弱め、術式の構成難易度と魔力消耗速度を上げる魔力散逸術式。仕掛けた側にも影響があるものの、全軍が魔法戦士で構成される巫女姫の近衛は、魔王軍よりも甚大な影響を受けていた。当然ながら、このときのために用意された魔王軍の装備に専用の対策が施されていることも、その差を助長した。

「そちらこそ嫌味か。私達姫巫女は一騎当千だ。そうでなくてはならない。そしてその配下たる護衛団には最低でも十人力、高位の者なら百人力の力が求められる。本来、たかが五倍の敵に壊滅させられるわけにはいかないのだ」

 対する巫女姫の側も言葉通り。人類……人間族最強のちからを持つ巫女姫。その力はまさに一騎当千だ。配下も周辺国から選びぬかれた精鋭を、更に鍛え上げた精鋭中の精鋭である。

 互いに自嘲を浮かべつつ語る。語る間に身構える。

 デリウスの周囲に浮かび上がる魔法陣。魔力を感じ取ることのできるものならばわかるだろう。空中に魔力そのもので描かれた魔法陣、そこに流れ込む魔力、そのおぞましさが。

「さて一応、名乗らせていただきましょう。この二つ名は正直言って嫌いなのですが……“邪法賢者”デリウスです。魔王様の命により、貴方を捕らえます。そして一応勧告します。後ろの四人……近衛騎士団の中でも、貴女に特に近い隊長格の四人。彼らの命が惜しければ、おとなしく捕まってください」

 言い終わるとほぼ同時、周囲の魔法陣の中心から、背後の物と同様の触手が蠢き出る。

 対する少女は――

「……普段なら名乗るまでもなく切り捨てるところだが、私た……いや、私をここまで追い込んだことに敬意を表して、名乗ろう。我は人類の守護者、第四の姫巫女“天風姫”アルシェ。先の勧告への回答は当然拒否だ」

 アルシェと名乗った少女は剣を構える。右足前の半身、左腰から後方へ剣先を流した構え。重心は低く、高まる魔力は力強く、背後からは魔力に呼応した追い風が吹く。

 睨み合う二人。

 緊張の、糸、


 張る。


 動かない。

 風の音だけが、変わらず響く。

 いや、変わらずではない、高まる。段々と。

 風の音が、高まる。

「……くっ」

 高まった風に、一瞬だけデリウスが身じろぎ、顔を背けた。

 それが、契機だった。


 ズダン!

 ミシィ!


 先に響いたのは、踏み込み。

 続くのは、鎧が軋む音。

「あぐぁ」

 男の苦悶。響いたのはデリウスの後方、宙空。右端の一人。


 ザッ!


「くっ」

 小さな声と共に、既にデリウスの後方へとまわりこもうとしていた足が止まる。

 身じろいでいたデリウスが、そちらへと顔を向ける。未だ距離はあるが、アルシェの想定以上の速度に、焦りを隠せない。

「断った割に、案外優しいのですね」

 ミシリ……

「グッ」

 再び呻く男。

 アルシェの眼光は鋭さを増す。だが、動けない。

 デリウスはアルシェに体を向け直し、人質を今の背後宙空へと移動、形の上では完全に仕切りなおす。

「流石は魔王軍幹部、卑劣だな」

「卑劣で結構……こちらは絶対に貴女を手に入れなければならない。どんな手でも使いますよ。……さて、再度勧告します。彼らの命が惜しければ、戦闘行為をやめて、我らが軍門に下ってください」

 デリウスは表情を変えずに告げる。だが、続いた声はデリウスのものでもアルシェのものでもなかった。

「アルシェ様ぁ! 我々の事は見捨ててください! 貴女は! 貴女の価値は! ここにいる全員どころか、一つの国よりも重い!」

 先程苦悶の声を上げた、右端の男。彼の叫びだった。

「そうです! ためらわずにこの男を切り捨て、この場からお逃げください!」

 続いたのは左端、女の声。首を締められ掠れた声。

「我々は貴女のんん――」

 更に女の隣の男が声をあげようとして、デリウスの後方からの声は途切れた。

 四人の首に巻き付いていた触手の先が伸び、彼らの口の中にねじ込まれたのだ。

「茶番はここまでです。……後ろの四人の口の中に入った触手の先端。そこは私が遠隔で魔法を発動できるようになっています。口の中どころか腹の中まで侵入させ、内側から爆破することも可能です」

