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8 深夜の密談は

 菜月には部屋が与えられ、ようやくひと息つくことができた。外に比べれば、室内はとてもあたたかい。生命線の食糧や燃料、日々の消耗品は都から送られてくる。

 北の砦。

こんな場所があるなんて、ほとんど知らなかった。寒波から都を守るなんて、自分にはうってつけではないか。帝も帝だ。どうしてももっと早くに派遣してくれなかったのだろうか。そうすれば、帝と女御の仲の良いところも見なくて済んだのに。

 疲れているはずなのに、頭の中はぐるぐると働いている。なかなか眠りが訪れない。今日はいろいろと事件が起こり過ぎた。都からの行程。三人との出会い。カズヤとの勝負。

「父上、怒っているかなあ」

 邸を黙って出てきてしまった。母上や女御にも挨拶できなかった。脱出を手助けしてくれた沙耶は、無事だっただろうか。

「だめだ。水、もらおうかな」

 いったん、休むのを諦めた菜月は砦の廊下を歩く。藤原もカズヤも、それぞれ自分の部屋に籠っているらしく、砦はまったく静かだった。

 厨の水瓶から柄杓で飲み水を掬って器に移し、喉を潤した。

 しきりに欠伸が出る。疲れている。眠いのだ。眠いのに、眠りは訪れてくれない。

「あ」

 廊下で、リヒトに出くわした。羽織っている外套には、いくつもの雪粒がついている。夜番だと言っていた。おそらく、外で風を切っていたのだろう。

「どうした」

「す、すみません。ちょっと、水を飲みたくなって」

「水? 謝ることはない。水差し、部屋に持って行こうか」

「いいえ。もう、だいじょうぶです。寝る前に水を飲み過ぎるのもどうかと思いますし」

「それもそうだな。ならば、早く寝ろ。明日からは、お前も砦周辺の見回りに出てもらう」

「はい。任務が楽しみです」

 リヒトは右の部屋に入る。そちらが宿直部屋らしい。興味を惹いた菜月はリヒトについて行った。

「少し、見せてくれませんか。夜の当番の様子」

「当番の? つまらないぞ」

「どのような任務なのか、教えてください。今後は私にも回るものですよね」

「はー、お前。ひとりで寂しいのか」

 意外な指摘をされた。孤独だなんて、微塵も思っていなかったのに、言われた途端、菜月は頬が熱くなった。その通りなのかもしれない。

「カズヤと違って、俺に小娘を襲う趣味はないからな。まあ、入れよ」

「もちろんです。襲われては困ります。帝に言いつけますよ」

「上等。高難易の風返しができるお前は、仕事のよき相棒だ」

「光栄です」

「……ここで、風の観測をする。おもしろいことに、風は夜よりも昼間のほうが強い。都へ流れる風のうち、防いだほうがいいと思われる風は、俺たちが始末する。夜の当番はひとりだ。寂しがり屋のお姫さまに務まるかな」

「お役目とあれば、果たすのみです」

 外套を脱いだリヒトは室内に灯を入れた。次第に、ぼんやりと辺りが明るくなる。部屋は広くない。防寒用に、畳が二枚敷いてある。それだけだ。

 ごく薄い布が張られた向こうには、雪原が広がっている。リヒトたちは交代で風を観察している。いくつか火鉢が置いてあるけれど、室内は外の寒さとほとんど変わらない。

「座れよ」

 畳の上に菜月を座らせたリヒトは、菜月を夜具でくるんだ。先ほどまでリヒトが使っていたものらしく、かすかにぬくもりが残っている。

「北からの強い風が来ると、砦からさらに半里北に建てた細工が振動し、ここに異変を知らせてくれる仕組みだ。それを迎え打つというわけさ。そうだな、一晩に三回ぐらいか。板も自分たちで建てたし、砦まで振動が伝わるように仕掛けを施したのも、すべて俺たちだ。粗末なものだが、仕掛けを作る以前は一晩中、真面目に起きて風を見張っていたから、そこそこ画期的なんだよ」

「まさに今、風を切ってきたところなんですね」

「ああ」

 そう言いながら、リヒトはひとつくしゃみをした。

「だいじょうぶですか」

 リヒトの夜具を取り上げてしまっている菜月がいる。現在の砦には、自分を含めても四人しかいない。ひとりが体調を崩して寝込んでしまうと、任務に支障が出るに違いない。

「あの、入ってください」

 菜月は夜具を広げてリヒトを呼んだ。

「は?」

 訝しげな顔で、リヒトは菜月を見つめた。

「お話が終わったら戻りますから、それまで」

「莫迦言え。女と、ひとつ夜具の中に入れるか」

「でも、ただの小娘なら問題ないでしょう? 先ほど、ご自分でそうおっしゃったばかりですよ」

「これだから、無知は。少しは自覚しろ。相手がカズヤだったら、お前はすでに全部を奪われているぞ」

「すみません……」

 気を悪くしてしまった。菜月は反省した。

「謝ることはない。だが、よく覚えておけ。ここには、男しかいない。助けを呼んでも届かない。閉じられた砦だ。自分の身は自分で守れ。次の定期便が来るまでに対処できなければ使い物にならないと判断し、お前を都に返す。いくら剣が使えても、勅命があっても、己すら守れないようでは、はっきり言って邪魔になる」

 夜具を菜月の身体に巻き直し、リヒトは隣に腰を下ろした。控え目に。

「それは、女であることを捨てろという意味ですか」

「いや、捨てることはない。忘れろ。俺たちにも、忘れさせろ。砦に留まる限り、お前は姫ではない。ひとりの、人間だ」

 ひとりの、人間。

 そんなことを言われたのは初めてだった。特に都に引き取られてからは、姫らしく振る舞いなさいとばかり言われ続けてきた。だから菜月はいっそう反発し、剣術を習い、近衛府に士官した。

「なんだか、嬉しいです」

 険しい表情ばかりしているから、リヒトは怖そうな人だと思っていたが。相楽の世話もしてくれたし、世間知らずの菜月にも付き合ってくれる。

「嬉しい? お前、妙なやつだなあ。せっかくのお姫さまが、ここでは一切通用しないのに」

「はい。ほんとうは、蝦夷地生まれの都育ち。寒さにとことん強い、剣使いのただの小娘ですから」

 嬉しいです、菜月はもう一度つぶやいた。するとほっとしたのか、すう、と心地よい眠気に包まれ、次の瞬間菜月は眠っていた。

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