6 勝負は風斬り
リヒトは、砦のとある部屋に菜月を案内した。
「……この部屋を使え」
「ここは?」
これといった調度もない、簡素な部屋だった。帳台と、文机があるだけで、長櫃も厨子もない。ましてや、鏡なども。
「俺の部屋だ。見ればわかるだろうが」
初めてなのに。見ても分からない。菜月は反論しそうになる心を押し留めた。
「俺は、カズヤの部屋を半分使う。小娘とはいえ、女と一緒の部屋を使うわけにはいかない」
いちいち、つっかかる言い方をしなくてもいいのに。リヒトへの不信は募るばかり。
リヒトは、菜月の反応をさらっと無視し、部屋の説明を続けている。
「着替えたら、馬の様子でも見に行くか。大切な相棒だろ、あいつ。いい馬だ」
「は、はい」
驚きのあまり、茫然としていたが、菜月の袴は裾が濡れている。除雪されていない雪道を強引に進んで来たのだ、仕方がないけれど。
室内は、リヒトの匂いがする。廊で待たせているので、菜月は荷物を置き、手早く着物を着替えて出た。
「お待たせしました」
「こっちだ」
カズヤと違って、リヒトは菜月にまったく興味がないらしい。視線を合わせようともしない。ヒト、というよりも、モノとして扱われているような気がする。
馬房の相楽は落ち着いていた。
「水をがぶがぶ飲んでいたぞ。あと、干し草も」
「相楽、ごめんね。ゆっくり休んで」
厩に、ほかの馬はいなかった。理由を尋ねる。
「この深い雪だ。いくら寒さに強いとはいえ、馬は使えない。干し草もあまり蓄えられていないから、次の定期便で馬は必ず都に返せ。こいつは、ほんとうにいい馬だ。雪の中で埋もれさせるには惜しい。お前のものか」
「いいえ。近衛府の馬です。勅命は出ましたが、砦行きには父が反対で」
突然、結婚させられそうになったので止むを得ず、騒動を起こして砦に来たことを菜月は正直に打ち明けた。
「貴族のお姫さんをしていれば、大変な思いをしないで済んだのに。奇特なやつだ。いくら帝の勅でも、お前みたいな小娘を欲しいと要請した覚えはない。ここの砦だけは、男所帯だということも知らなかったんだろ」
「はい。驚きました……」
「寒さに弱い男は、内裏の奥でうじうじしている。さもなくば、実家にひきこもりだ。だが、俺たちは剣を握った。藤原さんが率いてくれたのさ。あぶれ者だった、俺たちを」
砦の隊長、藤原は名も身分もないリヒトやカズヤを拾い、剣術を教えてくれた。都には女剣士がいる。ならば風異の最前線で、ひっそりと戦えばよい……そんな理由で派遣されたのがはじまりだった。
「ああ見えても、藤原さんの母御は皇族の出だ。本来ならば、こんな小さな砦におさまる器の人ではないのだが、あいにくと三男でね。男子が三人も成人しているなんて、珍しい家だよ」
「そうですね、確かに」
世の中で、女子が尊重されるに従い、女子を望む家が増えてきている。三男、という例はほとんど耳にしない。
「俺は、西の京でひどい暮らしをしていたところを、藤原さんに救われた。カズヤも同じようなものだ。男子は寒さに弱い。労働力にならないと嫌われている。大切にされる男子は嫡男、跡取りだけだ。裕福な家ならまだしも、庶民に男子は負担でしかない」
噂でも、男子が生まれると里子に出すとか、寺に入れてしまうとか、よく耳にする。菜月も聞いたことがあった。
「藤原隊長に出会えて、よかったですね。隊長、器が大きそうですものね。これからは、私もたくさん手伝います」
リヒトが頷きかけたとき、母屋のほうからぱたぱたと足音が近づいてきた。
「ちょっと、お姫さん!」
カズヤだった。白い頬を真っ赤に染めている。表情が険しい。ひどく怒っている。
「リヒトさんの部屋、しばらくきみが使うって? リヒトさんが、俺の部屋に居候? 冗談じゃない、やだやだ」
相部屋となる不満をぶちまけに来たらしい。
「俺はね、ひとり部屋がいいんだよ。ひとりが!」
「駄々をこねても、ほかに部屋はない」
「リヒトさんは、その子と同部屋になればいいじゃないですか。まだ子どもですよ。大納言家のお姫さんだからって、一人前扱いはしなくていいですよ」
「あのなカズヤ、そういう問題ではない。こいつは女だ」
「今からでも遅くないから、都に帰って。男の中に女子がひとりで入って来るなんて、どう考えてもおかしいよ。帝も、どうかなさっている。北の砦の現状を知らないわけでもないだろうに」
「こいつを責めてもはじまらない。さっさと諦めろ」
「嫌だよ。リヒトさんと同じ部屋なんて、絶対にいや」
「藤原さんからの指示でもある。従えないのか」
「いやだよ。それならとりあえず、今夜は俺がこの子と相部屋になるから。まあもちろん、喰っちゃうけど」
「それは許されない組み合わせだ」
「でも俺、リヒトさんみたいな細かい性格の人と四六時中一緒だなんて、身が持たない」
「……今晩の、風異の不寝番は、俺だ。今夜のところは、部屋にひとりじゃないか。明日の当番はお前。気にするほど、一緒の時間はないと思うぞ」
宿直の夜は、監視室で仮眠を取りながら風の動きを見張るのだという。
「勝負しろ、きみ」
カズヤは剣先を菜月に突きつけた。
「俺が勝ったら、きみは都に帰ってもらう。もし、きみが俺に勝てたら……そうだな、きみを上司として認めて、名前+さまづけで呼んであげよう。リヒトさんとの相部屋も我慢してやる」
「ちょっと待って。私、都には帰れません。結婚させられてしまうし、なによりも帝の約束が果たせなくなります」
「なんだ。俺との勝負が怖いの? やる前から、負けそうな予感か」
カズヤは意地悪そうに嗤った。明らかに挑発されていると感じたけれど、黙ってはいられない。
「……やります。受けます。負けなければいいんですよね」
菜月は断言した。もう後には下がれない。
「おい、いいのか。そんな口約束。あとで後悔しても知らんぞ」
隣でふたりのやりとりを眺めていたリヒトが言った。菜月の軽さに少し、あきれている様子だ。
「だいじょうぶです」
自分でも、はったりだと思った。けれど、引き下がれない。どちらにしてもカズヤとは、早めに白黒を決着つけなければ共に働けそうにない。
「よし。外に出ろ。本業の風切りで勝負だ。暗くなる前に終わらせてやる。さっきから天気が荒れ気味だ、ちょうどいい」