 デリウスは淡々と告げる。

 だが、その言葉を受けたアルシェの表情は、先程までと違う。

 一瞬だけ固く目を瞑る。

 深く、深く息を吐く。

 そして、

 そして、目を鋭く開き、どこか吐き捨てるように強く言い放つ。

「彼らが言ったように、私の価値は国よりも重い! お前らの軍門に下るわけにはいかない! それは、どんな手を使われてもだ!」

「そうですか……では」

 デリウスは軽くいうと、触手に魔力を込めた。

 四人を捕らえていた触手の先で魔法がはたらく気配。同時に、四人の意識が落ちる。

 四人から離れる触手。

 落下。

「みんな! ……お前……何をした!」

「少なくとも爆破はしていませんね。……貴女の目を見るに、もはや人質に何をしても貴女は止められない。逆に怒りを高めるだけでしょう。怒りはときとして人に力を与える。これ以上人質に何かするのは得策じゃない。……そして、そうなると、彼らの拘束に使う触手が勿体無い。だから、ちょっとした魔法で無力化し、触手を自由に使えるようにした。……まぁ、それだけです」

 自由になった触手八本。この部屋に入った後、新しく構築した魔法陣から伸びる触手五本。合計十三本、うねり蠢く。

「ほう……まさか、全力を出せれば、正面から私に勝てるつもりでいるのか? 随分舐められたものだ……魔王軍最高幹部など言っても、所詮はぽっと出の魔法使い。勝負にもならんぞ」

 アルシェの背後から吹いていた風が、更に高まる。剣に清純な魔力が集まる、高まる。

「貴女が全力だったらそうでしょうね。……ですが、私は殆ど消耗しておらず、貴女はかなり消耗している。私がこの部屋にたどり着くまでの差です。実力差をある程度埋めるのに、十分な消耗具合だと思いますよ。それに、もう少し時間を稼げば、私には援軍が来る。勝算は十分です」

 デリウスの周囲では更に魔法陣が三つ増える。そして、再びおぞましい魔力がそそがれ、二つからは灰色の、小さな鱗に覆われた触手が一本ずつ、もう一つからは緑色の細い、ぬめぬめと光る触手が何本も現れる。

「そうか……本当にそう思っているなら、それは誤算だ。私の力を低く見積もりすぎている。まだ迷いのあったさっきまでと違い、今度は本気だ。もはやお前は、反応すらできない」

 更に高まったアルシェの魔力が、風を強め、高い音を奏でる。

 段々と高まる風と高音。空気の奏でる高音、服のはためく音、高密度魔力を受けた神剣の幻音。

 今度はデリウスも目を逸らさない。

 睨み合いは数秒。

 前触れもなく、アルシェが動いた。


 ――!


