7 風を制す者は
カズヤを先頭に、全員が砦の屋上にのぼった。雪の重みで建物が潰れないよう、除雪してあるので狭いけれど、平らな空間がある。遮るものがないので、風は見事に吹き荒れている。息ができないほどに強い。
「襲いかかる寒風を切る。より風を制したほうが勝ちだ。お姫さんは先攻と後攻、どちらがいいかい」
菜月はカズヤの顔色を窺った。とても自信がありそうだ。
「……お先にどうぞ」
「やけに自信たっぷりだなあ。お姫さんが負けたら、今夜は俺の閨の相手もしてもらうよ」
「カズヤ! 相手は誰だと思っているんだ。帝のお気に入りだぞ」
「いいじゃん、減るものでもなし。結婚させられそうになって逃げ出したってことは、お姫さんの身体はそれなりにおとなだってことだよね」
カズヤが引き抜いた剣は刀身が長く、細いものだった。
「長剣?」
「俺は背が高い。丈に合わせて剣も長くした。それだけたくさんの風を鎮めることができる。おっと、勝手に間合いに入ると、きみが俺の剣の餌食になるよ。この剣は風だけではなくて、切ろうと思えばヒトだって斬れるからね。お姫さんの振るうおもちゃの剣とはわけが違うよ」
脅しだ、菜月は気がついたけれど、引き下がるわけにはいかない。
「リヒトさん、判定よろしくね」
渋々、といった感じでリヒトは頷いた。カズヤは張り切って準備運動をはじめた。
「……あいつ、かなり使える。だいじょうぶか」
「やってみないと分かりませんけど、あの方とは勝負しないと分かり合えそうにありません。だったら、最初に戦います」
「負けたら、大変なことになる。あいつ、狙った獲物は逃がさないぞ」
「はい」
「カズヤの技を目の当たりにして、委縮しなければいいが」
ここはカズヤの領域。吹く風も向きも強さも分からない。後攻を選んだのは、様子を窺うためだ。菜月はカズヤを包んでいる空気の動きに注視する。
「おいおい。部屋に誰もいないと思ったら、こんなところで。せっかく食事の支度ができたのに」
藤原も出てきた。リヒトが、藤原にあらましを話した。
「いい風、来ないかな」
カズヤは破りがいのある風を待っている。引き締まっていて、悔しいぐらいにいい横顔だ。甘えたり、ごねたりしていたときとは顔つきが全然違う。
「来た」
地面の雪を巻き上げるようにして、強い北風が砦を襲ってくる。目も開けられないほどの強風だ。羽織っている外套の上から刺さるような寒さが菜月を襲う。
カズヤはひとり、踊るようにして風を切っている。カズヤに切られた風は勢いを失い、無と化す。
「これが風鎮めの剣」
剣を大きく、あるいは細かく翻して的確に風をとらえ、巧みに操る。これほどの巧みな使い手、都にはいないかもしれない。華麗かつ見事な剣さばきに、菜月は息を飲んで思わず見とれていた。勝負さえも忘れて。
強めの風は、すべてカズヤが自信満々で吹き消したため、砦の周りにはぽっかりと静寂が訪れた。あたたかいような、安心するような心地よさにくるまれている。
「どうだった? 藤原さん。リヒトさん」
名を呼ばれたふたりとも、息を弾ませたカズヤの舞に魅入っていた。
「あ、ああ。いつもながら、正確でうつくしい風の散らせ方だ。自慢のわが弟子だね」
「ありがとう」
師匠である藤原の讃嘆を受け、カズヤはとびきりの笑みを浮かべた。
「さあ、次。お姫さんの番だよ」
「……ええ。そうね」
上機嫌過ぎるカズヤが少し憎らしい。けれど、もう後には引けない。菜月はゆっくりと自分の剣を鞘から抜いた。
「へえ。諸刃か」
「珍しいな」
村の巫女だったという母の形見の剣は、両側ともに鍛えてある。片方の刃が青みを、もう片方は赤みを帯びている。菜月はふだん、なんとなく好みの色の、青い刃を使っている。北方製の剣は、風異によく効くので流行っているとはいえ、菜月の剣は都で見かけないかたちだった。
「脇差ぐらいの長さしかないのか。短いね」
先ほど、カズヤが見せつけた剣よりはだいぶ短い。こぶし三つぶんぐらい違う。けれど、長ければ有利というわけではない。身の丈にあった剣を使うのがいちばんだ。
小さな風異が再び生まれてきている。頬をびりびりとなぶるようにして吹く。カズヤの振るった鎮めの効き目が切れてきたらしい。
菜月は風の音に耳を傾け、身体じゅうの神経を集中させる。目で見て判断するのではもう遅い。感覚で素早くつかまなければならない。山から下りてくる風が集まって落ちてくる。風異の滝壺のようなところに砦は建っていた。都は、その南に位置している。砦で風を食い止めなければ、集まった風は一気に都へなだれ込む。
「さっきの風よりも強いぞ」
菜月は両手で剣を構えた。得意とするのは、大きく振るよりも払い上げること。下から、撫でるように剣を動かした。菜月に向かっていた風が、止まって消えた。
「風返しの剣……か」
「初めて見たな。簡単に見えるけれど、難しい技だ」
藤原とリヒトは驚いていた。
「腕力で強引に戦うのではなく、風の力を利用していなすとはね。ふーん。さすがは帝が見込んだだけあるね」
悔しそうだが、カズヤも菜月の能力を認めたようだ。
「切るばかりでは、身体が持ちませんので」
菜月は謙遜した。誰が教えてくれたわけではない。なんとなく、身体が動いただけだ。小さい風のときは剣を振って寒さを躱す。強い風のときは、力でねじ伏せ切って鎮めるよりも、受け流して返すほうが負担も少ないのだ。
「勝負、あったなカズヤ。腕力が必要な風鎮めの剣は使えなくても、風が返せるということは、切る、薙ぐ、払うの基本はお手のものだろうに」
「ちぇっ。非力ゆえに、小技を効かせて誤魔化しただけかもしれないのに。今晩の獲物が逃げちゃったよ。せっかくの上物が」
「とにかく、菜月ちゃんは帝のお気に入り。それを追い帰すなど、もってのほか。ましてや、襲おうとするなんて言語道断。菜月ちゃんを悪く言うな。カズヤ、仲良くしなさい」
「はいはーい」
藤原にたしなめられて、ようやくカズヤも承知した。