9.絶望する姫、絶望する騎士
あれから季節は巡り、半年が過ぎた。
今年は妙に身の回りが騒がしかった。
やどりぎの魔女からは、誕生日を前に一月ほど城に逗留してわたしの様子を見たいと連絡が来ていた。
それから弟がいきなり授業中に乱入してきたり、妹が来たりして、少しずつだけれど私の周りは変わり始めた。
一番大きかったのは、わたしに月のものが訪れたこと。知識として叩き込まれていたわたしは狼狽せずにすんだけれど、クロードは大慌てだった。それからしばらくして年老いた侍女頭が月に一度来るようになった。クロードに頼めないこともあるから助かっている。
そして。
クロードが前にもまして不機嫌になった。以前のようにからかうこともなく、手を触れることもない。
わたしから距離を置いているのだと気がついた時、胸が張り裂けそうになった。
他に好きな人ができたのかもしれない。彼は塔を下りれば普通の生活ができる。わざわざ命の刻限が切られた女の世話なんてしなくていいのだ。
それに気付いてから夜眠れなくなった。
一刻も早く彼を解放してあげたほうがいいと思う自分と、しばりつけておきたいと思う自分がぐるぐると戦っている。
どうせあと三年で死ぬのだ。遅いか早いかの違いではないか。
ふらりと寝室を抜け出してキッチンに向かう途中で、居間に誰かいることに気が付いた。
「誰?」
「姫?」
明かりが落とされ真っ暗な居間に、なぜクロードがいるのだろう。
「なんで、こんな時間に……」
「明かりはつけないで」
手を振ろうとしたわたしは、切羽詰まった様子のクロードの声に手を止めた。
「どうしたの」
「寝間着でこっちに来ないでください。……でないと」
開け放ったままの扉から、寝室の明かりが居間に落ちる。今までわたしがどんな格好をしていても気にしなかったのに。仕方なく部屋に戻ってガウンをきっちり着込むと、ソファに歩み寄った。
暗い中で金髪が光を受けてほんのり輝く。
「……ちょうどいいわ。わたしもあなたに話があったから」
「話……?」
「ええ。……クロード、教育係を降りて」
「えっ」
彼が教育係の間にわたしが自殺したとなれば、彼の汚点になる。それに……至近距離に彼がいるならわたしは結局どっちの選択もできなくなってしまう。辛いだけだ。
……死ぬなら、早いほうがいい。彼を苦しませずに済む。
「どういうことだ、姫。俺はもう要らないということか」
彼はソファから立ち上がるとあっという間にわたしを捕らえた。
「……ええ」
好きな人がいるのでしょう? と聞きそうになって口を閉ざす。だめだ、何も聞かないようにしないと、決心が鈍る。
「そのほうが、あなたのためにもいいでしょう?」
「……は? 俺が姫から離れたほうが俺のためだっていうのか?」
「そうすれば、三年も待たなくて済むもの」
「姫、……それはいったいどういう意味?」
一歩後退ろうとしたら腕をつかまれた。
「俺がいなきゃだめだと言ったのに、俺は要らない? 三年待たなくて済むって、どういうこと? まさかっ……」
クロードがキッチンの扉を振り返った。
「だ、だってっ……そうすればあなたを解放してあげられる」
「馬鹿言うな! お前が死んだら意味ないだろうがっ! 何のために俺がずっとっ……頑張ってきたとっ」
引っ張られたと思ったら強い力で抱きしめられた。
「だって……ほかに好きな人ができたんでしょう……?」
「お前だけだって言っただろうがっ! 信じろよっ!」
「じ、じゃあ、なんであんなっ……」
「え?」
「……手を握ることも触れることもない。き、キスだって……してくれなくなってっ……」
不満を口にしながら、すごく破廉恥なことを強請っていることに顔から火が出そうだ。明かりをつけてなくて本当によかった。
「それはっ……」
「だからっ……」
続けようとしたらいきなり唇をふさがれた。今までの触れ合うだけのキスじゃない。……こんなキス、知らない。
息ができなくなって、頭がぼうっとして、立っていられなくなる。唇を離したクロードはわたしを抱き上げると寝室のベッドに下ろしてくれた。
起き上がろうとしたけれど、くらりとめまいがして倒れこんだ。
「今日は寝ろ。……ここしばらくまともに寝てないだろ」
「知ってたの……」
「ずっと一緒にいるんだ。わからないわけないだろ?」
手が伸びてきて、髪の毛をやさしく梳いてくれる。
「……傍にいて、くれる?」
ぎゅうっと彼のシャツの裾を握りこむと、苦笑して額にキスをくれた。
「わかった。……寝付くまでだぞ」