 言葉では表現出来ない、異様に澄んだ轟音。

 割れる床。消える少女。立ち上った砂埃は、豪風に巻かれ、局地的な砂嵐へと変わる。

 一切反応出来なかったデリウスの真横には、既に幻音響かせる輝き。

 迫る、死。


 デリウスは魔王軍幹部であるが、人間だ。

 人間なのだ。

 普通の人間では、人類最強の存在である姫巫女や勇者、大賢帝には及び得ない。

 普通の人間では、最高位の力には対応出来ない。

 普通の人間が最高位の力に対したならば、即座に死を迎える。

 それが必然だ。

 故に最強なのだ。


 刃は最強を証明するため、デリウスに一切反応を許さず、その首に走る。


 だが、ここに、必然の理を許さない物がある。


 人間でありながら、人間に仇なす魔王軍の最高幹部。最強に及ばずとも、人の理解を超える天才。“邪法賢者”デリウス。

 そう、デリウスの二つ名は“邪法賢者”なのだ。

 扱う力はまさしく邪法、かつて邪神が生み出したとされる触手魔法。世の理を否定し尽くした邪神の魔法。必然の理を否定することもまた必然。


 それもまた、異様な速度だった。

 デリウスは反応もできていない。

 にもかかわらず、彼の背後の触手が三本、アルシェ側の魔法陣から出ていた、背後の物と同種の触手が一本、アルシェの神剣とデリウスとの間に割り込んだ。


 一本目、必然の切断。紙を裂く様に容易に。

 二本目、不意に襲う違和感。ありえるはずのない“手応え”。

 三本目、感じたこともない抵抗。信じられない重さ。

 四本目、減速する神剣。姫巫女をして辛うじて切断できる圧倒的な密度、硬度。


 既に身を躱しているデリウス。

 既にアルシェに迫っている背後の二本と、緑の触手三本。

 背後からの二本は、退路を塞ぐ様に。緑の三本は、アルシェの正面と左右から。

 即座に引き戻された神剣。

 一瞬、いや、瞬き未満の時の間隙で、背後にニ閃。

「くっ」

 小さな声を発し、退路を確保したアルシェは跳ぶ。

 後方への跳躍に、先程の勢いは無い。

 当然、デリウスは追撃に移る。

 灰の触手を残し、他の全てを縦横無尽に走らせる。

 迫る触手、実に十四本。

 だが、アルシェは人類最強の一角だ。高々十四本の触手で、届きうるものではない。

 宙空にあって身をひねり、着地と共に理外の速度で引き離し、神剣に魔法を込め、再び迫った触手群を微塵に裂く。

 消える魔法陣と、新たに生まれる魔法陣多数。次に生み出されたのは、ほとんどが灰の触手、二つだけが緑で、一つは紫だ。紫も灰色の物と同じく、一つの魔法陣から一本だけが現れる。気持ちの悪いイボで凸凹とした触手だ。

「厄介なものだ、自らを破壊したものを呪う。そんな効果かな? お前の触手は。……切るのにこれほどの抵抗を受けた物は久しぶりだ。……だが、もう無駄だ。私も魔法を使った。その触手が持つ呪い程度の影響は、もはや受けない」

 さっきまでのアルシェは、魔力運用はしていたものの、魔法までは使っていなかった。それが、今は剣に魔法を込めている。

「こちらもあれだけ密度を上げている触手を切り裂かれたのは初めてですね。もっと簡易の術式を使用しているならともかく。本家の魔法にあった呪詛式まで組み込んでようやく抵抗できるとは。それに、貴女が万全ならこれでもダメだったでしょうね。……やはり開戦と同時に魔力散逸術式を仕掛けたのは正解でした」

 対するデリウスの側も、触手を別種の物にほぼ入れ替えている。大部分が、他に比べおぞましさの少ない灰色のものだ。

「確かに、開戦時からの広域魔法は厄介この上ない。だが、それでもまだまだお前との差は十分にある。そちらの触手も先程までとは違うようだが、もう油断は無い。次で本当に終わりだ」

「先程も似たようなことを聞いた気がしますが? まぁ、次も覆させていただき――」

 次は、何一つ溜めが無かった。

 デリウスの言葉を遮った一歩。先程の攻撃とは全く違う。

 無音。

 何も壊れず、何も巻き起こらない。

 気配の無い、ただ一瞬の攻撃。

 だが、触手はそれにも反応する。


 ザガ、ギィィィン!


