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34 帝に預けよう

 帝は菜月の目を見据えた。菜月はうろたえる。決心がついていない。

「わ、私は」

「菜月の願いについて、さまざまな噂を聞いている。朕が叶えてやろう。朕は、女御と同じように菜月を大切に思っている。菜月が望むならば、後宮に菜月の殿舎を準備させよう。どうだ」

 はっきりと、帝は菜月に入内を勧めた。姉と同等の待遇をすると、約束した。剣を振り回している菜月だって、本来は乙女だ。しかも、帝は憧れの人。いけないと思いつつ、ぐらりと心が揺れてしまう。

「ちょっと、帝。菜月がどれだけ悩んだか、知らないわけ? これ以上苦しめるつもり?」

「カズヤ。決めるのは、菜月自身だ」

「いやだよ。お姫が入内してしまうなんて。お姫は北の砦の人間だ」

「黙れ」

 帝と菜月の会話に横槍を入れようとしたカズヤは、リヒトによって後方に引きずられた。話が聞こえるかどうかぐらいの微妙な位置にまで。もちろんカズヤは不満顔だったけれど、リヒトも苦渋の決断だった。なにしろ、相手は万乗の君。帝が望めば、菜月は否と言えない。

 菜月は帝と向き合った。もう、逃げたくない。

「とてもありがたく、もったいないおことばです。鄙生まれの粗野な私を、大切に扱っていただいて、感激です」

「では、入内を決心してくれたかね。あのような剣を使えると世間に知られた以上、そなたの身はなるべく朕のそばに置いて、朕が守ってやりたいのだ。できれば、剣をもう使わなくて済むように。北の砦で働いている隊にも帰京を促し、都の雪融けその後の対処に当たるよう、指示を出すつもりだ。もちろん、相当な位官を授けよう」

 確かに、このまま風異が弱まれば、北の砦に詰める意味は消滅する。

「風異が消える……ほんとうになくなれば、いいのですが。帝。これを、見てください」

 菜月は剣の柄から小さな珠を取り出した。

「風の中に埋まっていたものです。ぱっと見、宝玉のようですが、これが風異を操っているようなのです。これの正体を突き止めないと、外つ国による風異はきっと止まないと思います」

「これが、風異に。なるほど。あとは朕に任せなさい。これ以上、菜月が苦労することではないよ。素晴らしい装束に着て、よい香りに包まれ、楽を奏で、絵巻を眺め、季節を愛で、美味なるものをともに食そう」

 甘い誘惑に惹かれてしまう。そんな暮らしができたら、どんなにいいだろう。帝の訪れを待つだけの、後宮生活。

「こうきゅう……せいかつ」

 そこまで思い当たってから、菜月は我に返った。甘いだけのはずがない後宮。嫉妬、憎悪、怨嗟。女たちの、負の感情だらけに決まっている。菜月は後宮で生きてゆける自信もないし、張り合う気概もない。特に、姉とは争いたくない。

「申し訳ありません。帝の提案はとても魅力的なのですが、私には地を這うような暮らしのほうが合っているようです。砦に戻りたい。それが、私の気持ちです」

「朕の求婚を断るのか」

 菜月と帝の間に、冷たい風が流れた。頬を切るような、氷を含んだ風だった。

 砦に行く前ならば、入内の誘いに『はい』と答えていたかもしれない。強い口調の中にも、帝王たる優美さを秘めている。堂々としていて、とても絵になる姿。今でも、確かに帝を慕っている自分がいた。

「……帝には、姉の女御がいます。風異を破るには、私が出なければなりません」

「そなたの風があれば、風異はやがて鎮まる。菜月の存在をちらつかせ、外つ国に脅しをかけられる」

「いいえ。外つ国が、先ほどの珠を持つ限り、強い風異は真砂国をまた必ず襲います。重要なのは、風よりも珠の存在です。私の剣をちらつかせることは構いませんが、この珠の出所を明らかにするのが急務だと思います」

 菜月はすらすらと言ってのけた。少し、生意気だったかもしれないと思い直し、おそるおそる帝の玉顔を窺う。はじめ、怒っているような面をしていたが、帝は膝を叩いて笑いはじめた。

「菜月が! あっぱれ、菜月が朕に逆らうとは。これはいい!」

 突然の変貌に、菜月は困惑した。

「あの、帝? どうかなされましたか」

「それでこそ、朕が見込んだ菜月。さすがだ。目の前の安寧に妥協することもなく、あくまで理想を追うとは。よしよし、よき傾向だ。今後もいっそうの面倒は見る。いいかげんな結婚などせず、どんどん暴れてこい」

 もしかして、騙されていた……のかもしれない。帝の笑顔はなにも語らないけれど、菜月はたぶらかされていたように感じた。入内を迫っているふうに偽装して、菜月の本心を引き出そうとしていたらしい。

「そ、そうよね。普通に考えて、帝が私を欲しがる理由なんてどこにもないし。姉のような完璧な女御がいるのに、わざわざできそこないの私を望むわけないよね、うん」

「話は済んだか」

「顔、真っ赤だよ。お姫」

 リヒトとカズヤが菜月のそばに寄ってきた。大納言も、蔵人以下帝の近習を連れて合流する。

「ではまたな、菜月。北の砦でも励めよ……と言いたいところだが、外つ国との交渉が終わるまでは、都に残っていてくれ」

「ええっ」

 菜月としては、すぐに砦に帰りたかったのに。

「このまま寒波が弱まれば、北の砦の守備は縮小させるつもりでいる。交渉次第だ。砦警備に当たっていた隊の者は、都に呼び寄せる。仕事はいくらでもあるぞ」

「都大路の雪かき、ですか」

「比叡のお山の、雪崩防止事業なども」

「積雪の重みで潰れた橋を直したり、田畑の作付け奨励計画も練る必要がある。雪解け水対策も早急に立てなければ。鴨川や桂川に、一気に水が流れ込んだら、たちまち季節外れの洪水になってしまう」

「……ほんとに、あたたかくなるんですかね」

 怖いもの知らずのカズヤは、いつもの口調で突っ込んだ。

「菜月がいるんだ。そなたたちは、菜月を盛り立て、菜月の剣の不思議を解明してほしい。珠はこちらで預かってもよいか、菜月よ。交渉の道具にしよう」

「はい。お願いします」

 菜月は手にしていた珠をすべて、蔵人に渡した。

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