シャツの代わりに手を握ったまま、わたしはあっという間に眠りに落ちた。
◇◇◇◇
目が覚めると、クロードは傍の椅子に座ったままベッドに突っ伏して眠っていた。わたしが手を握ったまま離さなかったみたい。身じろぎすると、クロードも目を覚ました。
「おはよう、クロード。ごめんなさい、わたし……」
手を引き抜こうとしたら、クロードに握りこまれた。まだ寝ぼけているのか、わたしの手の甲に唇を押し当ててくる。頬が熱い。
「おはよう、姫。……朝食を持ってくる。食べたら話をしたい」
「ええ」
手を離すのを惜しみながらもクロードが寝室を出ていくと、わたしもベッドを降りて身支度をした。
窓を開けるともう太陽は高い位置にあって、昼が近い。朝の結界強化をしていなかったことを思い出してそれだけ済ませると、寝室を出た。
朝食のあと、お茶を飲みながらようやくクロードは口を開いた。
「実は……姫がその……子供を産める体になったと知って……その、子を作れと……」
顔を真っ赤にして、口元を手で覆いながら視線を逸らす。でもその表情は苦り切っていた。
「わ、わたしに……?」
子を、というクロードの言葉に、前任者の声がよみがえった。それが王族の義務である、と。もうなくなった話だと思っていたのに。
「……そう」
「姫?」
眉尻が下がる。
母様、父様、あと三年しかないのに、わたしに最後まで王族の義務を果たせとおっしゃるのか。
「嫌じゃないのか……?」
顔を上げると、クロードは眉間にしわを寄せてわたしをじっと見つめていた。視線を逸らすとそっとため息をつく。
「……王族の義務ですもの」
本当は嫌だ。そんな時間もない。誰の子を産むことになるのか知らないけれど、どうせすぐ取り上げられるのだろう。
「俺は嫌だ」
「……え?」
クロードの言葉にわたしは顔を上げた。前に置かれたティーカップを睨みつけながら、それでも耳を赤くしながら、クロードは続ける。
「……姫に選ばれたのなら、喜んで受ける。でも……ただ『魔力量の多い者同士で番えば魔力量の多い子供が生まれるだろう』という理由だけで宛がわれるのは、死んでも嫌だ」
「なにそれ。……だれがそんなことを言ったのっ! 『教えて!』」
思わず怒りに任せて声に力をのせた。
しかも……その内容だとわたしの相手はクロードだということ?
「……わが父です」
答えたクロードの顔は絶望に満ちていた。言いたくなかったのだろう、がっくりと肩を落としたクロードに、わたしは言葉を失った。
彼がクロッシュフォード家の嫡男であることは知っている。……彼が家名を名乗りたがらない理由も、今では知っている。
その原因となった親が、まるで動物の交配のように言うだなんて……。
「だから……姫を心から愛しているのに、姫に触れないようにしていた。触れれば我慢できなくなるから……父の手駒にはされたくない」
「クロード」
「はい」
「……やっぱりわたしも嫌。あなたのことは好き。でも……将来一緒にいられないのに縛りつけたくはない」
「姫っ」
悲痛な顔をする彼に、わたしは首を横に振った。
それにヤドリギの魔女が話してくれてた茨姫の呪いがそのまま降りかかってるのだとしたら、クロードを危険にさらすことになる。それだけはだめ。
「だから、生き残ることを優先したい。……わたしは弱いわ。もし今、あなたとそんな関係になってしまったら、きっとそのまま流されてしまう。目の前の今を選んでしまう。わたしは、五年後、十年後、あなたと一緒に笑っていたい。だから……子は作らない」
クロードは片手で前髪をくしゃりと崩すと、そのまま俯いた。
「俺は……最近いろいろ考えるんです。呪いを解いて共に生きるために全力は尽くす。でも……もし、どうにもできなかったら? 三年後、俺は君を失ってしまう。それを考えるだけで……気が狂いそうになる」
「クロード」
「姫……もしそうなった時、俺も共に逝くことを、許してくれますか」
もう、十分だった。
彼の心を疑った自分を恥じた。わたしに殉じようとさえしてくれるクロードを守るためにも、何としてでも生き延びる。わたしはクロードとともに歩む十年後の未来が欲しい。
こぼれてくる涙をそのままに立ち上がると、クロードの前に膝をついた。エメラルドの瞳は濡れていた。
「許しません。……だから、必ず道を見つけましょう?」
「……はい、何としてでも」
クロードの手が頬にかかる。いつもはあたたかな手が、今日は冷たく感じる。
いつも通り、触れただけのキスは誓いのキスになった。