 響くのは触手と神剣がぶつかる音。

 だが、さっきまでの触手とは大きく違う。……響く音が硬質なのだ。

 神剣は間に入った触手二本の内、一本を切り落とし、二本目の半ばで止まった。

「なんだと……」

「良かった。これで無理なら手が無かった」

 三色の触手が合計十本、攻撃へと移行する。

 叩きつけるように、突くように。巻き付こうと、退路を絶とうと。前から、横から、後ろから。

 アルシェは苦い顔をしながら下がる、縦横無尽に振るわれる剣。だが、重い。

 重い……固い、音が、響く……響く、響く響く響く。

 襲いかかる灰色と切り払う純白の輝き。

 緑と紫は、灰色の影から期を窺う。

「万全ならばこの触手でもダメだったでしょうが、それだけ消耗しているとなんとかなりそうですね」

 言葉とともに、更に激しく。速く。

「くぅ! 馬鹿な! いくら消耗しているといえ、私を! 姫巫女を! この程度で!」

 振るわれる幻音の響きは、未だ鋭い。

 駆けまわる靴音は、未だ疾い。

 だが、

 衰えが見える。

「くっ……こんな、触手ごときに! 負けるわけには!」

 とうとう、天秤はありえない方向に傾き出す。

「魔法の使用は失敗でしたね。この広域術式下では消耗を早めるだけ。まぁ、そうなるように仕向けたのですが」

 空間全体を覆う広域術式。魔法の構築難易度と魔力消耗速度を上げる魔力散逸術式。それが天秤の傾きを変えた一因だ。

 僅かずつ衰える少女と違い、青年の消耗は少ない。

 灰色が切れ飛ぶ度に、魔法陣が再構築される。

 途切れること無い連続攻撃。

「くそっ! それだけ魔法を使用していてなぜ貴様はそんなにも消耗が少ない! 散逸術式の効果はお前も受けているはずだ!」

 落ちる剣速。響く音は段々と鈍く。

「単純な話です。戦闘能力、戦闘技術、魔力の質、量、各身体機能……貴女のほうが圧倒的に上。……ただ、通常の魔法技術と魔力運用効率だけは、私のほうが上。それだけのこと」

 魔法陣を入れ替える速度が落ちる。必要性が減ったから。

 無傷で引き戻される触手が増える。切り落とされる数が減ったから。

「私より魔法技術が上だと? そんな馬鹿な!」

 アルシェの言葉は否定。感情の物。

 だが、表情に驚きは無い。理性ではわかっている。

「巫女姫の魔法修練は全てが禁式のための物。その訓練内容はあまりに特化しすぎている。……他の魔法にまでその内容を応用できないほどに。それどころか、禁式使用時の魔力運用、魔法発動の癖によって悪影響が出てしまうほどに。……それほど特化しているが故に、禁式以外を使う場合、巫女姫の魔法能力は著しく落ちる。この魔力散逸術式を使用した最大の理由は、超高精度魔力運用が求められる禁式を使用不能とするためです。……まぁ、私の奥の手も使用不能となりますが、貴女に禁式を使われるよりは遥かにマシです」

 巫女姫の存在意義たる禁式。それ故の弱点だとデリウスは言い放った。

 アルシェの表情が歪む。苦々しく。

 そして、アルシェは苦々しい表情で、触手から……逃げる。

 そう、避ける、ではなく、逃げる。

 既に回避は紙一重ではない。

 大げさに回避する。

 そして大きく移動する。

 デリウスから離れる結果となっても、触手がより少ない方向へ。

 そうまでしなければ、回避出来ないほどに、アルシェは消耗し、そして触手の攻撃は巧妙になっていた。

「攻撃が巧くなった理由がわかりますか? 簡単です。あなたが私の目で捉えられるようになったんです。さっきまでは触手に簡易な指示を出すか、自動攻撃の範囲で攻撃をさせていただけでした。ですが今は、私が具体的な指示を出している。貴女の回避を先読みし、そこに攻撃を置く。貴女の体勢を考え、回避がしづらい箇所を攻撃する。そういった、戦闘において当然の指示を出しているだけです」

 そういった、戦闘において当然の指示を、十本を超える触手に出している。

 一般的な兵士程度では、一本すらまともに相手できない強靭で強固な触手。

 それらが十本以上、まともな判断を受けて動く。

 常人ならば当たれば即死……どころか、全身がバラバラにはじけ飛ぶ。

 その触手に対応するために求められる思考速度、判断能力はもちろん、常人の範疇ではない。

 消耗した心身では、いくら巫女姫でも容易ではない。


 だがそれは、触手に指示を出す側にも言えること。

 いくらデリウスが常軌を逸した天才とはいえ、巫女姫の殺気を受けながら、魔力散逸術式下でこなすことは至難。


 互いに額に汗する攻防。

 だがやはり、状況は……その状況を整え、仕掛けた側に味方する。

「くぅぅ! なぜこんなにも魔力の消耗が早い! いくらこの状況でも早過ぎる!」

 先に音を上げたのはアルシェ。その白い腕を灰の触手が掠め、皮膚が抉れる。

 美しい顔を僅かに歪める。

 太く強靭な触手の運動エネルギーは計り知れない。掠めただけにもかかわらず、姫巫女であるアルシェが僅かにバランスを崩す。

「それは、もう一つ仕掛けがあるからですよ! これで終わりです!」

 そして、デリウスもその一瞬の隙を見逃さない。

 追撃は三色。

 灰が先行、四肢に向かう。

 次いで緑、腹部と首へ。

 最後に紫、退路を断つように。


 ここに攻防は完結する。

 最後、一瞬の隙を見せた者を制し、この戦いで散った同胞に報いるため、


――人類最強たる巫女姫の神剣が振るわれた。


 弱者が強者を追い詰めた最後の一瞬、勝利への確信と、確信からくる深い安堵が、致命的な隙を産んだ。

 デリウスには一瞬、アルシェが爆発したように思えた。鋭敏なデリウスの魔力知覚にはそう錯覚できるほど、一瞬にしてアルシェの魔力が膨れ上がった。

 その直後……いや、それとほぼ同時に、アルシェが走りだす。

 緩んでしまった心の、対応は遅い。

 先程までとは違い、姿が消える程ではない。だが、辛うじて目に映る程度の圧倒的な速度だ。

 魔力を受けて輝く神剣、その残光が尾の様に彼女の後を追う。

 その姿を目に捉えていながら、デリウスは動けない。

 まるで流れる時間が違うかのようだ。駆けるアルシェに比べ、反応しようとするデリウスの動きはスローモーション。

 空を切る灰と緑。

 追いすがろうとするが置き去りにされる紫。

 既に神剣の輝きと幻音はデリウスの真横。

 防御に残されているのは灰が四本。

 デリウスの背後と正面から、間に割って入る二本の灰色。

 ここまでは同じだ。

 だが、既にアルシェもわかっている。

 神剣が間に入った灰触手の鱗を……叩いた。

 斬るではなく、叩く。折れず曲がらぬ神剣の刀身、その側面での殴打。

 鈍い、殴打の音。二本の触手が大きく揺れる。

 同時、反動を……僅かな反作用の力も逃さず活かし、加速。踏み出した足を軸に半回転。逆側に廻り込み、再び一撃。

 殴打された触手は復帰していない。

 残る二本が反応する。

 だが、一撃目と同じだ。

 殴打、再加速。

 もはや守るものは無い。

 最後に至ったのはデリウスの正面。構えは刺突。狙うは心臓。


 ここに、二人の優劣は決した。


 天才が準備を重ね、圧倒的に有利な状況を作ってなお、世界に愛された最強には届かなかった。

 もはや、デリウスにできることはない。


 故に、この状況を覆したのはデリウスではない。


 不意に襲いかかったものは、殺気。

 その殺気は無数の槍のように、二人に突き刺さる。そう、二人に。

 しかし、その殺気は即座にアルシェに焦点を結ぶ。

 一人に絞られた狙い。更に鋭い不可視の刃。

 この刹那、アルシェには選択肢があった。

 デリウスを殺すか、即座に離脱するか。この二つだ。

 そして、アルシェは迷わず後者を選ぶ。

 アルシェの命は国家より重いのだ。それが、こんなところで死ぬわけにはいかない。

 そう、つまり、デリウスを殺せば、その隙を突かれ殺される。姫巫女であるアルシェに、そう確信させるほどの殺気だったのだ。

 飛び退くアルシェ。そしてほぼ同時に、小柄な影が二人の間に入る。その後漸く、デリウスが体勢を立て直した。

「デリウス様、油断が過ぎます。相手は疲労していても格上。そんなことではすぐに殺されてしまいますよ」

 少女だった。アルシェよりも幼い少女。持つ武器は、刀と呼ばれる片刃の剣。そして、その武器を使う種族は、この世界で一つだけだ。

「銀狐族か……」

 アルシェの言った通り、少女は人間では無かった。銀の長髪の上に突き出ているのは、同じく銀色の狐の耳。それに彼女の後ろには狐の尻尾まで伸びている。人と狐の特徴を併せ持った種族……銀狐族だ。一つ銀狐族らしくない部分を上げるならば、狐装とよばれる銀狐族特有の衣装ではなく、魔王軍服を着ていることか。

 そんな少女に目を配りながら、デリウスが口を開いた。

「そうですね、今のは肝を冷やしました。……彼女の攻撃と君の殺気に」

「助かったんだからいいでしょう。あそこでああしていなかったなら、貴方は死んでいましたよ」

 銀狐の少女は冷ややかに言う。言いながら、油断なくアルシェを見つめる。デリウスもまた、視線をアルシェに戻す。

「それでセリナ君……ミリア君はそろそろ来るのかな?」

「ええ、もうすぐこの部屋に着きます。それまでに自由を奪っておきましょう」

「そうだね……まぁ、あとは詰めるだけだ」

 お互い、顔を見合わせることもなく語り合う。

 対するアルシェも油断なくデリウスと……そしてセリナと呼ばれた少女を見据え、僅かに魔力を動かす。

「おっと、魔力感知で周囲を探っても無駄ですよ。この部屋に施した術式は、消耗した貴女がすぐに解けるようなものじゃありません。出入り口は扉のみです。……貴女の神剣ならば切り開いて出られるかもしれんませんが、流石にそんな隙は逃しません」

 察知したデリウスが余裕の表情で告げる。

 もちろんアルシェは諦めない。

「ならば、お前たち二人を殺して押し通るのみだ」

 言葉は重く、意思は強く、されど今までほどの圧はない。

 既に趨勢は決している。

「セリナ君、彼女の剣には触れないように……刀で打ち合うのもダメです」

 言いながら、宙空を魔力線が走る。蠢く影が増える。

「……なぜ?」

 鞘に収まった刀、その柄に手が伸びる。両足と両手に魔力が集まる。

「姫巫女の禁式と神装は高位の力です。格下の物は問答無用で効果を受けます。神剣の性質は切断。それこそ、貴女が振るった刀を受け止められるだけで、貴女の刀が切断されるでしょう。そうならないためにはそもそも使わせない、触れない。あるいは同格以上の装備や力……そして私の魔法の様な、世界の法則から外れた力を……! つかうしかないのです!」

 言い終わるより前に、攻防は始まっていた。語りながら、デリウスも動く。

 最初に動いたのはアルシェ、二人を回りこむ様に走る。

 続いてセリナ、アルシェに向かって走る。

 ほぼ同時にデリウス、灰を中心とした三色の触手で、まず行く手を阻む。

 最も速いのは触手だ。もはやアルシェの速度は触手よりも大幅に下だ。速度だけならば僅かにセリナの方が速い。

 銀狐族の身体能力は人間よりも高い。セリナはその中でも特に能力が高い部類なのだ。

 くぐり、躱すアルシェ、灰が数本掠め、肉が抉れる。顔を歪める。だが、怪しい魔力を発する緑と紫は確実に躱す。

 アルシェを間合いに捉えるセリナ、刀を振るう。アルシェが剣で受けようとして、セリナは触れぬよう刀を引く。

 受けようとしたアルシェの隙を見て、触手が蠢く、再び退路を断つように、打ち据える様に、貫く様に。

 一手ずつ、アルシェの生存ルートが削れていく。

 掠めた傷は、体力を奪っていく。

 迫る刃は、防御を強いる。

 緑と紫は、回避を強いる。

 もはや扉は近づかない。

 どころか、回避のために遠のくばかりだ。

「くぅ! ああああっ!」

 方針が変わる。

 口にしたとおり、もはや殺し、逃げる道しかない。

 半回転、後ろから狙ってきたセリナに刃を振るう。

 対するセリナの動きは軽い。

 回避方向は下。横薙ぎの一撃を躱す。

 実を結ばなかった攻撃は、己の命を削る。

 迫った物は緑の触手。剣で切り裂くことは不可能、回避はぎりぎり。

 残り僅かな魔力を使い、加速魔法で避ける。避けるにとどまらずデリウスに迫る。

 もはや、一撃でデリウスを切り捨てることしか、アルシェの生きる道は無い。

 そして、それは不可能だ。

 正面、灰色に蠢く視界、切るべき相手はまだ遠い。

 背後、迫る刃、巫女姫といえど致命の一撃。

 側面、緑と紫、未知の、おそらく致命的な効果を持つ魔手。

 何処にも活路はない。

 それでも諦めるわけにはいかないのが姫巫女だ。

 残ったすべての魔力を込めて、正面の灰を薙ぐ。

 だが、姫巫女の一撃としては、あまりにも軽かった。

 たった一本すら切れずに止まる剣。

 背後からの刃より先に届いた両側の緑が、両足に絡む。

 体勢が崩れる。

「くぅあ!」

 なんとか引いた神剣を腕の力だけで振るい、柔らかい緑を裂く。

 そして、

「……え?」

 アルシェの体が落ちた。

 本人の意に沿わず、体はその場にへたり込む。

 呆気にとられるアルシェの両腕に、緑と紫が絡む。

「あっ」

 力が抜けた。

 神剣が落ちる。

 そして、同時に体に残っていた魔力が抜けていく。

「緑は毒、紫は魔力干渉の力を持たせています。普通の魔法などは姫巫女には効きませんが、やはり邪法やそれに類する力なら効くようですね」

 両足にも、胴にも絡む。緑、紫、そして灰。

 アルシェの全身が鳥肌立つ。感覚すら奪う毒の緑、ねとっととした魔力を吸い取る紫、ザラザラとした力強い灰。

 持ち上がる小柄な体。

「おお! 流石デリウス君! もう巫女姫を捕まえているじゃないか!」

 扉から突然の声、女性の。

 入ってきたのは若い……少なくとも見た目は若い女性。ブロンドの長髪から覗く長く尖った耳が特徴的な、長身の女性。右頬には刺青のようなものが入れられている。

「セリナ君のおかげですよ。私一人では殺されてましたね」

 近づいてくる女性に顔を向けずに言う。

「その刻印……ダークエルフか」

 拘束されながらも睨む。

「ご名答。……はじめまして“天風姫”アルシェ。私はダークエルフ“第百十七番禁忌”ミリアだ。デリウス君の一つ下の、魔王軍邪法研究室副室長をしている。……以後よろしく」

「立場上、副室長というだけで、実質同列でしょうに」

 もはやデリウスたちに緊張感はない。……いや、セリナだけはアルシェを睨んでいる。

「以後だと? ……一体私をどうするつもりだ? ……捕虜にでもするつもりか? いや、お前たちは魔王軍の研究機関だったな……巫女姫に関する人体実験に使うつもりか」

 鋭い目をデリウスとミリアに向けるアルシェ。そちらに向き直ったミリアが口を開く。

「人体実験……まぁあながち間違ってはいないかな。貴女に協力してもらう事は事実だから」

 言いながら、にやりと笑うミリア。

 それに比べ、アルシェの顔は対称的だ。

「なるほど……だが、私を相手に自由にできると思わないことだ。回復さえしてしまえば、いつでもお前たちを殺し、逃げ出してやるぞ」

 今すぐにでも殺してやろうという意志のこもった声。しかし、ミリアの余裕は揺れない。

「貴女、今と同じ拘束を受けていても本当にそれができるの? 身体麻痺、魔力吸収の効果を受け、かつ強力な拘束まである。それを脱出できる? 正直言って回復していても変わらないと思うけれど?」

 声音にまでその余裕がにじむ言葉。しかし、アルシェの気迫も薄れない。

「そちらこそ舐めるなよ。本当にこの程度の拘束で私を抑え続けることが出来るか、ためしてみるといい」

 負け惜しみに聞こえもする。そして、それは間違いではない。だが、その瞳の奥には確かな自信がある。それをデリウスもミリアも読み取る。

 だが、その上で、やはり余裕は揺らがない。

 余裕を湛えたまま、ミリアが言い放つ。

「なるほど、なかなか自信があるようだ。その拘束だけだと、もしものことがあるかもしれない。だが、実は貴女をそのままにしておくつもりは無いんだ。というより、貴女を肉体的に拘束するつもりはない」

「何? どういうことだ……?」

 驚いた表情のアルシェに、ミリアは満足気な表情を浮かべる。

「今からお見せしよう。……リュン」

「ここに」

「なっ」

 ミリアの背後から唐突に少年が現れた。……いや、影から現れたというのが正しいだろう。

 額に紫色の第三の目をもつ黒髪の少年。紫眼族という、必ず紫色の第三の目を持つ種族の者だ。

 背はどちらかといえば低めで、肩幅もあまりない。男性にしては長い髪も相まって、少女にも見える。

 そんな少年が、片膝をついて現れたのだ。手には何か赤い液体の入ったフラスコのような物を持っていて、それをミリアに手渡している。

 受け取っているミリアを横目に見ながら、デリウスが語る。

「彼の存在に気づかなかったでしょう? 私のその紫の触手は魔力感知も妨害する力があるんですよ。……ああ、ちなみに、魔力散逸術式の効果以上に貴女の消耗が早かったのも、この触手が少しずつ、貴女の魔力を吸収していたためです。接触しているときほどの効果はもちろんありませんが、散逸術式の効果で結合が弱った魔力ぐらいなら、近くにあるだけで吸い取れます」

 言葉を聞くアルシェの表情は苦々しい。

 言葉が終わるとほぼ同時、フラスコの中身の確認を終えたミリアが、アルシェに近づく。

「あっと……失礼しますね」

 デリウスがそう言って、宙空に魔力で魔法陣を描く。

 現れるのは緑の触手数本。

 それが、アルシェの口へと伸びた。

「なっ! んん!」

 口の中に無理やり侵入し、そして、無理やりこじ開ける。

 即座に毒に侵され、抵抗もできない。

「今日使っている触手の毒は、後遺症も残らず、時間経過で切れるものです。ご心配なく」

 アルシェが全く考えてもいなかった懸案事項についてデリウスが述べる。

 ミリアはそんなデリウスに僅かに呆れた目を向け、そしてアルシェに向き直り言う。

「デリウス君のメインの研究は触手魔法だが、私はこれを研究している」

 アルシェの前にフラスコをかざす。中には赤い、異様に粘性の高い液体。

「わかるだろ? スライムだよ。みんな知っての通り、スライムも触手魔法同様、邪神が残したものでね。私が故郷から追放された原因さ。……まぁ、実際にやっていることはスライム創造魔法の研究であって、邪神がこの世界に残したスライム自体を飼っているわけじゃないんだけどね」

「――!」

 何かを言おうとするアルシェだが、言葉にならない。触手に無理やり口を空けられている上に、触手による毒まで働いていて上手く喋れない。

「スライム創造魔法は基本形でも生み出されるスライムに目的を与えることが出来る。おそらく邪神はこの世界の者を殺すようにしたのだろうね。だから無差別に襲い掛かってくる。だが、私の創っているものは違う。スライム創造魔法の改良で、様々な性質を与え、様々な用途で運用できるように成った。……そこで問題だ、このスライム、どういう役割でどういう効果を持つと思う?」

「――」

 問いかけ。もちろんアルシェは答えられないし、それをミリアもわかっている。形だけの問いだ。

「これはね、対象に寄生し、その対象の思考、精神に干渉するスライムなんだ。……これを、今から君の体内に潜りこませる。……それで君は私たちに協力的になるという寸法さ」

 聞いたアルシェの目が大きく開かれる。そして抵抗しようと体中に力を入れる……が、当然無駄だ。

 緑の触手によって無理やり上を向かされ、口元にフラスコの口があてがわれる。

 段々と傾いていくフラスコ。

 赤い粘液が段々と下る。

 そして――


 どろりとしたものが口を、喉を通って行く感覚に鳥肌を立てながら、第四の巫女姫は魔王軍の手に堕ちた。

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